昨夜の忘年会。同じ姿勢で坐り続けていたせいだろう、帰りは若干歩行困難に。(哲




2007ソスN12ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 26122007

 下駄買うて箪笥の上や年の暮

                           永井荷風

や、こんな光景はどこにも見られなくなったと言っていい。新年を迎える、あるいはお祭りを前にしたときには、大人も子供も新しい下駄をおろしてはくといった風習があった。私たちが今、おニューの靴を買ってはくとき以上に、新しい下駄をおろしてはくときの、あの心のときめきはとても大きかったような気がする。だって、モノのなかった当時、下駄はちびるまではいてはいてはき尽くしたのだもの。そのような下駄を、落語のほうでは「地びたに鼻緒をすげたような・・・」と、うまい表現をする。私の地方では「ぺっちゃら下駄」と呼んでいた。♪雨が降るのにぺっちゃら下駄はいて・・・と、ガキどもは囃したてた。さて、「日和下駄」で知られる荷風である。新年を前に買い求めた真新しい下駄を箪笥の上に置いて眺めながら、それをはきだす正月を指折りかぞえているのだろう。勘ぐれば、同居している女の下駄であるかもしれない。ともかく、まだはいてはいない下駄の新鮮な感触までも、足裏に感じられそうな句である。下駄と箪笥の取り合わせ。買ったばかりの下駄を、箪笥の上に置いておくといった光景も、失われて久しい。その下駄をはいてぶらつくあらたまの下町のあちこち、あるいは訪ねて行くいい人を、荷風先生にんまりしながら思い浮かべているのかもしれない。あわただしい年の暮に、ふっと静かな時間がここには流れている。「行年に見残す夢もなかりけり」も荷風らしい一句である。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


December 25122007

 石蕗の花母声あげて吾を生みし

                           本宮哲郎

日クリスマス。これほどにクリスマス行事が浸透している日本で、今や聖母マリアと神の子イエスの母子像を見たことのない人はいないだろう。聖母マリアの像の多くは、わが子にそそぐまなざしのため、うつむきがちに描かれる。伏し目姿の静かな母とその胸に抱かれた幼子を完璧な母子像として長い間思い込んでいたが、掲句を前に一変した。石蕗の花のまぶしいほどの黄色が、絶叫の果ての母の喜びと、健やかな赤ん坊の大きな泣き声にも重なり、それは神々しさとは大きく異なるが、しかし血の通う生身の母子像である。絵画となると美しさに目を奪われるばかりの母子像だが、落ち着いて考えてみれば、大木あまりの〈イエスよりマリアは若し草の絮〉にもある通り、マリアには肉体の実感がまったくない。しかし、どれほど美しく描かれようとも、処女でいなければならず、また年を取ることも許されず、わが子の死に立ち会わねばならなかった聖母マリアの悲しみを、今日という日にあらためて感じたのであった。『伊夜日子』(2006)所収。(土肥あき子)


December 24122007

 立読みの女が日記買ひにけり

                           長谷川和子

者は書店員なのだろう。そうでなければ、「立読み」が気になるわけがない。句意は明瞭だが、なんとなく可笑しい句だ。店に入ってきてから、「女」は相当に長い時間しつこく立読みしている。店員としては、かなり苛々させられる「客」だ。そんなにその本が読みたければ、買って帰ればよいものを。よほど懐がさびしいのだろうか、それとも……などと気になって、ときどきちらちらと視線を送っている。早く出ていって欲しいな。営業妨害とまでは言えなくとも、とにかく邪魔っけだ。と、なおも苛々が募ってきた矢先のこと、件の女性がぱたっと立読みを止め、日記帳のコーナーからさっと一冊を取り出すや、真っすぐにレジに向かって買って行ってしまったと言うのである。おそらく、安くはない一冊だったのだろう。作者はそんな彼女の後ろ姿に、口あんぐり。ほっとしたような、してやられたような、なんとも言えない妙な気分がしたはずである。小さな職場での小さな出来事にしかすぎないけれど、大袈裟に言えば、この句は人間という生き物のわかりにくさを実に的確にスケッチしている。まことに、人は見かけによらないのである。ところで、日記帳は多くこのように書店で売られているが、果たして日記帳は「本」なのだろうか。私には「ノート」と思えるのだが、だとすれば何故文具店にはあまり置かれていないのだろう。なんてことがそれこそ気になった時期があって、そのときの私なりの一応の結論は、博文館日記全盛の頃からの名残りだろうということだった。つまり昔から、日記帳は流通の経路が文具とは別のルートを通っていたので、それがそのまま現代に及んでいるというわけだ。そう言えば、書籍の流通業者には、本の中身なんぞはどうでもよろしいというようなところがある。『現代俳句歳時記・冬』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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