昨日は雪の中、親しい方々に古稀を祝っていただいた。ありがとうございます。(哲




2008ソスN2ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1022008

 泪耳にはいりてゐたる朝寝かな

                           能村登四郎

語は朝寝。しかしこの朝寝は、朝寝、朝酒、朝湯と歌われているものとはだいぶ様子が違います。のんびりと朝寝をしていたのではなく、前の夜に眠れなかったことが、思いのほか目覚めを遅くしたものと思われます。眠れないほどの悩みとはいったい何だったのでしょうか。手がかりは泪しかありません。なぜ視覚をつかさどる目という器官が、同時に悲しみを表現するためにもあるのだろうと、不思議に思ったことがあります。その悲しみが限界を越えた所で、人はここから水をこぼします。眠れずに心を痛めたあげくの泪が、幾すじも頬をつたい、耳にたまってゆくのです。昼日中の泪なら、泣けば心が晴れるということもあるかもしれません。でも、この泪はそのまま翌日に持ち越しているようです。いつまでも寝ているわけにも行かず、起き上がり、身支度をした頃には、もちろん耳に入った泪はぬぐいさられています。それにしてもわたしは、この人がその日を、どのように乗り越えたのかを、どうしても想像してしまいます。目と、耳と、悲しみを二箇所にもためた人が、どのように悲しみを乗り越えたのかを。『現代俳句の世界』(1998・集英社)所載。(松下育男)


February 0922008

 黒といふ色の明るき雪間土

                           高嶋遊々子

京に今週三度目の雪の予報が出ている。しかしまあ、降ったとしても一日限り、翌日は朝からよく晴れて、日蔭にうっすら青みを帯びた雪が所在なげに残っているものの、ほとんどがすぐ消えてゆくだろう。雪間とは、長い冬を共に過ごした一面の雪が解けだして、ところどころにできる隙間のことをいい、雪の隙(ひま)ともいう。雪間土とは、そこに久しぶりに見られる黒々とした土である。雪を掻いた時に現れる土は凍てており、まだ眠った色をしているのだろう。それが、早春の光を反射する雪の眩しさを割ってのぞく土の黒は、眠りから覚め、濡れて息づく大地の明るさを放っている。よく見ると、そこには雪間草の緑もちらほらとあり、さらに春を実感するのだろう。残念ながら、私にはそれほどの雪の中で冬を過ごして春を迎えた経験はないが、黒といふ色、という、ややもってまわった表現が、明るき、から、土につながった瞬間に、まるで雪が解けるかのような実感を伴った風景を見せてくれるのだった。「ホトトギス新歳時記」(1986・三省堂)所載。(今井肖子)


February 0822008

 雪の橋をヤマ去る一張羅の家族

                           野宮猛夫

宮猛夫。一九二三年北海道浜益村に八人兄弟の末っ子として生まれる。子供の頃は浜辺の昆布引きに加わり、尋常高等小学校卒業後、鰊船に乗る。鰊の不漁にともない、炭鉱に入る。炭鉱の落盤事故で死線をさまよい、脊椎を痛めたため川崎に出て、ダンプカーの運転に従事。俳句は、「青玄」、「寒雷」「道標」に拠り現在は「街」。一九五六年に「寒雷」に初投句で巻頭。そのときの句に「蛙けろけろ鉱夫ほら吹き三太の忌」「眉に闘志おうと五月の橋を来る」。これらは楸邨激賞の評を得た。生活の中から体ごと詩型にぶつけて作る態度である。労働のエネルギーはこの作家の場合は決してイデオロギーの主張にいかない。党派的なアジテーションや定番の宣伝画にはならない。原初のエネルギーで詩型が完結し昇華する。ヤマを去るときの家族の一張羅が切なくも美しい。上句の字余りがそのまま心情の屈折を映し出す。時代の真実も個人の真実もそこに刻印される。『地吹雪』(1959)所収。(今井 聖)




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