カストロ引退表明。「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」という言葉があった。(哲




2008ソスN2ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2122008

 牡丹雪紺碧の肉天奥に

                           大原テルカズ

先にひらひらと舞う牡丹雪。大きな雪片が牡丹の花びらに似ているのでこの名がついたのだろう。「牡丹」という言葉に触発されて雪でありながら紅が連想され不思議に美しい。牡丹雪が降ってくる空は重たい灰色の雲で覆われてはいるが、その奥に青空の一部が覗いている。説明してしまえばそれだけだが、この句は景を描写しているのではない。仕掛けられた言葉の連想の背後には作者の存在が光っている。「紺碧の肉」は青空の表現としては異質であるが、内面の痛みを読み手に感じさせる。牡丹雪を降らせる雲の切れ目は彼自身の心の裂け目なのだろう。「彼が秘かに貯えてきた多くの財宝─幼なさ、卑しさ、愚かさ、古さ、きたならしさ、ひねくれ、独り、独善、恣意と彼が呼ぶところのもの」を俳句に結晶させた。と、句集の序文で高柳重信が述べている。戦後の混乱の暮らしの中で彼自身が掴み取った精神の履歴が、従来の俳句に収まらない言葉で表現されている。「ポケットからパンツが出て来た淋しい虎」「血吐くなど浪士のごとしおばあさん」作者にとって俳句は混乱した現実を自分に引き寄せる唯一の手段であり、句になった後はもはや無用と振り返ることもなかっただろう。『黒い星』(1959)所収。(三宅やよい)


February 2022008

 ひそと来て茶いれるひとも余寒かな

                           室生犀星

春を幾日か過ぎても、まだ寒い日はある。東京に雪が降ることも珍しくない。けれども、もう寒さはそうはつづかないし、外気にも日々どこかしら弛みが感じられて、春は日一日と濃くなってゆく。机に向かって仕事をしている人のところへ、家人が熱い茶をそっと運んできたのだろうか――と読んでもいいと思ったが、調べてみるとこの句は昭和九年の作で「七條の宿」と記されている。さらにつづく句が「祗園」と記されているところから、実際は京都の宿での作と考えられる。宿の女中さんが運んできてくれた茶であろう。ホッとした気持ちも読みとれる。一言「ありがとう」。茶は熱くとも、茶を入れてくれた人にもどこかしらまだ寒さの気配が、それとなく感じられる。その「ひと」に余寒を感受したところに、掲出句のポイントがある。「ひそと来て」というこまやかな表現に、ていねいな身のこなしまでもが見えてくるようである。それゆえかすかな寒さも、同時にそこにそっと寄り添っているようにも思われる。茶をいれるタイミングもきちんと心得られているのだろう。さりげない動きのなかに余寒をとらえることによって、破綻のない一句となった。犀星には「ひなどりの羽根ととのはぬ余寒かな」という一句もある。「ひそと来て」も「羽根ととのはぬ」も、その着眼が句の生命となっている。『室生犀星句集』(1977)所収。(八木忠栄)


February 1922008

 ふらここや空の何処まで明日と言ふ

                           つつみ眞乃

日二十四節気でいうところの雨水(うすい)。立春と啓蟄に挟まれたやや地味な節気である。暦便覧には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となれば也」とあり、天上から降るものが雪から雨に替わり、積もった雪も溶け始める頃を意味する。三島暦では「梅満開になる」と書かれている通り、少しあたたかい地域ではもうそこかしこで春を実感することができるだろう。掲句では「ふらここ」が春の季語。空中に遊ぶ気分は春がもっともふさわしい。ぶらんこを思いきり漕ぐとき、一番高い場所ではいつもは見えない空の端を一瞬だけ見ることができる。なんとなくちらっと見えたあたりに本物の春がきているような、ずっと向こうの明日の分の空を覗くような気分は楽しいものだ。しかしふと、丸い地球には日付変更線が確かにどこかに引かれていて、はっきりあそこは今現在も今日ではないのだと考えているうちに、くらくらと船酔いの心地にもなるのだった。〈息かけて鏡の春と擦れ違ふ〉〈羽抜鳥生きて途方に暮れゐたる〉『水の私語』(2008)所収。(土肥あき子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます