はや二月。日の光りは徐々に春めいてきて、確かに日脚も伸びてきましたね。(哲




2008ソスN2ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0122008

 白鳥にもろもろの朱閉ぢ込めし

                           正木ゆう子

はあけとも読むが、この句は赤と同義にとって、あかと読みたい。朱色は観念の色であって、同時に凝視の色である。白鳥をじっと見てごらん、かならず朱色が見えてくるからと言われれば確かにそんな気がしてくる。虚子の「白牡丹といふといへども紅ほのか」と趣が似ている。しかし、はっきり両者が異なる点がある。虚子の句は、白牡丹の中に自ずからなる紅を見ているのに対し、ゆう子の方は「閉ぢ込めし」と能動的に述べて、「私」が隠れた主語となっている点である。白鳥が抱く朱色は自分の朱色の投影であることをゆう子ははっきりと主張する。朱色とはもろもろの自分の過去や内面の象徴であると。イメージを広げ自分の思いを自在に詠むのがゆう子俳句の特徴だが、見える「もの」からまず入るという特徴もある。凝視の客観的描写から内面に跳ぶという順序をこの句もきちんと踏まえているのである。『セレクション俳人正木ゆう子集』(2004)所載。(今井 聖)


January 3112008

 山々をながめて親を手放す日

                           佐藤みさ子

きてゆく限り人間は一人。日々「家族」に囲まれて孤独を紛らわせていても、いつか親は子と別れ、子は老いた親を見送る日が来る。「手放す日」とは親との永遠の別れの日なのか、親を他所へ送り出す日なのか。いずれにせよ子供を独立させるのとは違うやるせなさが漂う。「山々をながめて」という何気ない行為が親を手放すという尋常ならざる出来事とつながっていることで日常に隠されている恐ろしさ、さびしさを際立たせる。俳句の季語のように共通普遍なイメージを喚起させる言葉の力学を用いない川柳は、普段の言葉で日常の深い裂け目を書いてみせる形式である。「味方ではないが家族が二、三人」「何ももう産まれぬ家に寝静まる」など、シニカルな視点で現代の家族の距離感や空白感が描かれている。親族の肩書きを持っていても心が離れれば近くにいて遠慮がないだけに致命的な戦いになってしまうこともある。ただならぬ関係のまま形だけ持続している家族だってあるだろう。いま、この世の中で家族とはどういう存在なのか。自らの身を時代の鏡にうつしだして語られる言葉は人が本来有している淋しさを感じさせるとともに私たちが身を置く人間関係の痛い部分に直に触れてくるようだ。『呼びにゆく』(2007)所収。(三宅やよい)


January 3012008

 悔もちてゆく道ほそし寒椿

                           村野四郎

ゆえの「悔(くい)」なのかはわからない。けれども、よほどずしりと重たく身にこたえるような「悔」なのであろう。自分がかかえてしまった「悔」の大きさに比べて、自分が今たどる道はあまりに細く、頼りなく感じられるのであろう。道に沿って咲いている寒椿が、かろうじてポッとかすかな慰めのように感じられるが、身も心もやはり寒々しい。寒椿は言うまでもなく寒中に咲く花で、冬椿とも呼ばれる早咲きの椿である。掲出句からは、どうしようもなくひっそりと淋しげに咲いている寒椿の気配が伝わってくる。「悔もちてゆく」身には、その気配がいっそうせつなく感じられる反面、かすかな慰めにもなっているのであろう。敗戦後、「風船句会」という詩人たちの句会があり、四郎がその句会に出席したときに作ったものであり、「食器洗ふおとも昏れをり寒椿」という一句もならんでいる。句会の常連メンバーは田中冬二、城左門、安藤一郎をはじめ、顔ぶれはだいたい戦中に解散した「風流陣」という俳句誌に寄っていた詩人たちだった。四郎は当時、「現代詩としての俳句」というエッセイを「新俳句」誌に発表したりして、俳句に対する造詣が深かった。その詩には、俳句に打ちこんだ者のセンスがしっかり生きている。彼はすでに大正末期に俳句誌「層雲」に数年属していたことがあり、「私は詩人になる前に俳人であった」と明言している。自由律俳句から自由詩へ移行した珍しいケースと言えよう。しかし、四郎には句集は一冊もない。『文人俳句歳時記』(1969)所載。(八木忠栄)




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