今日から仕事始めの人もいる。七日からの人もいる。私は前者、行ってきます。(哲




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January 0412008

 雪の岳空を真青き玻璃とする

                           水原秋桜子

年の加藤楸邨先生をドライブで一の倉沢にお連れしたのは確か十四年前の晩秋だった。足腰が弱られていたために車を降りてからは車椅子。岩場を縫っての「吟行」になった。この前後の頃に何度先生をさまざまなところへお連れしたことだろう。「歩行的感動」という言葉を出して句作の機微を説明されたほど、実際にものに触れてつくることを旨とされていたので、外に出ることがかなわぬようになると、句が固定的な観念に頼り痩せてくることを避けようとされていたのだった。一の倉沢のてっぺんは雪を被っていたような気がする。覆いかぶさるように上空を囲った岩場の絶巓から木の葉がはらはらと落ちてきた。先生は句帖を開いて太字の鉛筆を持ち、ときおり何かを書き付けておられた。車椅子を押していた僕は上から覗き込んで手帖の中を見た。そこには上句として一の倉沢。行を変えて一の倉沢。次もまた。一の倉沢が三行並んでいた。この「一の倉沢」を、先生はその後推敲して句にされ発表されたような記憶があるが、どんな句だったか覚えていない。没後編まれた句集『望岳』には載っていない。秋桜子のこの句も谷川岳で詠まれた。おそらく一の倉沢だろう。ガラスのような青空から降ってきた木の葉を忘れられない。河出文庫『俳枕(東日本)』(1991)所載。(今井 聖)


January 0312008

 舞ふ獅子にはなれて笛を吹けりけり

                           安住 敦

子舞は悪魔を祓うとともにその年の豊作を願うのが目的という。獅子のおおきな口で頭を噛んでもらうと無病息災につながると言われるのも獅子が邪気払いのシンボルだからだろう。むかしは玄関先にも獅子舞が「舞いましょうか」と訪ねてきた覚えがあるが、今ではどうなのだろう。私は毎年近くの神社で年越の獅子舞を見ている。本殿の右横にある小さな神楽殿で笛に合わせて舞っている獅子を横目で見ながら初詣の列を進む。お参りが済んだあと焚き火を囲んで温かい甘酒が振舞われるのも魅力だ。掲句の獅子舞は舞台なのか街角なのかはわからないが、観客の視線は獅子の一挙一動に集中している。そこからすっと視線をずらして少し離れた笛の吹き手を描写している。笛は「ささら」と呼ばれる横笛でぴいひゃらと調子のよい節回しを奏でていることだろう。「吹けりけり」ときっぱりした表現が印半纏にぴっちりと身にあった股引をはいたきりりとした立ち姿を想像させる。大きな獅子が細く高い笛の音色に操られて激しく踊る。その熱狂の中心からふっと目を転じて「はなれて」笛を吹いている笛の吹き手を注視している冴え冴えとした視線に、俳人としての見つけどころを感じさせる。角川「俳句手帖」季寄せ(2003)所載。(三宅やよい)


January 0212008

 今朝の春玲瓏として富士高し

                           廣津柳浪

けてはや二日。冬とはいえ、正月はどこかしら春がいくぶんか近くなった気持ちを抑えきれない。「玲瓏(れいろう)」などという言葉は、今や死語に近いのかもしれない。「うるわしく照りかがやくさま」と『広辞苑』にあるとおり、晴ればれとして曇りのない天気である。霞たなびく春ではない。作者はどこから富士を望んでいるのか知りようもない。まあ、どこからでもよかろう。今でも、都内で高層ビルにわざわざ上がらなくても、思いがけない場所からひょっこりと富士山が見えたりして、びっくりすることがある。そのたびにやっぱり富士ってすげえんだと、改めて思い知らされることになる。空気が澄んでいて、いつもより一段と富士山が高く感じられるのであろう。あたりを払って高く感じられるだけでなく、その姿はいつになく晴ればれとしたものとして感受されている。「今朝の春」という季語は「初春」「新春」「迎春」などと一緒にくくられているところからも、春浅く、まだ春とは名ばかりといったニュアンスが含まれている。作者の頭には「一富士、二鷹、三茄子」もちらついていたのかもしれない。さっそうとしてどこかしらめでたい富士の姿。芭蕉の「誰やらが形に似たりけさの春」は春早々のユーモア。深刻・悲惨な小説を書いた柳浪にしては、からりとして晴朗な新春である。廣津和郎は柳浪の次男。『文人俳句歳時記』(1969)所載。(八木忠栄)




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