今年の漢字、福田首相は「信」。私は「暴」、国家から個人まで。みなさんは?(哲




2007ソスN12ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 12122007

 不二筑波一目に見えて冬田面

                           三遊亭円朝

うまでもなく「不二」は「富士」、「筑波」は「筑波山」である。「田面」は「たづら」と読む。野も山も冬枯れである。不二の山や筑波山がはるかに一望できて、自分が立っているすぐ目の前には、冬枯れの田が寒々しく広がっている。葛飾北斎の絵でも見るような、対比が鮮やかで大きな句である。風景としてはここに詠まれているだけのものだろうが、明治の頃である。平野部からの当時の見晴らしのよさは言うまでもあるまい。“近代落語の祖”と呼ばれる名人円朝には、入りくんだ因縁噺で構成された数々の大作がある。噺の舞台となる各地へはいちいち実際に赴いて、綿密に調査して書きあげたことで知られる。代表作「怪談牡丹燈籠」「真景累ヶ淵」「塩原多助一代記」「鰍沢」などは、いずれもそうした成果を示している。「福禄寿」という噺は、北海道へまで踏査の足をのばしている。掲出句が詠まれた場所は、関東のどこか広々とした農村あたりを踏査している道すがら、ふと視野に入ったものと思われる。永井啓夫の名著『三遊亭円朝』(青蛙房)の巻末には、著者が集めた円朝の百十二句のうち百句が収められている。それらの句は発表する目的ではなく、紀行日記や書簡などに書きとめていたものゆえ、作為や虚飾のない句が多い。「はつ夢や誰が見しも皆根なし草」「また元の柱に寄りぬ秋の夕」。辞世の句は「眼を閉(とぢ)て聞き定めけり露の音」。明治三十三年、六十二歳で亡くなった。『三遊亭円朝』(1962)所収。(八木忠栄)


December 11122007

 さっきまで音でありたる霰かな

                           夏井いつき

(あられ)は地上の気温が雪が降るよりわずかに高く、零度前後のときに多く見られるという。激しい雨の音でもなく、そっと降り積もる雪でもなく、もちろん雹の賑やかさもなく、霰の音はまさにかすかなる音、かそけき音だろう。そのささやかな音がいつの間にか止んでいる。それは雪に変わったのだろうか、それともあっけなく溶けてしまったのだろうか。作者は今現在の空模様を問うことなく、先ほどまでわずかにその存在を主張していた霰に思いを傾けている。霰というものの名の、短命であるからこその美を心から愛おしむように。蛇足ながら雹との違いは、直径2〜5mmのものを霰、 5mm以上のものを雹と区別する。まるでそうめんとひやむぎの違いのようだが、俳句の世界では、霰は冬、雹は夏と区別される。雷雲の中を上下するうちに雪だるま式に大きくなるため雷雲が発生しやすい夏に雹が降るというわけらしい。〈傀儡師来ねば死んだと思いけり〉〈ふくろうに聞け快楽のことならば〉『伊月集 梟』(2006)所収。(土肥あき子)


December 10122007

 歳晩の夕餉は醤油色ばかり

                           櫂未知子

はそうでもないかもしれないが、昔の「歳晩(年の暮)」の食卓情景は、たしかにこういう感じだったと懐かしく思い出す。歳晩の主婦は、なにかと新年の用意に忙しく、あまり日々の料理に気を遣ったり時間をかけたりするわけにはいかなかった。必然的に簡単な煮しめ類など「醤油色」のものに依存して、そそくさと夕餉をやり過す(笑)ことになる。煮しめと言ったつて、正月用の念入りな料理とはまた別に、ありあわせの食材で間に合わせたものだ。したがって押し詰まれば押し詰まるほどに、食卓は醤油色になっていき、それもまた年の瀬の風情だと言えば言えないこともない。昔はクリスマスを楽しむ風習もなかったから、師走の二十日も過ぎれば、毎日の夕餉の食卓はかくのごとし。農家だったころの我が家は、晦日近くになると、夕餉の膳には餅が加わり、これまたこんがり焼いて醤油色なのである。食べ物のことだけを言っても、このように歳末の気分を彷彿とさせられるところが、俳句の俳句たる所以と言うべきである。「俳句界」(2007年12月号)所載。(清水哲男)




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