クリック詐欺が巧妙化しているそうな。引け目から金を払う人が如何に多いか。(哲




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December 14122007

 無方無時無距離砂漠の夜が明けて

                           津田清子

漠の句だから無季。無方向、無時間を無方、無時と縮めていうのはかなり強引だが、この強引さが現場での感動の強さをそのまま表している。清子は誓子門の逸材。誓子は切れ字「や」「かな」を極度に嫌った。古い俳句的情緒を否定し、同時代の感興を俳句に盛ろうとした。この切れ字否定と同時代的感興を盛ること。この二点では誓子は新興俳句運動の先鞭となったが、季語使用については遵守を唱え、やがてその運動とは一線を画した。季語遵守でありながら、旧情緒否定ということは、「写生」という方法の中で現実のリアリティを求めていくということ。しかし、それはどうしても季語があらねばならないという必然性は薄い。現実の風景を構成していく上で季節感の果たす意義を認めたとしてもである。この句、海外詠だから季語は無くても当然という理屈では解決できない問題点を提起する。そのとき、その瞬間の自分の感動を、自分の五感とのなまの触れあいを通して表現するという方法を字義通り実践すると季語はどうしても一義的な要件ではなくなる。感動の核の中で季語の存在意義は薄れてくるのである。別冊俳句「平成秀句選集」(2007)所載。(今井 聖)


December 13122007

 てめえの靴はてめえで探せ忘年会

                           山本紫黄

年もあとわずか。毎晩どこかで忘年会が開かれていることだろう。会も無事終わり「いいお年を」と声をかけあって、酒席を後にしたものの、その後の混乱がこれである。このごろは上がり口で個別に靴を入れて下足札をもらうところも多いようだけど、土間にずらりと黒革靴が並べてあれば、騒ぎは目に見えるようである。サイズやくたびれ具合もほぼ同じ靴のどれが誰のものやら酔眼で見分けるのは容易ではない。掲句はそのてんやわんやの騒ぎを自分も一緒に靴を探しながら楽しんでいるのか。または、自分の靴を自分で探そうとせずに、「俺の靴はどこだ、早く探せ」と部下を顎で使って靴を探させている上役に投げつけられたタンカなのか。どちらにしてもこのような言葉を俳句に入れるのは簡単そうに見えて難しい。その場の状況を一言で想像させる力、言葉の切れのよさと勢いと。そしてこの場合の季語は職場の全員が集い、一年の労苦をねぎらう「忘年会」がぴたりと決まる。この作者にお会いしたことはないけど、俳句でこんなタンカが切れるのだから、普段は物静かな紳士だったのだろう。「これは俳句といえないのでは」という句会での評に「僕が俳句というのだから俳句だ」と断じたのは師の西東三鬼だったと池田澄子さんから伺った。山本紫黄氏は今年八月、第二句集『瓢箪池』を上梓された直後、急逝された。『早寝島』(1981)所収。(三宅やよい)


December 12122007

 不二筑波一目に見えて冬田面

                           三遊亭円朝

うまでもなく「不二」は「富士」、「筑波」は「筑波山」である。「田面」は「たづら」と読む。野も山も冬枯れである。不二の山や筑波山がはるかに一望できて、自分が立っているすぐ目の前には、冬枯れの田が寒々しく広がっている。葛飾北斎の絵でも見るような、対比が鮮やかで大きな句である。風景としてはここに詠まれているだけのものだろうが、明治の頃である。平野部からの当時の見晴らしのよさは言うまでもあるまい。“近代落語の祖”と呼ばれる名人円朝には、入りくんだ因縁噺で構成された数々の大作がある。噺の舞台となる各地へはいちいち実際に赴いて、綿密に調査して書きあげたことで知られる。代表作「怪談牡丹燈籠」「真景累ヶ淵」「塩原多助一代記」「鰍沢」などは、いずれもそうした成果を示している。「福禄寿」という噺は、北海道へまで踏査の足をのばしている。掲出句が詠まれた場所は、関東のどこか広々とした農村あたりを踏査している道すがら、ふと視野に入ったものと思われる。永井啓夫の名著『三遊亭円朝』(青蛙房)の巻末には、著者が集めた円朝の百十二句のうち百句が収められている。それらの句は発表する目的ではなく、紀行日記や書簡などに書きとめていたものゆえ、作為や虚飾のない句が多い。「はつ夢や誰が見しも皆根なし草」「また元の柱に寄りぬ秋の夕」。辞世の句は「眼を閉(とぢ)て聞き定めけり露の音」。明治三十三年、六十二歳で亡くなった。『三遊亭円朝』(1962)所収。(八木忠栄)




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