最も忙しい週に突入。もう少し暖かくなってほしいなあ。日差しは春なのに…。(哲




2008ソスN2ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1222008

 翼なき鳥にも似たる椿かな

                           マブソン青眼

句の「翼なき鳥」という痛ましい姿に、デュマ・フィスの椿姫を重ねる読者は私だけではないだろう。『椿姫』は、社交界で「椿姫」とうたわれた美しい娼婦マルグリットと青年アルマンの悲恋の物語であるが、その名のゆえんは、ドレスの胸元に月の25日は白い椿、あと5日間を赤い椿を付けていたということからだった。この艶やかな描写に今でもはっと息をのむ。日本から西洋に渡った椿は、寒い季節でもつややかな葉や花を鑑賞することができることから「東洋のバラ」と呼ばれ、社交界ではこぞって椿の切り花を手にしていたといわれる。情熱の花として愛されているヨーロッパの椿に引きかえ、日本では美しくもあるが花ごと落ちることで不吉な側面も持っており、掲句が持つ印象は更に陰翳を濃くする。椿の樹下はまるで寿命の尽きた鳥たちの墓場でもあるように。〈鯉幟おろして雲の重みかな〉〈ああ地球から見た空は青かった〉『渡り鳥日記』(2008)所収。(土肥あき子)


February 1122008

 春の雪ふるふる最終授業かな

                           巻 良夫

校三年の最後の「授業」だろう。三月のはじめには卒業式があるので、最終授業は二月の中旬から下旬のはじめくらいか。最終授業を受ける気持ちは、もとより生徒それぞれに違うのだが、ただ共通の感慨としては、やはり今後はもう二度とみんなでこんなふうにして一緒に勉強をすることはないという惜別のそれだろう。この授業が好きか嫌いかなどは問題外であり、誰もがやがて否応なく訪れてくる別れの時を意識して、平素よりも神妙な顔つきになっている。折りから、外は春の雪だ。「ふるふる」と言うくらいだから、かなり激しくぼたん雪が降っている。そしてこの激しい降りが、教室内のみんなの心情をいっそう高ぶらせる。みんながセンチメンタルな気分に沈んでゆく。それは一種心地よい哀感なのでもあり、また暗黙のうちに連帯感を高める効果も生むのである。かくして後年には甘酸っぱい思い出となるのであろう最後の授業は、表面的には実に淡々と、いつもと同じように終わりに近づいていくのだった。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・春』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


February 1022008

 泪耳にはいりてゐたる朝寝かな

                           能村登四郎

語は朝寝。しかしこの朝寝は、朝寝、朝酒、朝湯と歌われているものとはだいぶ様子が違います。のんびりと朝寝をしていたのではなく、前の夜に眠れなかったことが、思いのほか目覚めを遅くしたものと思われます。眠れないほどの悩みとはいったい何だったのでしょうか。手がかりは泪しかありません。なぜ視覚をつかさどる目という器官が、同時に悲しみを表現するためにもあるのだろうと、不思議に思ったことがあります。その悲しみが限界を越えた所で、人はここから水をこぼします。眠れずに心を痛めたあげくの泪が、幾すじも頬をつたい、耳にたまってゆくのです。昼日中の泪なら、泣けば心が晴れるということもあるかもしれません。でも、この泪はそのまま翌日に持ち越しているようです。いつまでも寝ているわけにも行かず、起き上がり、身支度をした頃には、もちろん耳に入った泪はぬぐいさられています。それにしてもわたしは、この人がその日を、どのように乗り越えたのかを、どうしても想像してしまいます。目と、耳と、悲しみを二箇所にもためた人が、どのように悲しみを乗り越えたのかを。『現代俳句の世界』(1998・集英社)所載。(松下育男)




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