多田道太郎さんが亡くなった。83歳。「小春日に片膝すすめ語る老」(道草)(哲




2007ソスN12ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 05122007

 木枯や煙突に枝はなかりけり

                           岡崎清一郎

京では今年十一月中旬に木枯一号が記録された。暑い夏が長かったわりには、寒気は早々にやってきた。さて、煙突に枝がないのはあたりまえ――と言ってしまうのは、子供でも知っている理屈である。この句には大人ならではの発見がある。さすがに清一郎、木枯のなかで高々と突っ立っている煙突を、ハッとするような驚きをもって新たに発見している。そこに「詩」が生まれた。木枯吹きつのるなかにのそっと突っ立っている煙突、その無防備な存在感に今さらのように気づかされている。文字通り手も足も出ない。木枯の厳しさを、無防備な煙突がいっそう際立たせているではないか。突っ立っている煙突に、人間の姿そのものを重ねて見ているのかもしれない。木枯を詠んだ句がたくさんあるなかで、清一郎のこの句は私には忘れがたい。昭和十一年に創刊された詩人たち(城左門、安藤一郎、岩佐東一郎、他)による俳句誌「風流陣」に発表された。「清一郎の夫人行くなり秋桜」という洒落た句も清一郎自身が詠んでいる。ユーモアと奇想狂想の入りまじったパワフルな詩を書いた、足利市在住の忘れがたい異色詩人であった。小生が雑誌編集者時代に詩を依頼すると、返信ハガキにとても大きな字で「〆切までに送りましょうよ」と書き、いつも100行以上の長詩をきちんと送ってくださった。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


December 04122007

 やんはりと叱られてゐるおでんかな

                           山本あかね

められるのも苦手だが、叱られるのはもっと苦手。などというと、誰だってそうだ、と突っ込まれそうだが、叱られたあとの空気をどうしたらよいのか、叱られながら考えてしまう。深く反省し、それなりにへこんでもいるのだが、その悲しみを店やその場にいる人に感染させてしまってはいけない、と強く思ってしまうからだ。褒められている場合には、茶化されておしまいか、にこにこ笑って話題が移るのを待っていればよいが、叱られている当事者ではそうはいかない。叱られている現実への困惑、思いあたるふしへの自照、この場の空気を悪くしていることへの恐縮、それらが三つ巴となって頭のなかをぐるぐるとめぐる。考えていることがフキダシとなって表れていたら、それこそ「大体そういうところが大人としておかしいのだ」とあらためて叱られるところだろう。というわけで、掲句にもわずかにどきっと心が騒いだ。しかし、やんわりと諭されて「はい、わかりました」と胸に刻みつつ、「あ、大根おいし」などとつぶやいている。そんな救いのある座を思い描くことができ、ほっと胸をなでおろしたのだった。叱る方も叱られる方もどちらも、それはそれとして上手に受け止め、次の話題へと流れているのだろう。おでんから立つそれぞれの湯気が、ふっくらとその場を包んでいる。〈鮟鱇を下ろして舟の軽くなる〉〈草の花兎が食べてしまひけり〉『大手門』(2007)所収。(土肥あき子)


December 03122007

 賀状書きつゞく鼠の尾のみえて

                           井沢唯夫

の秋に、新俳句人連盟から『新俳句人連盟機関誌「俳句人」の六〇年』をいただいた。全792ページという、掌に重い大冊である。連盟60年の歴史的記述や座談会も貴重で興味深く読んだが、なかで圧巻は「俳句人」の毎号の目次がすべて往時のままに図版で掲載されている部分だ。創刊号(1946年11月)の目次を見ると、日野草城、西東三鬼、石田波郷、橋本多佳子らが作品を寄せている。その後の連盟の歩みからすると、かなり異質な寄稿者たちとも思えるが、敗戦直後の特殊事情が大いに関係していたのだろう。見ていくとしばらくガリバン刷りの時期もあって、先人の労苦がしのばれる。ところで掲句だが、1979年5月号の目次欄に掲載されていた。したがって作句は前年末と推定されるが、ぱっと目に留まったのは、もちろん来年が鼠の年(子年)だからだ。あと半月もすると、多くの人たちがプリントされた「鼠(の尾)」の絵に半ばうんざりしながら賀状書きに励むことになる。何の疑いもなく、私はそのように微笑しつつ読み、しかし念の為にと調べてみたら、1979年は未年であり、作者の書いている賀状に鼠の絵などはあり得ないことがわかった。つまり、作者が詠んだのは本物の鼠(の尾)だったというわけだ。わずか三十年ほど前の話である。鼠がこれほどに人の身近にいたとは、とくに若い人には信じられないだろう。もう少しのところで、私はとんでもない誤読をやらかすところだった。今現在のあれこれだけを物差しに、昔の俳句を読むのは危険なのだ。その見本のような句と言うべきか。(清水哲男)




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