中日ファンのみなさん、おめでとう。今年の野球もこれでお終い。面白かった。(哲




2007ソスN11ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 01112007

 空箱の中の青空神の留守

                           高橋修宏

う今日から11月。年齢を重ねるごとに一年が過ぎるのがどんどん早くなる。秋たけなわの10月。年も押し詰まり気ぜわしい12月の間に挟まれて、秋と冬の移行期にある11月はぽかっと空白感の漂う月。11月を迎えるたびに「峠見ゆ十一月のむなしさに」という細見綾子の句が心に浮かんでくる。空箱の中に青空がある景色は不思議で作り物めいている。が、オフィス街のビルを空箱と考えてその窓々にうつる青空を見上げていると、なるほどビルの中に青空があるようだ。反対に青空を映しているオフィスの内にいて窓から外を見ると、果てもない青空に封じ込められている気がする。「の」と「の」の助詞の連続に外側から見る青空と内側から見る青空がだまし絵のようにひっくりかえる。たたけばコンと音がしそうに乾いた冬空はベルギーの画家ルネ・マグリットが好んで描いた空のイメージ。どこかウソっぽく見える青色はこの画家が描く空と質感が似通っている。「神の留守」は陰暦十月の異名。日本全国八百万の神が出雲大社へ参集し、日本の神社の神様が不在になる月。そんな物語めいた季語が句の雰囲気とよく調和しているように思える。『夷狄』(2005)所収。(三宅やよい)


October 31102007

 無駄だ、無駄だ、/大雨が/海のなかへ降り込んでいる

                           ジャック・ケルアック

藤和夫訳。原文は「Useless,useless,/theheavyrain/Drivingintothesea」の三行分かち書きである。特に季語はないけれど、秋の長雨と関連づけて、この時季にいれてもよかろう。たしかに海にどれほどの大雨や豪雨が降り込んだところで、海はあふれかえるわけではなく、びくともしない。それは無駄と言えば無駄、ほとんど無意味とも言える。ケルアックは芭蕉や蕪村を読みこんでさかんに俳句を作った。アレン・ギンズバーグ同様に句集もあり、アメリカのビート派詩人の中心的存在だった。掲出句を詠んだとき、芭蕉の「暑き日を海に入れたり最上川」がケルアックの頭にあったとも考えられる。この「無駄だ・・・」は、単に海に降りこむ大雨の情景を述べているにとどまらず、私たちが日常よくおかすことのある「無駄」の意味を、アイロニカルにとらえているように思われる。その「無駄」を戒めているわけでも、奨励しているわけでもなさそうだけれども、「無駄」を肯定している精神を読みとらなくてはなるまい。この句はケルアックの『断片詩集(ScatteredPoems)』に収められている。同書で俳句観をこう記している。「(俳句は)物を直接に指示する規律であり、純粋で、具象的で、抽象化せず、説明もせず、人間の真のブルーソングなのだ」。これに対し、自分たちビート派の詩は「新しくて神聖な気違いの詩」と言って憚らないところがおもしろい。佐藤和夫『海を越えた俳句』(1991)所載。(八木忠栄)


October 30102007

 冷まじや鏡に我といふ虚像

                           細川洋子

まじは「すさまじ」。具体的な冷気とともに、その語感から不安や心細さなどを引き連れてくる。「涼しい」より荒々しく、「寒い」より頼りない季節の隙間には、この時期だけそっと鏡に映ってしまう何かがあるのではないかと思わせる。鏡は見る者の位置、微妙な凹凸などによって、真実の姿であるにもかかわらず、さまざまな像を結ぶ。鏡(ミラー)と不思議(ミラクル)とが密接な関係を持つといわれているように、この目も鼻も本当の顔とはまったく別のものが映っているように思えてくる。掲句の作者もまた、鏡に映し出された姿を漠然とよそよそしく感じながら、我が身を見つめているのだろう。右手を上げれば向かい合う左手が上がり、右目をつぶれば向かい合う左目がウインクする。それはまるで動作を真似るゲームのなかで、向こう側の人が慌てて動かしているように見えてくる。人間でもこんがらがってくるこの現象に動物は一体どう対処するのだろう。イソップ物語に登場する肉をくわえた犬の話しを思い出し、飼い猫に鏡を見せてみると、においを嗅いだり、引っ掻いたり、しきりに裏側に行きたがる。目の前にいる動くものが、まさか自分だとはまったく思っていないようだが、手出しせずすぐに引っ込む相手に勝ち誇った様子であった。猫にとっては、鏡の向こう側に住む無害の生き物として認知したのかもしれない。『半球体』(2005)所収。(土肥あき子)




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