2008N3句

March 0132008

 遊び子のこゑの漣はるのくれ

                           林 翔

月の空はきっぱり青い。春一番が吹いて以来冴返る東京だが、空の色は少しずつうす濁ってきて今日から三月。通勤途中、どこからとなく鳥の声が降ってくるようになり、しつこい春の風邪に沈みがちな気分を和らげてくれる。春の音はきらきらしている。鳥の声も、水の流れも、聞き慣れた電車の音も、人の声も。最近の子供は外で遊ばなくなった、と言われて久しいが、買い物袋を下げて通る近所の公園には、いつもたくさんの子供が集まって、ぶらんこやシーソーに乗り、気の毒なくらい狭いスペースでバレーボールやドッヂボールに興じている。遊び子という表現は、遊んでいる子供の意であろうが、いかにも、今遊んでいるそのこと以外何も考えていない子供である。その子供達の楽しそうな笑い声が、日の落ちかけた茜色の空に漣のように広がっていく。こゑ、と、はるのくれ、のやわらかな表記にはさまれた、漣。さざなみ、の音のさらさら感と、水が連なるという、文字から来る実感を持つこの一文字が効果的に配されている。今日より確実に春色の深まる明日へ続く夕暮れである。『幻化』(1984)所収。(今井肖子)


March 0232008

 三月は人の高さに歩み来る

                           榎本好宏

の外は依然として寒い風が吹きつのっています。長年横浜に住んでいますが、今年の冬は例年になく寒く感じられます。そんななか、休日の昼間、窓を閉めきった室内で春の句を拾い読みしていたら、こんな作品に出会いました。描かれている情景は分かりやすく、また親しみやすいものです。「三月」「人」「高さ」「歩む」と、扱われている単語はあくまでもありふれていて、特殊なイメージを喚起するようには作られていません。というのも、作者は感じたことを、ありふれた言葉で十分に表現できると確信したからなのです。インパクトの強い単語が、必ずしも表現の深さに繋がるものではないということを、この句を読んでいるとつくづく感じます。「人」の「高さ」という2語の結びつきだけでも、読み手にさまざまな感興をもたらしてくれます。読んでいるこちらも、その位置を高められたような気になります。等身の三月。一月二月には持てなかった親しみを、三月に感じています。衿をすぼめ、寒さに耐え、対決するようにすごしてきた月日の後に、肩をならべて一緒に時をともにすることのできる月が与えられたのです。その歩みはゆったりとしていて、後戻りをするようなこともありますが、両腕を広げ、確実に私たちの方へ歩み寄ってきてくれるのです。『四季の詞』(1988・角川書店)所載。(松下育男)


March 0332008

 水温みけり人発ちて鳥去りて

                           橋本榮治

語「水温(ぬる)む」の用法として、掲句のように「けり」とすっぱり切った句はあまり例がないように思う。なんとなく暖かくなってきた感じの水の状態を指して、そのまま「水温む」とゆるやかに使用するのが通例だが、この句では「けり」と言い切ることで、「水温む」よりももっと後の時間を詠み込んでいる。すっかり春になってしまったなあ、という感慨句だ。雁や白鳥たちも北に帰ってしまい、春は人事的にも別れの季節だから、身近にも発って行った人がいるのである。この喪失感が「けり」によって増幅されていて、春という明るい季節のなかの寂しさがより深く印象づけられる。この一句からだけでは、これくらいの解釈しかできないが、句集を読むと、実は発って行った人が、この年の春を目前に亡くなった作者の妹さんであることがわかり(「妹」連作)、そのことを知れば「けり」としなければならなかった理由もより鮮明に納得されるし、悲哀感に満ちた句として読者の心が染め替えられることにもなってくる。「荼毘の音聞かず寒風の中に在り」、「梅ひとつふたあついもうと失ひき」。今日は女の子の節句雛祭り。作者はしみじみと、妹さんとの日々を思い出すことだろう。『放神』(2008)所収。(清水哲男)


March 0432008

 白魚のいづくともなく苦かりき

                           田中裕明

タクチイワシなどの稚魚であるしらすと同様、白魚(しらうお)もなにかの稚魚だとばかり思っていたが、成長しても白魚は白魚。美しく透き通る姿のままで一生を終える魚だった。鮎やワカサギなどと近い種類というと滑らかな身体に納得できる。また「しろうお」はハゼの仲間で別種だという。ともあれ、どちらも姿のまま、ときには生きたまま食される魚たちである。「おどり」と呼ばれる食し方には、いかにも初物を愛でる喜びがあるとはいえ、ハレの勢いなくしては躊躇するものではなかろうか。矢田津世子の小説『茶粥の記』に出てくる「白魚のをどり食ひ」のくだりは、朱塗りの器に泳がせた白魚を「用意してある柚子の搾り醤油に箸の先きのピチピチするやつをちよいとくぐらして食ふんだが、その旨いことつたらお話にならない。酢味噌で食つても結構だ。人によつてはポチツと黒いあの目玉のところが泥臭くて叶はんといふが、あの泥臭い味が乙なのだ。」と語られる。筆致の素晴らしさには舌を巻くが、意気地のない我が食指は一向に動かない。だからこそ掲句の「いづくともなく」湧く苦みに共感するのだろう。味覚のそれだけではなく、いのちを噛み砕くことに感じる苦みが口中をめぐるのである。『夜の客人』(2005)所収。(土肥あき子)


March 0532008

 春うらら葛西の橋の親子づれ

                           北條 誠

んなのどかな春の風景はもうなくなった、とは思いたくない。都会を離れれば、こういううららかな親子づれの光景はまだ見られるだろう。いかにものどかで、思わずあくびでも出そうな味わいの景色である。時折、こんな句に出くわすと、足を止めてしばし呼吸を整えたくなる。葛西は荒川を越えた東に位置する江戸川区の土地である。「葛西の橋」を「葛西橋」と特定してもいいように思う。もちろん葛西には旧江戸川にかかる橋もあることはある。江東区南砂と江戸川区葛西を一直線で結ぶ道路の、荒川にかかっているのが葛西橋である。葛西橋は他にも俳句に詠まれていて、のどかな時間がゆったり流れていることもあれば、せつなくも侘しい時間が流れていることもある。「葛西」という川向こうの土地がかもし出すイメージが、「親子づれ」をごく自然に導き出してくれている。小津安二郎(?)か誰かの映画のワンカットで、「葛西橋」とはっきり書かれた木の橋の欄干が映し出された画面が私の記憶に残っている。映画の題名も監督も、今や正確には思い出せない。この「親子」はどんな氏素性をもった親子なのか、何やらドラマの一場面のようにも想像されてくる。北條誠は脚本家として映画「この世の花」をはじめ、多くの小説や脚本を残した。「まつ人もなくて手酌のおぼろかな」「永代の橋の長さや夏祭」等々、気張らず穏かな俳句が多い。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


March 0632008

 鳥の戀祝辞は胸にたたまれて

                           小山森生

字体の形には意味が美しく織り込まれている。「戀」には神への誓約に糸飾りをつけてその言葉に真実違うところがないことを表すとともに、神を楽しませる意を含んでいると白川静の『字統』にある。恋という字に「言葉」が含まれているとは。旧字体になじみのない私には新鮮な驚きだった。祝辞にもいろいろあるけど、天上の鳥たちが囀るこの時期に想像されるのは先生から卒業する生徒へ贈る言葉、在校生が卒業生を送る言葉だろうか。数日間頭を絞って考えられた言葉は別れであっても輝かしい未来を祝すもの。相手を思いやる心が込められた祝辞が四角く折りたたまれてポケットに収められている。それは祝辞の状態を表すともに言葉を受け取る側の心持ちと重なるところがある。卒業する生徒達に別れの実感はまだ乏しいかもしれないが、「じゃあね」と校門で手を振ったきり、二度と顔を合わすことのない先生や友人も多くいるだろう。何十年も経てから別れの意味がわかるように、この日の祝辞も心の隅からふと思い出される時が来るかもしれない。新しい道に踏み出す卒業生が幸せでありますように。「鳥の戀」が胸にたたまれた祝辞をおおらかな春空へと誘ってゆくようで、気持ちの良い言葉の風景を作りだしている。俳誌「努(ゆめ)」(2007/3/1発行第69号)所載。(三宅やよい)


March 0732008

 春昼の背後に誰か来て祈る

                           横山房子

から下に向かって書かれたものは上から読まれる。「春昼の背後に」と読み下していくと、そこにまず時間と場所の設定を思う。次に「誰か来て」。ここまでなら読み手の琴線を揺さぶるものはない。これは春昼という季題の本意を意識した上で背後に人の気配を感じる内容だろうと。それだけなら陳腐平凡だなあと予想するわけである。ところが最後の二文字で様相は一変する。「祈る」とあることで教会という空間が特定され「春昼の背後」が大きく包みこまれる。神社なら内容の静かさにそぐわないし、墓前なら「誰か」とは言わない。教会での静かな祈りのつぶやきが聞こえてくる。祈りの静謐の中での聴覚のリアル。「祈る」は空間のみならず行為も特定する。この二文字がこの句のテーマになるのである。叙述の最後の最後に来て作品が蘇る。逆転満塁ホームランのような句だ。縦書き表記の効用も思う。横書きだと左から右へ読んで行くが、横一列全体がなめらかに眼に入る。読み下して「祈る」に出会う衝撃力はやはり縦書きでこそ得られるものだ。『平成俳句選集』(1998)所収。(今井 聖)


March 0832008

 外に出よと詩紡げよと立子の忌

                           岡田順子

年めぐってくる忌日。〈生きてゐるものに忌日や神無月 今橋眞理子〉は、親しい友人の一周忌に詠まれた句だが、まことその通りとしみじみ思う。星野立子の忌日は三月三日。掲出句とは、昨年三月二十五日の句会で出会った。立子忌が兼題であったので、飾られた雛や桃の花を見つつ、空を仰ぎつつ、立子と、立子の句と向き合って過ごした一日であったのだろう。〈吾も春の野に下り立てば紫に〉〈下萌えて土中に楽のおこりたる〉〈曇りゐて何か暖か何か楽し〉まさに、外(と)に出て、春の真ん中で詠まれた句の数々は、感じたままを詩(うた)として紡いでいる。出よ、紡げよ、と言葉の調子は叱咤激励されているように読めるが、立子を思う作者の心中はどちらかといえば静か。明るさを増してきた光の中で、俳句に対する思いを新たにしている。今年もめぐって来た立子忌に、ふとこの句を思い出した。このところ俳句を作る時、作ってすぐそれを鑑賞している自分がいたり、へたすると作る前から鑑賞モードの自分がいるように思えることがあるのだ。ああ、考えるのはやめて外へ出よう。(今井肖子)


March 0932008

 いづかたも水行く途中春の暮

                           永田耕衣

の暮といえば、春の夕暮れを意味し、暮の春といえば、晩春のことを意味します。この句はですから、春の夕暮れ時を詠んでいます。「いづかたも」を「どちらの方向へも」と読むなら、その日の夕暮れ時に、ぬるんだ水が、どちらの方向へも広がるように流れて行くと、この句を解釈することができます。その流れの悠揚さが、自然のおおきないとなみにしたがっており、「途中」の一語が、世の無常を示しているようにも読み取れます。あるいは、「いづかたも」を「だれも」と解釈すれば、だれでもが、内面にたえまなく流れ去るものを持ち、すべてのおこないや出来事は、命の果てへ到達する途中のことでしかないのだと、読みとることも出来ます。どちらの解釈をとるにしても、どこか達観した意識で、物事を見つめているように感じられます。春は卒業、入学試験、人事異動と、大切な区切り目を越えなければならない時期です。見事にその区切りを越えられた人はともかく、そうでなかった人も、たくさんいるはずです。しかし、どんなに気の滅入る結果でも、所詮は流れ行く水のように、「途中」の出来事でしかないのだと、この句に肩をたたかれたように感じても、かまわないと思うのです。『俳句観賞450番勝負』(2007・文芸春秋) 所載。(松下育男)


March 1032008

 日の丸を洗ふ春水にごりけり

                           鳥海むねき

者は昭和十一年生まれ。今と違って旗日(祝日)には、各家ごとに「日の丸」を掲揚した時代を知っている人だ。したがって、国旗に対する思いにも、戦後生まれの人々とはおのずから異なったものがあるだろう。その思いの中身は句には書いてないけれど、掲句からにじみ出てくるのは国旗に対してのいささか苦いそれであるような気がする。日の丸の旗は普通の風呂敷などよりもかなり大きいので、普段の洗濯用の盥で洗うのは大変だ。手っ取り早いところで、近所の小川や清水などで洗ったものである。春の小川は温かい日差しを受けてキラキラと輝き、水かさも冬よりは増していて豊かな感じがする。そこに汚れた国旗を勢い良く沈めると、川底の小さな砂粒がいっせいに浮き上がってくる。そんな情景を作者はただ忠実に写生しているだけなのだが、そう見せているだけで、作者は読者にいろいろな思いを語りかけているのであろう。もっと言えば、読者のほうが「日の丸」に対する思いをあらためて問われていると意識せざるを得ない句だと言える。そして、こうして洗われた国旗には丁寧にアイロンがかけられ、箪笥の奥にきちんとしまわれる。そんな時代がたしかにあった。今となっては夢のようだけれど。『只今』(2007)所収。(清水哲男)


March 1132008

 摘草や一人は雲の影に入る

                           薬師寺彦介

よいよ日差しも本格的に春の明るさとなり、野にしゃがんで若草に手を伸ばしたくなる陽気となった。「摘草(つみくさ)」とは「嫁菜(よめな)・蓬(よもぎ)・土筆(つくし)・蒲公英(たんぽぽ)・芹(せり)など食用になる草を摘むこと」と歳時記にはあるが、柔らかな春の草は思わず触れてみたくなるものだ。目指す草を摘むとなると、始めはなかなか見つからないものが、だんだんとそればかりが目につくようになり、我を忘れて歩を進め、気がつくと思わぬ場所まで移動していることがある。太陽がぬくぬくと背中をあたため、視線は一途に地面だけを見つめているときに、唐突に目の前が暗くなる。大きな雲がゆっくりと動いたために起こるほんのひとときの日陰が、おどろくほどの暗闇に陥ったような心細さを感じさせるのだ。掲句はその様子を外側から見ている。白昼の野原で、雲の影が移動しながらゆっくりと人を飲み込む。それはまるで、邪悪な黒い手がじわじわと後ろから迫るのをむざむざ見ているような、妙な禍々しさも感じさせる。春の野に差し込む日差しが万華鏡のようにめくるめき、光があやなす不思議な一瞬である。〈尾根といふ大地の背骨春の雷〉〈春一番鍬の頭に楔打つ〉『陸封』(2006)所収。(土肥あき子)


March 1232008

 炭砿の地獄の山も笑ひけり

                           岡本綺堂

うまでもなく「山笑ふ」も「笑ふ山」も早春の季語である。中国の漢詩集『臥遊録(がゆうろく)』に四季の山はそれぞれこう表現されている。「春山淡冶(たんや)にして笑ふがごとし。夏山は蒼翠にして滴るがごとし。秋山は明浄にして粧ふがごとし。冬山は惨淡として眠るがごとし」と、春夏秋冬まことにみごとな指摘である。日本では今や、炭砿は昔のモノガタリになってしまったと言って過言ではあるまい。かつての炭砿では悲惨なニュースが絶えることがなかった。まさしくそこは「地獄の山」であり「地獄の坑道」であった。多くの人命を奪い、悲惨な事故をつねに孕んでいる地獄のような炭砿にも、春はやってくる。それは救いと言えば救いであり、皮肉と言えば皮肉であった。それにしても「地獄の山」という言い方はすさまじい。草も木もはえない荒涼としたボタ山をも、綺堂は視野に入れているように思われる。ずばり「地獄の・・・・」と言い切ったところに、劇作家らしい感性が働いているように思われる。春とはいえ、身のひきしまるようなすさまじい句である。子規の「故郷(ふるさと)やどちらを見ても山笑ふ」という平穏さとは、およそ対極的な視点が働いている。句集『独吟』をもつ綺堂の「北向きに貸家のつゞく寒さかな」という句も、どこやらドラマが感じられるような冬の句ではないか。『独吟』(1932)所収。(八木忠栄)


March 1332008

 ペリカンのお客もペリカン春の虹

                           寺田良治

リカンの特徴はあの大きな嘴だろう。大きな口は魚を捕らえる網のような役割をするし、すくいとった魚を喉袋に蓄えることもできるらしい。雛たちは大きく口を開けた親ペリカンの嘴の中に頭を突っ込んで餌を食べるというから便利なものだ。山口県宇部市にある「ときわ公園」ではペリカンが放し飼いされており、公園内を自由に闊歩していると聞く。公園内ばかりでなく近くの幼稚園に遊びに出かけるカッタ君という有名ペリカンもいるそうだ。そんな楽しい公園ならペリカンとペリカンがばたっと道で出会ったら、どうぞいらっしゃいと自分の住まいへ招きいれ、まぁおひとつどうぞ、と垂れた下顎から小魚など取り出しそうだ。童話に出てきそうなユーモラスなペリカンの姿がふんわり柔らかな春の虹によくマッチしている。ペリカンが向かい合っている景を切り口に広げられた明るい物語に思わずにっこりしてしまう。多忙な現実に埋没してしまうと物事を一面的に捉えがちだが、作者のように柔軟な頭で角度を変えて見れば何気ない現実から多彩な物語を引き出せるのだろう。「春ずんずん豚は鼻から歩き出す」「まんぼうのうしろ半分春の雲」などうきうきと春の気分を満載した句が素敵だ。『ぷらんくとん』(2001)所収。(三宅やよい)


March 1432008

 農地改革は暴政なりし蝶白し

                           齋藤美規

正十二年生まれ。昭和十七年から加藤楸邨に師事をした作者が、平成十九年の時点での自選十句の中にこの句を入れている。そのことに僕は作者の俳句に対する態度を感じないわけにはいかない。作者は新潟、糸魚川の地にあって「風土探究」を自己のテーマとして五十六年には現代俳句協会賞を受賞し、俳壇的な評価も確立している。「冬すみれ本流は押す力充ち」「一歩前へ出て雪山をまのあたり」「百年後の見知らぬ男わが田打つ」などの喧伝されている秀句も多い。その中のこの句である。一般的認識では小作解放という「美名」のもとに語られる事柄を、敢えて「暴政」と呼ぶ。敗戦直後占領軍によって為された地主解体による土地の解放政策を何ゆえ作者は否定するのだろうか。調べてみると解放という大義名分の影に、小作に「無償」で譲られた土地が農地として残存せず、宅地に転用され、そこで土地成金を生んだりした例もあるらしい。日本の農業政策の根幹に関わる疑問を、新潟在の作者は自己の問題として提起しているように思う。「風土」とは、田舎の自然を詠むことが中心ではなく、そこで営々と不変の日常を送る自己を肯定達観して詠むことでもなく、社会に眼を開くことを俳句になじまぬこととして切り捨てることでもない。まぎれもない「個」としてそこに在る自己の、憤りや問題意識を詠うこと。その態度こそが「風土」だと、自選十句の「自選」が主張している。『平成秀句選集』(2007)所収。(今井 聖)


March 1532008

 卒業歌ぴたりと止みて後は風

                           岩田由美

代は、中高の卒業式に歌われる歌もさまざま。オリジナル曲を歌う学校もあるというが、私の時代はまず「仰げば尊し」であった。中学三年の時、国語の授業で先生が「お前達今、歌の練習してるだろう。あおげばとおとし、の最後、いまこそわかれめ、って歌詞があるね。わかれめって、分かれ目(と板書)こうだと思ってないか?」え、ちがうの。少なくとも私はそう思っていた。「文法でやったな、係り結び。こそ(係助詞)+め(意志の助動詞、む、の已然形)。今こそ別れよう、いざさらば」という説明を聞きながら、妙に感動した記憶がある。そして三十年近く、仰がれることはなくても卒業式に出席し続けて現在に至る。たいてい式も終盤、ピアノ伴奏に合わせて広い講堂にゆっくりと響く卒業歌。生の音は、空気にふれるとすっと溶ける。歌が終わって少しの間(ま)、そして卒業生退場。その後ろ姿を拍手で見送る時、心の中にあるのは、喜びや悲しみをこえた静けさのようなものである。そして今年もこの季節がめぐってきた。別れて忘れて、また新しい出会いがある。後は風、たった五音が深い余韻となって響く。『俳句歳時記・春』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


March 1632008

 春昼の角を曲がれば探偵社

                           坂本宮尾

語の春昼は、「しゅんちゅう」と読みます。のんびりした春の昼間の意味ですから、「はるひる」と訓で読んだほうが、雰囲気が出るようにも感じます。しかし、日々の会話の中で、「しゅんちゅう」にしろ「はるひる」にしろ、この言葉を使っているのを聞いたことがありません。俳句独特の言葉なのでしょう。句の意味は明解です。書かれていることのほかに、隠された意味があるわけでもなさそうです。それでもこの句が気になったのは、「角を曲がる」という行為と、「探偵社」の組み合わせが、ノスタルジーを感じさせてくれるからです。先の見えない世界へ体をよじって進んで行く。「角」という言葉には、どこか謎めいていて、心を震わせるものがあります。そんな心の震えの後に、「探偵社」という古風な言い方の建物が出てきます。どことなし、怪しげな雰囲気が感じられます。古びたビルの一角に、昔の映画で見たような探偵が、めったに開くことのない扉を見ながら、ひたすら仕事の依頼を待っているのでしょうか。本来は抜きさしならない状況で、人の行為を密かに調べる職業ではありますが、この言葉にはどこか、ほっとするものを感じます。春の昼、のんびりと角を曲がったわたしは、どこかの探偵にそっとつけられている。と、罪のない想像をしながら、わたしは角を、すばやく曲がるのです。『現代俳句の世界』(1998・集英社) 所載。(松下育男)


March 1732008

 軽荷の春旅駄菓子屋で買ふ土地の酒

                           皆川盤水

年の春は、急にやってきたという感じだ。東京は、昨日一昨日といきなり四月並みの陽気。いつものようにコートを着て出かけたら、汗が滲み出てきた。急な春の訪れだけに、なんだかそわそわと落ち着かない。良く言えば、浮き浮き気分である。この句も、まさに浮き浮き気分。「軽荷の春旅」という定型に収まりきれない上五の八音が、浮き浮き気分をよく表している。句集の作品配列から推測して、この句は昭和三十年代のものと思われる。酒を買ったのは「駄菓子屋」とあるが、当時のなんでも屋、よろず屋のような店だったのだろう。現在のようにしかるべき土産物屋に行けば、なんでも土地の名産が揃っているという時代ではない。つまりこの駄菓子屋で買わなかったら、せっかく見つけた土地の酒を買いそびれるかもしれないわけだ。元来、地酒とはそういうものであった。幸いにして、気楽な旅ゆえ手荷物は軽い。味なんぞはわからないが、迷わず一升瓶を買い求めたのである。おそらく、駄菓子屋のおばさんと軽口の一つや二つは交わしただろう。その素朴な気持ちよさ。酒飲みにしかわからない浮き浮きした心持ちが、心地よく伝わってくる。同じ句集に「蚕豆や隣りの酒徒に親近感」もあり、これまた酒飲みの愉しさを印象づけて過不足がない。春風のなか、どこかにぶらりと行ってみたくなった。『積荷』(1964)所収。(清水哲男)


March 1832008

 生まれては光りてゐたり春の水

                           掛井広通

まれたての水とは、地に湧く水、山から流れ落ちる水、それとも若葉の先に付くひと雫だろうか。どれもそれぞれ美しいが、「ゐたり」の存在感から、水面がそよ風に波立ち「ここよここよ」と、きらめいている小川のような印象を受ける。春の女神たちが笑いさざめき、水に触れ合っているかのような美しさである。春の水、春の雨、春雷と春の冠を載せると、どの言葉も香り立つような艶と柔らかな明るさに包まれる。小学校で習ったフォークダンス「マイムマイム」は、水を囲んで踊ったものだと聞いたように覚えている。調べてみるとマイムとはヘブライ語で水。荒地を開拓して水を引き入れたときの喜びの踊りだという。命に欠かせぬ水を手に入れ、それがこんなにも清らかで美しいものであることを心から喜んでいる感動が、動作のひとつひとつにあらわれている。今も記憶に残る歌詞の最後「マイム ヴェサソン」は「喜びとともに水を!」であった。なんとカラオケにもあるらしいので、機会があったら友人たちとともに身体に刻まれた喜びの水の踊りを、あらためて味わってみたいものだ。〈両の手は翼の名残青嵐〉〈太陽ははるかな孤島鳥渡る〉『孤島』(2007)所収。(土肥あき子)


March 1932008

 闇のちぶささぐりつつ見し春の夢

                           那珂黙魚

珂黙魚は詩人の那珂太郎。詞書に「幼年時」とある。幼いころ母親に抱かれて、夢うつつのなかで乳房をまさぐりつつ見た春の夢、それはいったいどんな夢だったのだろうか――。もちろん幼年ゆえ記憶にあるわけではない。だいいち幼年そのものが、まるごと夢のようなものであり、闇のようなものであると言えそうである。それもあわあわとして、どこかとりとめのない春の夢そのもののようなものであるにちがいない。いきなり「闇」と詠いだされるが、夜の暗闇のなかで乳房をさぐっている、などと限定して考えてしまうのは、むしろおかしい。幼年の定かではない記憶のなかでのこと。同時に闇そのもののような春の夢を意味しているとも言える。「闇―乳房―春の夢」の連なりがあわあわとした運びのなかで、有機的な相関関係をつくりだしていると言っていい。幼年時の朦朧とした春の夢が、茫漠とした闇のなかで懐かしくも、とりとめもなく広がってゆくように感じられて心地よさが残る。そうした夢のなかに、ゆったりと身をおくことがかなわなくなるのがオトナではないか。他に「ねむたくて眠られぬまま春の夢」という句もある。こちらは幼年ではなく、むしろオトナということになろうか。黙魚は俳句に造詣が深く、眞鍋天魚(呉夫)、司糞花(修)らと句会「雹の会」に所属している。『雹 巻之捌』(2007)所載。(八木忠栄)


March 2032008

 白木蓮そこから先が夜の服

                           小野裕三

だかまだかと楽しみにしていた白木蓮が先週末の暖かさでいっせいに花を開き始めた。「暑さ寒さも彼岸まで」というけど、このまま後戻りすることなく春は加速していくのだろうか。この花の清楚に立ち揃う蕾の姿もいいけれど、ふわりとハンカチを投げかけた開き始めの姿もいい。そう言っても雨風になぶられると、あっさり大きな花弁を散らしてしまうので油断ならない。この頃は散歩の途中で白木蓮の咲きぐあいを見上げるのが日課になっている。きっぱりと夜目に浮き立つこの花は昼とは違う表情をしている。掲句は暮れ時の白木蓮の様子を女性の装いの変化に重ねているようだ。昼のオフィスでの活発ないでたちから夜のパーティ用にシックなドレスに着替えて現れた女性。「そこから先」は暗くなる時間帯を指すとともに装いが変わることを暗示させているともとれる。「はくれん」の響きには襟の詰まったチャイナ服など似合いそうだ。そう思えば細長い花弁を開いたこの花がある時間帯が来ると妙齢の女性に変身する楽しさもあっていよいよ夜の白木蓮から目が離せない。「君たちのやわらかなシャツ四月馬鹿」「菜の花の安心できぬ広さかな」句集全体は現代的な感覚で疾走感があり、取り合わせの言葉の斬新さが印象的である。『メキシコ料理店』(2006)所収。(三宅やよい)


March 2132008

 先生やいま春塵に巻かれつつ

                           岸本尚毅

読、文体が古雅。雅というよりも俗の方だから古俗ともいうべきか。近代俳句調と言ってもいい。その理由の最大のものは「先生や」の置き方にある。主格の「は」「が」に替わる「や」は子規、虚子の時代においては多く使用された。「や」「かな」「けり」には詠嘆などの格別の意味があるのかいなと思われるほどに、なんとはなく(安直に)あきれるほど多く使われた。そのために現代俳句では、(秋桜子以降を現代と呼ぶなら)切れ字が俳句の抹香臭さの元凶のひとつとされ、例えば山口誓子の句集『激浪』では所収の一二五四句の中に切れ字「や」はほとんど使われていない。戦後は、古典に眼を遣ると提唱した石田波郷などの影響で、切れ字使用に関しては俳句形式の特性として肯定的に捉える考え方が生まれ、その分、切れ字に関しては慎重な使い方が主流になった。「や」は、その前と後ろで切れなければいけないとの思い込みである。多義的な(言い換えればいいかげんな)「や」が姿を消し、それにともなって主格の「や」も今日ではほとんど見られない。作者はすでに古典になったこのいいかげんな「や」を用いることで俳句の古い文体を今日に生かそうとしている。内容は読んでの通り。この「先生」は作者の師波多野爽波であってもいいし、なくてもいい。「先生」は故人であってもいいし、現存する眼前の人でもいい。故人であれば春塵の中を昇天していくイメージ。(その場合は爽波は秋に逝かれたので対象にはならない)眼前のひとならば春塵の中を颯爽と去ってゆく師への思いである。念のために言うが、この句、一句一章の「や」である以外の可能性はまったくない。『平成秀句選集』(2007)所収。(今井 聖)


March 2232008

 ジプシーの馬車に珈琲の花吹雪

                           目黒はるえ

ラジル季寄せには、春(八月、九月、十月)の項に、花珈琲(はなカフェー)とあるので、この句の場合も、珈琲(カフェー)の花吹雪、と読むのだろう。なるほどその方が上五とのバランスも調べもよい。前出の季寄せには「春の気候となり雨が大地を潤すと、珈琲樹は一斉に花を開く」とある。残念ながら、珈琲の花は写真でしか見たことがないが、白くてかわいらしい花で、その花期は長いが、一花一花はほんの二、三日で散ってしまうという。広大な珈琲園が春の潤いに覆われる頃、珈琲の花は次々に咲き、次々に散ってゆく。ジャスミンに似た芳香を放ちながら、ひたすら舞いおちる花の中を、ジプシーの馬車が遠ざかる。やがて馬車は見えなくなって、花珈琲の香りと共に残された自分が佇んでいる。花吹雪から桜を思い浮かべ、桜、日本、望郷の念、と連想する見方もあるかもしれない。けれど、真っ白な花散る中、所在を点々とするジプシーを見送るのは、ブラジルの大地にしっかりと立つ作者の強い意志を持った眼差しである。あとがきに(句集をまとめるきっかけは)「三十五年振りの訪日」とある。〈春愁の掌に原石の黒ダイヤ〉〈鶏飼ひの蠅豚飼ひの蠅生る〉など、ブラジルで初めて俳句に出会って二十七年、遠い彼の地の四季を詠んだ句集『珈琲の花』(1963)。(今井肖子)


March 2332008

 鉛筆を短くもちて春の風邪

                           岡田史乃

年は、我が家には受験生がいたため、家族全員風邪を引かないようにと、例年よりも注意をしていました。昨年末の予防接種はもちろん受け、手洗い、うがいを欠かしませんでした。一年間努力してきた結果が、父親の不摂生で台無しにしてしまってはと、気をつかいながら冬の日々をすごしていたのです。この句の、「春の風邪」という言葉を見てまず思ったのは、ですから、緊張から開放されて、ほっとしたところに風邪を引いてしまった人の姿でした。風邪による体のだるさと、陽気の暖かさによるだるさ、さらには緊張の解けた精神的なだるさも加わって、今日は家でゆっくりと休んでいるしかないのだというところなのでしょうか。それでも、どうしても今日中に連絡しなければならない事柄はあり、手紙を書き始めたのです。文字を書きながらも体はだるく、前へ前へと傾いて行きます。鉛筆の持ち方もいつもよりしっかりと、根元のところを持って、一文字一文字力を込めなければ、きちんとしたことが書けません。「春の風邪」と、「鉛筆を短く持つ」という動作の関係が、無理なく、ほどよい距離で繋がっています。『四季の詞』(1988・角川書店)所載。(松下育男)


March 2432008

 泥棒や強盗に日の永くなり

                           鈴木六林男

日それとわかるほどに、日が永くなってきた。以前にも書いたように、私は「春は夕暮れ」派だから、このところは毎夕ちっぽけな幸福感を味わっている。そんなある日の夕暮れに、この句と出会った。思わず、吹き出した。そうか、日永を迷惑に感じる人間もいるのだ。例外はあるにしても、たいていの「泥棒」や「強盗」は、夜陰に乗じて動くものである。明るいと、仕事がしにくい。したがって、多くの人たちが歓迎する日永も、彼らにとっては敵なのである。泥棒や強盗を専業(?)にしている人間がいるとすれば、立春を過ぎたあたりから、だんだんと不愉快さが増してくるはずだ。部屋にこもって仏頂面をしたまんま、じりじりしながらひたすら表が暗くなるのを待っている姿を想像すると、無性におかしい。おかしがりながらも、しかし作者は句の裏側で日永をゆったりと楽しんでいるわけで、このひねくれ具合も、また十分におかしくも楽しいではないか。六林男の晩年に近い時期の句であるが、こうした発想やセンスはいったいどこから沸いてくるものなのだろうか。あやかりたいとは思うけれども、私にはとても出来ない相談のように思える。『鈴木六林男全句集』(2008)所収。(清水哲男)


March 2532008

 爪先の方向音痴蝶の昼

                           高橋青塢

在では自他ともに認める方向音痴だが、それを確信したのは多摩川の土手に立ち、川下が分からなかったときだ。ゆるやかな流れの大きな川を目の前に、さて右手と左手、どちら側に海があるのかが分からない。なにか浮いたものが流れてはいないかと目を凝らしていると、「そんなことも分からないのか」とどっと笑われた。一斉に笑ってはいたが、おそらくその中の二、三人はわたし同様、風の匂いをくんくん嗅いでみたり、わけもわからず鳥の飛ぶ方角を眺めたりしていたと思うのだが。最近は携帯電話で現在位置を指示し、目的地をナビゲートしてくれる至れり尽くせりのサービスもあるが、表示された地図までもぐるぐると回して見ているのだからひどいものだ。そこを掲句では、下五の「蝶の昼」で、舞う蝶に惑わされたかのようにぴたりと作用させた。英語でぎっくり腰を「魔女の一撃」と呼ぶように、救いがたい方向音痴を「蝶を追う爪先」と、どこかの国では呼んでいるのかとさえ思うほどである。たびたび幻の蝶を追いかける我が爪先が、掲句によって愚かしくも愛おしく感じるのだった。〈青き踏む名を呼ぶほどに離れては〉〈このあたり源流ならむ囀れる〉『双沼』(2008)所収。(土肥あき子)


March 2632008

 春の風邪声を飾りてゐるやうな

                           高橋順子

うまでもなく「風邪」は冬の季語であり、風邪にまつわる発熱、咳、声、のど、いずれも色気ないことおびただしい。けれども「春の風邪」となると、様相はがらりと一変する。咳もさることながら、鼻にかかった風邪声には(特に女性ならば)どことなく色気がにじんでくるというもの。「春」という言葉のもつ魔力を感じないわけにはいかない。寒い冬に堪えて待ちに待った暖かい春を迎える日本人の思いには、また格別なものがある。秋でも冬でもない、やわらかくてどこかしら頼りない「春の風邪」だからこそ、「声を飾」ることもできるのであろう。声を台無しにしたり壊したりしているのではなく、「飾りて」と美しくとらえて見せたところがポイント。しかも強引に断定してしまうのではなく、「ゐるやうな」とソフトにしめくくって余韻を残した。そこに一段とさりげない色気が加わった。順子は泣魚の俳号をもつ俳句のベテランであり、すでに『連句のたのしみ』(1997)という好著もある。「連れ合い」の車谷長吉と二人だけの《駄木句会》を開いているが、掲出句はその席で作ったもの。この句に対し、長吉は即座に「うまいなあ。○だな。なるほどなあ、これ、うまいわ」と手ばなしで感心している。順子は「実感なんですよ、鼻声の」と応じている。なるほど、いくら「春の風邪」でも、男では「声を飾りて」というわけにはいかない。同じ席で「春めくや社のわきの藁人形」という、長吉を牽制したような句も作られている。『けったいな連れ合い』(2001)所収。(八木忠栄)


March 2732008

 陽炎を破船のごとく手紙くる

                           仁藤さくら

らゆらと向こうの景色が揺れる陽炎は、陽射しに暖められた地面から立ち上る空気に光が不規則に屈折して起こる現象。家の回りを取り囲んでいる陽炎の波を渡ってやってきた角封筒の手紙が郵便受けにことんと落ちる。「破船」という表現には、ずっと待っていた手紙が送り先不明で迷ったあげくにやっと自分の元へ届けられたというより、思いがけなく受け取った手紙といったニュアンスが強いように思う。ずっと以前に心の中で別れを告げて離れてしまった場所や親しく交わっていた人々、そうした過去の知り合いから受け取った手紙だろうか。その人たちの暮らしてきた時間と自分が過ごしている時間のズレに手紙を受け取った作者のとまどいも感じられる。漂流の果てに船が行き着いた孤島に静寂があり、緑深い森があるように、陽炎の波で隔てられた世界と作者が住む場所にはまったく違う時間が流れている。現実から考えれば送り主から受取人まで一日か二日の時間であっても、その断絶を乗り越えてやってくる手紙には途方もなく長い時間が込められている。と、同時に陽炎の波を渡るときには破船だった手紙が作者の手に落ちた途端、真っ白な手紙に姿を変えたようで、春昼が持っているかすかな妖気すら感じられる。『Amusiaの鳥』(2000)所収。 (三宅やよい)


March 2832008

 入学児に鼻紙折りて持たせけり

                           杉田久女

の句、「折りて」が才能。言われてみると子どもに持たせるんだからそりゃあ折って渡すだろうと思うかも知れないが、俳句を作る段になれば言える表現ではない。努力では到達できない表現だろう。庶民の多くの階層に自己表現への道を拓いた虚子は女性には台所俳句と呼ばれた卑近な日常を詠むことを説いた。「もの」を写す「写生」ではなく、倫理観の方を優先させて良妻賢母の在り方を自己主張するように導いたのである。虚子がというより当時の社会がそういう「女」を求めたからだ。妻として母として自分が如何に健気に自分を殺して生きているか。当時の女流作品の多くはそんな世界が主流であった。入学児に鼻紙を持たせるのは母親としての愛情とあるべき配慮。ここまでが基準課題の合格点。ここからが才能である。久女は当時の男社会が要求する「女性らしさ」の定番を易々とクリアしてみせつつ、「折りて」に定番を超えた「自己」を噴出させる。講談社版『日本大歳時記』(1982)所載。(今井 聖)


March 2932008

 もう少し生きよう桜が美しい

                           青木敏子

しいものを美しいと詠むのは、できそうでできない。美しい、と言ってしまわないでその美しさや感動を詠むようにと言われたりもする。その上この句の場合、好き嫌いは別として、美しいことは誰も異論がない桜である。桜が美しい、と言いきったこの句のさらなる眼目は、もう少し、にある。あと何回この桜が観られるか、とか、桜が咲くたびに来し方を思い出す、といった桜から連想される思考を経ているのではない。目の前の満開の桜の明るさの中にいるうちに、ふと口をついて出た心の言葉だろう。今を咲く桜は、咲き満ちると同時に翳り始め、散ってゆく。それでも目の前の桜はいきいきと輝いて、作者に素直な感動と力を与えた。何回も繰り返して読んでいるうち、考えて作ったのではなく感じて生まれたであろうこの句の、もう少し生きよう、という言葉がじんわりしみてくるのだった。今、咲き増えてゆく桜に、日毎細る月がかかっている。「短詩型文学賞」(「愛媛新聞」2007年12月15日付)所載。(今井肖子)


March 3032008

 椿落ちてきのふの雨をこぼしけり

                           与謝蕪村

椿というと、どうしてもその散りかたを連想してしまいます。確かに増俳の季語検索で「椿」をみても、落ちたり、散ったりの句がいくつも見られます。これはむろん、句だけに限ったことではありません。若い頃に流行った歌の歌詞にも、「指が触れたら、ポツンと落ちてしまった。椿の花みたいに、恐らく観念したんだね。」というものがありました。椿の花の鮮やかな赤色と、女心の揺れ動きが、なるほどうまくつながっているものだと、いまさらながら感心します。ところで蕪村の掲句、これも花の落ちることを詠んでいますが、それだけではなく、他のものも一緒に落しています。ありふれたものの見方も、むしろそれをつきつめることによって、別の局面を持つことが出来るようです。目をひくのはもちろん「きのふ」の一語です。椿に降りかかった雨水が、花の上に貯えられたまま、一日は終えてしまいました。翌朝、水の重さに耐えられなくなったか、あるいはもともと花の散る時期だったのか、散って行くその周りに、水がもろともにこぼれて行く様子を詠んでいます。水の表面は朝日に、きらきらと輝いているのでしょうか。そのきらめきの中を、どうどうと落ちて行く椿。「きのふ」の一語が入ってくるだけで、句はひきしまり、全体が見事に整えられてゆきます。『四季の詞』(1988・角川書店)所載。(松下育男)


March 3132008

 星条旗はしたしみやすし雨の花

                           秋元 潔

沢退二郎さんから詩人による俳句同人誌「蜻蛉句帳」36号(2008年3月17日付)が送られてきた。この一月に亡くなった尾形亀之助研究でも知られた詩人・秋元潔の追悼号である。別刷り付録に秋元潔句集『海』(1966・限定20部)からの抄出句集が付いていて、揚句はそのなかからの作品だ。詩人がまだ、中学生のころの句かと思われる。年代で言えば、1951年あたりだろうか。51年は講和条約調印の年。戦後も六年しか経っていない。当時の作者は基地の街ヨコスカに住んでいたので、星条旗は日常的に見慣れた旗だった。句ではその旗を「したしみやすし」と言っているが、この感情は戦中日本の初等教育を受けた者には、ごく自然なものだったのだろう。何に比べてしたしみやすかったのかと言うと、むろん日章旗に比べてである。アメリカの占領軍を解放軍ととらえた人たちも多かった時代だ。堅苦しく軍国主義的に育てられてきた少国民にとっては、彼らの自由さ奔放さはひどく眩しく見えたに違いないし、憧れもしただろうし、その象徴としての星条旗にしたしみを覚えた気持ちに嘘はないはずである。したがって、この句は文句なしのアメリカ讃歌であり憧憬歌であり、あれから半世紀を経た今にして読むと、その素朴な心情には微笑を誘われると同時に、しかしどこか痛ましい傷跡のようにも思われてくる。「雨の花」とは写生的なそれであるのは間違いないにしても、私にはなんだか少年・秋元潔の存在そのものでもあったように感じられてくるのを止めることができない。またこの句は上手とか下手とか言う前に、一つの時代の少年の素朴で自然な感情を詠んでいるという意味で貴重な記録となっている。他にも「早春はアメリカ国歌口ずさむ」「 WELCOME赤き文字なり風光る」など。(清水哲男)




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