辻征夫が逝って八年。別れ際に「ほんじゃ、また」と言うのが独特の挨拶だった。(哲




2008ソスN1ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1412008

 青春の辞書の汚れや雪催

                           寺井谷子

さに翳りが出始めたことを自覚した年齢での作句だろう。でも「青春」は、まだそんなに遠い日のことではない。だから青春期からの辞書を、引き続き使っているのである。「雪催(ゆきもよい)」は、そんな年代を象徴させた季語でもあるようだ。必要があって辞書を手に取ると、汚れが目立つ。その汚れは、一所懸命に辞書を引いて勉強した頃の証左でもあり、ふっと当時のことがあれこれと思い出されて、作者はしばし甘酸っぱい気分になっている。その時分からたいした時間も経ってはいないのに、もうあの頃のはつらつとした生の勢いからは離れようとしている自分が感じられ、あらためて気を取り直し、青春期のように気を入れて辞書を引こうとしている作者の姿が目に浮かぶ。しかし、作者がこの句で書こうとしたのは青春を失った哀感ではなく、むしろ逆の甘美に近い感興だと思う。何かを失うことだって、甘美に思われることもあるのだ。そして表では、やがて静かに雪が降り出すだろう。しかし我が辞書は、そんな杳い雪のなかでも、あくまでも青春時代のままにはつらつとしてありつづけるだろう。今日、成人の日。『笑窪』(1986)所収。(清水哲男)


January 1312008

 初しぐれ鳩は胸より歩き出す

                           久留島春子

ぐれにまで「初」がついているのかと、新年に寄せる日本人の思いをあらためて感じ入ります。しぐれは漢字で書けば「時雨」。冬にぱらぱらと降る通り雨のことですが、この漢字を「じう」と読めば「ちょうどよい時に降る雨」という意味を持ちます。「時雨心地(しぐれごこち)」となれば、「涙の出そうな気持ち」になります。さて、句はそんな情けない気持ちとは関係なく、年があらたまって初めて空から落ちてきた冷たい雨を詠んでいます。空を見上げたまなざしを下へもどせば、乾いた地面に雨の模様がつき始めた中を、鳩がおもむろに歩き出しています。その鳩の姿を、見たままに描いています。「初」の文字と「歩き出す」が、新年のことのあらたまりを感じさせます。それも鳩のように大きく胸を張ってという表現が、雨にもかかわらず前に進んで行こうという気概を表しています。それでも句は、全体におちついていて静かな空気を感じさせます。小さな動物に目を凝らすという、そんな行為のやさしさが、おそらく観察の根底にあるからです。『観賞歳時記 冬』(1995・角川書店)所載。(松下育男)


January 1212008

 息白くうれし泪となりしかな

                           阿部慧月

よいよ寒さの増すこの時期、朝、窓を開けて吐いた息が、そのまま目の前で白く変わってゆくのを見るのは、寒いなあと感じると同時に、どこか不思議な気分になる。ふだんは目に見えないものが見えるからだろうか。先日、人であふれかえる明治神宮で、中国人の一団が大きい声で話しながら歩いているのに遭遇。早口の中国語は、鳥語よりもわからないくらいだったが、次々に飛び出す言葉はみるみる白い息となり、混ざり合って消えていった。この句の白い息は、うれし泪になった、という。遠くから、作者に向かって誰かが走って来る。何かとてもうれしいことがあって、それを一刻も早く伝えたかったのか、ただただ作者に会いたかったのか。そして、無言のまま弾んでいる息は、何か言いたげに、白く白く続けざまに出てくるのだが言葉にならない。そのうち、言葉よりも先にうれし泪があふれ出てきたのである。もちろん、息白く、で軽く切れているのであり、息が泪になったわけではないが、言葉よりも先に瞳からあふれ出た感情が、白い息によって、強く読み手に伝わってくる。泪は、涙と同じだが、さんずいに目、という直接的な字体が、なみだをより具体的に感じさせる。『帰雁図』(1993)所収。(今井肖子)




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