クリスマスに二度、アメリカにいたことがある。表通りも静かだったなあ。(哲




2007ソスN12ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 24122007

 立読みの女が日記買ひにけり

                           長谷川和子

者は書店員なのだろう。そうでなければ、「立読み」が気になるわけがない。句意は明瞭だが、なんとなく可笑しい句だ。店に入ってきてから、「女」は相当に長い時間しつこく立読みしている。店員としては、かなり苛々させられる「客」だ。そんなにその本が読みたければ、買って帰ればよいものを。よほど懐がさびしいのだろうか、それとも……などと気になって、ときどきちらちらと視線を送っている。早く出ていって欲しいな。営業妨害とまでは言えなくとも、とにかく邪魔っけだ。と、なおも苛々が募ってきた矢先のこと、件の女性がぱたっと立読みを止め、日記帳のコーナーからさっと一冊を取り出すや、真っすぐにレジに向かって買って行ってしまったと言うのである。おそらく、安くはない一冊だったのだろう。作者はそんな彼女の後ろ姿に、口あんぐり。ほっとしたような、してやられたような、なんとも言えない妙な気分がしたはずである。小さな職場での小さな出来事にしかすぎないけれど、大袈裟に言えば、この句は人間という生き物のわかりにくさを実に的確にスケッチしている。まことに、人は見かけによらないのである。ところで、日記帳は多くこのように書店で売られているが、果たして日記帳は「本」なのだろうか。私には「ノート」と思えるのだが、だとすれば何故文具店にはあまり置かれていないのだろう。なんてことがそれこそ気になった時期があって、そのときの私なりの一応の結論は、博文館日記全盛の頃からの名残りだろうということだった。つまり昔から、日記帳は流通の経路が文具とは別のルートを通っていたので、それがそのまま現代に及んでいるというわけだ。そう言えば、書籍の流通業者には、本の中身なんぞはどうでもよろしいというようなところがある。『現代俳句歳時記・冬』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


December 23122007

 短日や電車の中を人歩く

                           河合すすむ

つか新聞で読んだのですが、「冬の鬱」という病気があるそうです。眠気がひどく、食欲が増すということで、普通の鬱とは違うのだと書いてありました。日が短くなるのが原因なのだそうです。個人的な事情や悩みからではなく、季節がもたらすこのような病に、しらずしらず私たちは抵抗していたのかと、思ったものです。クリスマス、大晦日、正月と、この時期に賑わしく人々が集おうとするのも、心を明るい方向へ向かわせたいというけなげな願いからきているのかもしれません。さて、本日の句です。季語はまさに「短日」。たしかにこのごろは、私の働くオフィスの大きなガラス窓も、午後も4時半を過ぎれば早々と暗くなり始めます。これほどの日の長さかと、仕事に疲れた顔を窓に向けては、時の過ぎるのを惜しく思います。句の中の人は、電車に乗っていてさえ、かぎりある「時」を大切に使おうとしているようです。電車の中を歩いているのは、到着駅で降りる場所を、少しでも改札の近くへ持って行きたかったからなのでしょうか。あるいは、なにか気にかかることでもあって、移動する車両の中でさえ、いてもたってもいられなかったのでしょうか。どのような理由であれその歩みは、過ぎ去る「時」を追いかけているように、思われます。『観賞歳時記 冬』(1995・角川書店)所載。(松下育男)


December 22122007

 シリウスの青眼ひたと薬喰

                           上田五千石

星、天狼星、とも呼ばれる、最も明るい冬の星、シリウス。オリオンの三つ星の東南に最後に上り、青白く強い光を放つ恒星である。青眼は正眼であろうから、正面にシリウス。真夜の凍った空気と薬喰(くすりぐい)。肉食が禁じられていた頃、特に冬に体を温める目的でひそかに獣肉を食べたことから、冬に獣肉を食べることを薬喰と呼ぶ。中でも鹿肉は、血行をよくするというので好まれたという。先日、鹿肉の刺身をいただく機会があった。魚はもちろん、鳥肉、馬肉、鯨肉、と刺身は好きなのだが、鹿は初めて。小鉢に盛られたその肉は、鮪のような深い赤であり、ほの甘く癖もなく美味だったのだが、「鹿です」と言われた瞬間、まさに鹿の姿が目の前に浮かび、一瞬たじろいだ。それも、何年か前に訪れた奈良、夜の公園近くの道端の茂みから、突然飛び出して来た鹿の姿が浮かんだのだ。昼間見たのんびりとした様子とは一変し、月に照らされた鹿は、まさに獣であった。それでも結局食べたんでしょ、いつもあれこれ肉を食べてるんでしょ、まさにその通りではあるのだが、あの鹿肉の瑞々しい赤が、月夜の鹿の黒々とした姿と共に脳裏を離れない。そして、掲句の、青眼ひたと、の持つ静謐で鋭い切っ先に、再びたじろいでしまうのだった。「新日本大歳時記」(1999・講談社)所載。(今井肖子)




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