午後から余白忘年句会。ゲストに池田澄子さん。例年年末だけは出席率が良い。(哲




2007ソスN12ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 15122007

 一心の時ゑくぼ出て毛糸編む

                           井上哲王

時記の、毛糸編む、の項を見ると、〈こころ吾とあらず毛糸の編目を読む〉〈毛糸編はじまり妻の黙はじまる〉前者が山口誓子、後者が加藤楸邨。いずれも、毛糸を編むことにのみ集中している妻の姿が詠まれている。続いて、戸川稲村の〈祈りにも似し静けさや毛糸編む〉。編み棒を動かしながら、一目一目編んでいる姿、美しい横顔が浮かんでくる。毛糸編む、は、冬のぬくもりを感じさせる季節の言葉である。掲句は、前後の句から推して、生まれてくる我が子のために編み物をしている妻を詠んだものと思われる。一心に編む妻の頬か口元か、えくぼが見える。笑窪、なので、笑った時にできるのは当然だが、確かに、キュッと口元に力が入った時にもできる。一心の時ゑくぼ出て、という叙し方に、言葉が思わず口をついて出てしまった、という感じがあり、客観的に対象を見ている前出の三句とは、また違ったほほえましさのある一句となっている。ちなみに、この句に目がとまって、えくぼか、と思い検索してみると、最初に「えくぼは簡単に作れる!費用は20万円」と出て、少々驚いた。靨、という漢字も初めて知ったが、厭な面?と思ったらそうではなく、厭(押す、押さえる)とあり、なるほどそういうことかと。「石見」(1997)所収。(今井肖子)


December 14122007

 無方無時無距離砂漠の夜が明けて

                           津田清子

漠の句だから無季。無方向、無時間を無方、無時と縮めていうのはかなり強引だが、この強引さが現場での感動の強さをそのまま表している。清子は誓子門の逸材。誓子は切れ字「や」「かな」を極度に嫌った。古い俳句的情緒を否定し、同時代の感興を俳句に盛ろうとした。この切れ字否定と同時代的感興を盛ること。この二点では誓子は新興俳句運動の先鞭となったが、季語使用については遵守を唱え、やがてその運動とは一線を画した。季語遵守でありながら、旧情緒否定ということは、「写生」という方法の中で現実のリアリティを求めていくということ。しかし、それはどうしても季語があらねばならないという必然性は薄い。現実の風景を構成していく上で季節感の果たす意義を認めたとしてもである。この句、海外詠だから季語は無くても当然という理屈では解決できない問題点を提起する。そのとき、その瞬間の自分の感動を、自分の五感とのなまの触れあいを通して表現するという方法を字義通り実践すると季語はどうしても一義的な要件ではなくなる。感動の核の中で季語の存在意義は薄れてくるのである。別冊俳句「平成秀句選集」(2007)所載。(今井 聖)


December 13122007

 てめえの靴はてめえで探せ忘年会

                           山本紫黄

年もあとわずか。毎晩どこかで忘年会が開かれていることだろう。会も無事終わり「いいお年を」と声をかけあって、酒席を後にしたものの、その後の混乱がこれである。このごろは上がり口で個別に靴を入れて下足札をもらうところも多いようだけど、土間にずらりと黒革靴が並べてあれば、騒ぎは目に見えるようである。サイズやくたびれ具合もほぼ同じ靴のどれが誰のものやら酔眼で見分けるのは容易ではない。掲句はそのてんやわんやの騒ぎを自分も一緒に靴を探しながら楽しんでいるのか。または、自分の靴を自分で探そうとせずに、「俺の靴はどこだ、早く探せ」と部下を顎で使って靴を探させている上役に投げつけられたタンカなのか。どちらにしてもこのような言葉を俳句に入れるのは簡単そうに見えて難しい。その場の状況を一言で想像させる力、言葉の切れのよさと勢いと。そしてこの場合の季語は職場の全員が集い、一年の労苦をねぎらう「忘年会」がぴたりと決まる。この作者にお会いしたことはないけど、俳句でこんなタンカが切れるのだから、普段は物静かな紳士だったのだろう。「これは俳句といえないのでは」という句会での評に「僕が俳句というのだから俳句だ」と断じたのは師の西東三鬼だったと池田澄子さんから伺った。山本紫黄氏は今年八月、第二句集『瓢箪池』を上梓された直後、急逝された。『早寝島』(1981)所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます