今日と明日は「俳句界」二月号の校正。やっとかないと、正月も休めないことに。(哲




2007ソスN12ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 27122007

 太箸に飼犬の名も加えけり

                           清水凡亭

日は御用納め。週末から年用意を始められる方も多いだろう。太箸は新年の雑煮の餅をいただくのに、折れては縁起が悪いので柳などで作られるという。赤や金のふち飾りのある箸袋へ墨をたっぷり含ませた筆で家族一人ひとりの名前を書いてゆく。娘や息子も別世帯を持ちいまや家族は夫婦のみ。あまった箸袋の一つに飼い犬の名前を書いてやる。昔は犬を人間なみに扱う飼い主をどうかと思っていたけど、身近に犬を飼うようになりその温もりに慰められている今となっては作者の気持ちはよくわかる。家族が共に過ごす時間はずっと続くかのように見えて限られているもの。いつもテーブルの下にいる犬の名前を書き添えた太箸をテーブルに置いてお雑煮をいただく。これが猫の飼い主なら箸袋に飼い猫の名前を書くだろうか?何となく猫派は書かないような気がするのだけど、どうだろう。作者凡亭は清水達夫「戦後雑誌の父」とも言われた編集者。初代編集長をつとめた「平凡パンチ」「週刊平凡」を百万部雑誌に育てあげたと、その略歴にある。「生涯一編集者かな初暦」「本つくる話はたのし炉辺の酒」これらの句にあるように最後の最後まで編集に意欲を燃やし、新しい雑誌の企画を仲間と練り続けた人だったらしい。『ネクタイ』(1993)所収。(三宅やよい)


December 26122007

 下駄買うて箪笥の上や年の暮

                           永井荷風

や、こんな光景はどこにも見られなくなったと言っていい。新年を迎える、あるいはお祭りを前にしたときには、大人も子供も新しい下駄をおろしてはくといった風習があった。私たちが今、おニューの靴を買ってはくとき以上に、新しい下駄をおろしてはくときの、あの心のときめきはとても大きかったような気がする。だって、モノのなかった当時、下駄はちびるまではいてはいてはき尽くしたのだもの。そのような下駄を、落語のほうでは「地びたに鼻緒をすげたような・・・」と、うまい表現をする。私の地方では「ぺっちゃら下駄」と呼んでいた。♪雨が降るのにぺっちゃら下駄はいて・・・と、ガキどもは囃したてた。さて、「日和下駄」で知られる荷風である。新年を前に買い求めた真新しい下駄を箪笥の上に置いて眺めながら、それをはきだす正月を指折りかぞえているのだろう。勘ぐれば、同居している女の下駄であるかもしれない。ともかく、まだはいてはいない下駄の新鮮な感触までも、足裏に感じられそうな句である。下駄と箪笥の取り合わせ。買ったばかりの下駄を、箪笥の上に置いておくといった光景も、失われて久しい。その下駄をはいてぶらつくあらたまの下町のあちこち、あるいは訪ねて行くいい人を、荷風先生にんまりしながら思い浮かべているのかもしれない。あわただしい年の暮に、ふっと静かな時間がここには流れている。「行年に見残す夢もなかりけり」も荷風らしい一句である。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


December 25122007

 石蕗の花母声あげて吾を生みし

                           本宮哲郎

日クリスマス。これほどにクリスマス行事が浸透している日本で、今や聖母マリアと神の子イエスの母子像を見たことのない人はいないだろう。聖母マリアの像の多くは、わが子にそそぐまなざしのため、うつむきがちに描かれる。伏し目姿の静かな母とその胸に抱かれた幼子を完璧な母子像として長い間思い込んでいたが、掲句を前に一変した。石蕗の花のまぶしいほどの黄色が、絶叫の果ての母の喜びと、健やかな赤ん坊の大きな泣き声にも重なり、それは神々しさとは大きく異なるが、しかし血の通う生身の母子像である。絵画となると美しさに目を奪われるばかりの母子像だが、落ち着いて考えてみれば、大木あまりの〈イエスよりマリアは若し草の絮〉にもある通り、マリアには肉体の実感がまったくない。しかし、どれほど美しく描かれようとも、処女でいなければならず、また年を取ることも許されず、わが子の死に立ち会わねばならなかった聖母マリアの悲しみを、今日という日にあらためて感じたのであった。『伊夜日子』(2006)所収。(土肥あき子)




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