新風舎につづいて草思社が事実上倒産。関連零細企業の痛手はいかばかりか。(哲




2008ソスN1ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1112008

 現身の暈顕れしくさめかな

                           真鍋呉夫

つしみのかさあらはれしくさめかなと読む。暈は、太陽や月の周辺に現れる淡い光の輪のこと。くしゃみをした瞬間、その人の体の周辺に暈が茫と出現した。くしゃみだからこそ、生きてここに在ることの不思議と有り難さと哀しみが滲む。六十年代のテレビ映画の「コンバット」は一話完結の戦争物として一世を風靡したが、その一話に、戦友の姿が曇って見えると必ずその人が戦死することに気づいた兵士の話があった。兵士は次第に自分の能力が怖くなる。ある日鏡に映った自分の姿が曇って見える。その日は前線から後方へ移動する日で、みなこの兵士を羨んだが、兵士は移動の途中地雷でジープごと吹っ飛ぶ。この話の「曇り」は仕掛けもオチもあるけれど、この句の暈は感覚が中心で、理屈で始末のつくオチがない。どこか生と死の深遠に触れている怖ろしさがある。くさめというおかしみを通して存在の深遠に触れる。こういうのを俳諧の本格というのだろう。『定本雪女』(1998)所収。(今井 聖)


January 1012008

 寒星や神の算盤ただひそか

                           中村草田男

たい空気に冴え冴えと光る寒星。星と星が触れればグラスとグラスがかち合う硬質の響きをたてそうだ。だが、そんな想像とは関係なく冬の夜空は星座の配列をくっきりと際立たせている。「算盤(そろばん)」は珠(たま)枠(わく)芯(しん)で構成されている。普段の計算道具は電卓にとってかわられたけど、あの細長くコンパクトな外見からは考えられないくらい大きな桁の加減乗除をこなす。珠の動かしかたをろくに知らない私にとっては無用の長物だったけど、算盤に優れた友達を見るたび羨ましくてしかたなかった。珠を繰るその速さと正確さもそうだけど、目の前に算盤がなくとも指先を少し動かすだけであっというまに暗算をやってのけるのが格好よかった。掲句は「神の算盤」と桁外れにスケールが大きい。この「算盤」は形としては三ツ星などを想像させるが、その背後で天体の運行を支配する大いなる意志をも表現しているのだろう。算盤は軽快に珠をはじいてこその道具。それを「ひそか」と形容することで本来算盤が持っている神秘的な性格を寒星の動きに重ね合わせて連想させる。草田男の句は眼前の事象を手掛かりに遥かな時空へと読み手の心を広げてくれるようだ。『銀河依然』(1953)所収。(三宅やよい)


January 0912008

 古今亭志ん生炬燵でなまあくび 

                           永 六輔

草は過ぎたけれども、今日あたりはまだ正月気分を引きずっていたい。そして、もっともらしい鑑賞もコメントも必要としないような掲出句をながめながら、志ん生のCDでもゆったり聴いているのが理想的・・・・・本当はそんな気分である。いかにも、どうしようもなく、文句なしに「志ん生ここにあり」の図である。屈託ない。炬燵でのんびり時間をもてあましているおじいさま。こちらもつられてなまあくびが出そうである。まことに結構な時間がここにはゆったりと流れている。特に正月の炬燵はこうでありたい。志ん生(晩年だろうか?)に「なまあくび」をさせたところに、作者の敬愛と親愛にあふれた志ん生観がある。最後の高座は七十八歳のとき(1968)で、五年後に亡くなった。高座に上がらなくなってからも、家でしっかり『円朝全集』を読んでいたことはよく知られている。一般には天衣無縫とか豪放磊落と見られていたが、人知れず研鑽を積んでいた人である。永六輔は「東京やなぎ句会」のメンバーで、俳号は六丁目。「ひょんなことで俳句を始めたことで、作詞家だった僕は、その作詞をやめることにもなった」と書く。言葉を十七文字に削ると、作詞も俳句になってしまうようになったのだという。俳句を書いている詩人たちも、気を付けなくっちゃあね(自戒!)。矢野誠一の「地下鉄に下駄の音して志ん生忌」は過日、ここでとりあげた。六丁目には「遠まわりして生きてきて小春かな」という秀句もある。『友あり駄句あり三十年』(1999)所載。(八木忠栄)




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