2008ソスN2ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2722008

 古書市にまぎれて無口二月尽

                           小沢信男

年は閏年(うるうどし)ゆえ二月は二十九日まである。とはいえ、二月の終わり、つまり二月尽である。まだ寒い時季に開催されている古書市であろう。身をすくめるようにして古書を覗いてあるく。汗だくの暑い時季よりも、古書市は寒いときのほうがふさわしい。買う本の目当てがあるにせよ、特にないにせよ、古書探しは真剣そのものとなってしまう。連れ立ってワイワイしゃべくりながら巡るものではあるまい。黙々と・・・・。運よく稀購本を探し当てても声はあげず、表情を少しだけそっとゆるめる程度だが、心は小躍りしている。リュックを背負ったりして、無口居士を決めこみ、時間をたっぷりかけて入念に探しまわる。そんな無口居士がひしめくなかに、自分もどことなくひそかに期待を抱いてまぎれこんでいるのだ。お宝探しにも似た、緊張とスリルがないまぜになったひとときであるにちがいない。ほしい本にはなかなか出くわさない。いっぽうで、もう二月が終わってしまうという、何となくせかされるような一種の切迫感もあるのだろう。ゆったりしたなかにも張りつめた様子が目に見えるようだ。歴史ものや調べものの著作が多い信男ならではの、思いと実感が凝縮されていながらスッと覚めている。無口といえば、信男には「冬の河無口に冬の海に入る」という句もある。掲出句は当初、ほんの62句だけ収めた句集『昨日少年』(1996)に収められた。句集と言っても、一枚のしゃれた紙の表裏に刷りこんで四つに畳んだもので、掲出句は〈春〉の部の二句目にならぶ。全句集『んの字』(2000)所収。(八木忠栄)


February 2622008

 あいまいなをとこを捨てる春一番

                           田口風子

週土曜日、2008年2月23日。関東地方では昨年より9日遅く春一番が吹いた。鉄道は運転を一時中止し、老朽化したわが家を揺らすほどの南風は、春を連れてくるというより、冬を吹き飛ばす奔出のエネルギーを感じる。だからこそ、過去を遮断し決断する掲句の意気込みがぴったりくるのだろう。先月末に〈春待つや愚図なをとこを待つごとく 津高里永子〉を採り上げたが、掲句がハッピーエンドの後に控えた後日談に思えてしかたがない。冬の間、かわいいと思った不器用な男も、春先になればなぜか欠点ばかりが見えてくる。なにもかもすてきに思えるロマンス期が過ぎて、恋愛の継続に不安や疑問が頭をもたげる時期に激しい春一番が背中を押してくれたようなものだ。しかし、春一番が吹いたあとは、寒冷前線南下の影響で必ず冷たい日々が待っている。捨てた女の方にだってすぐに幸せが待っているわけではない。どちらも本物の春を目指してがんばれ♪〈秋の声聞く般若面つけしより〉〈すひかづら後ろより髪撫でらるる〉『朱泥の笛』(2008)所収。(土肥あき子)


February 2522008

 師の影をしっかり踏んで春の雪

                           鈴木みのり

はは、こりゃ面白いや。もちろんこの句は「三尺下がって(「去って」とも)師の影を踏まず」を踏まえている。弟子が師に随行するとき、あまり近づくことは礼を失するので、三尺後ろに離れて従うべきである。弟子は師を尊敬して礼儀を失わないようにしなければならないという戒めだ。でも、春の雪は解けやすく、滑りやすい。そんな戒めなど、この際はどうでもよく、とにかく転ばないようにと「師の影」をしっかり意識して踏みながら随いてゆくのである。ところで、この戒め。ネットで見ていたら、まったく別の解釈もあるそうで、概略はこうだ。師の影を踏むほどの近くにいると、視点がいつも師と同じになるために、それでは師を越えられない。せいぜいが師の劣化コピーにしかなれないので、常に師からは少し離れて独自の視点を持つべきだという教訓というものだ。どこか屁理屈めいてはいるが、この解釈で掲句を読み直すと、滑って転ばぬようにという必死は消えてしまい、どこまでも師と同じ視点に立ちたい必死の歩行ということになる。こちらはこちらで、哀れっぽいユーモアが感じられて面白い。作者は「船団」のメンバーだから、いずれにしても影を踏まれているのはネンテン氏だろうな。『ブラックホール』(2008)所収。(清水哲男)




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