1千万円カルティエ盗みジャガーで逃走。まるでフィルム・ノワールみたいだな。(哲




2007ソスN10ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 29102007

 稲無限不意に涙の堰を切る

                           渡辺白泉

の句について福田甲子雄は「昭和三十年の作であることを考えて観賞しなければならないだろう」と、書いている。そのとおりだとは思うが、しかし福田が言うような「食糧事情の悪さ」が色濃く背景にあるとは思わない。「稲無限」はどこまでも連なる実った稲田を指しており、そのことが作者に与えたのは、豊饒なる平和感覚だったのではなかろうか。戦前には京大俳句事件に関わるなど、作者は大きな時代の流れに翻弄され、またそのことを人一倍自覚していたがゆえに、若い頃からの生活は常にある種の緊張感を伴わざるを得なかったのだろう。それが戦後もようやく十年が経ち、だんだんと世の中が落ち着きはじめたころ、作者にもようやく外界に対する身構えの姿勢が溶けはじめていたのだと思われる。そんな折り、豊かに実った広大な稲田は、すなわち平和であることの具体的な展開図として作者には写り、そこで一挙にそれまでの緊張の糸が切れたようになってしまった。この不意の「涙」の意味は、そういうことなのではあるまいか。ここで作者は過去の辛さを思い出して泣いたというよりも、これは思いがけない眼前の幸福なイメージに愕然として溢れた涙なのだと私には感じられる。長年の肩の力が一挙にすうっと抜けていくというか、張りつづけてきた神経の関節が外れたというか……。。そんなときにも、人は滂沱の涙を流すのである。福田甲子雄『忘れられない名句』(2004)所載。(清水哲男)


October 28102007

 埴輪の目色無き風を通しけり

                           工藤弘子

輪と土偶と、いつも区別がつかなくなってしまいます。土偶は縄文時代のもので、一方埴輪は、古墳時代のものだということです。素焼きの焼き物です。「ドグウ」にしろ「ハニワ」にしろ、口に出せばどこかさびしげな響きをもった音です。ここで詠われているのはおそらく「人物埴輪」。目と口に穴をうがたれた、単純な表情のものです。単純なゆえに、かえって見るものの想像をかきたてるものがあります。まぶたも唇も無い、ぽっかりと開いた目と口の穴が、私たちに語りかけるものは少なくありません。掲句、季語は「色なき風」、単色の冷たさで吹きつのる秋の風を意味しています。「色無き」は「風」にかかっていますが、埴輪の目の、無表情の「無」にも通じているようです。風は埴輪の外から、目を通し口を通して、何の抵抗も無く内部へ入り込んでゆきます。それだけのことを詠っている句ではありますが、読者としては、どうしても「人物埴輪」を、生きた人の喩えとして見てしまいます。秋の日の、冷たい風の中に立つ自分自身の姿に照らし返してしまいます。日々、複雑な感情と体の構造を持つ「人」の生も、吹く風に向かうとき、単純な一個の「もの」に帰ってゆくようです。さまざまに悩み、さまざまに楽しむ個々の生も、時がたてば、この埴輪の表情ほどに単純なものに、帰してしまうものかもしれません。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


October 27102007

 障子はる手もとにはかにくれにけり

                           原三猿郎

起きるとまず、リビングの窓を開けて、隣家の瓦屋根の上に広がる空を見るのが日課である。リビングの掃き出し窓にカーテンはなく、そのかわりに正方形の黒みがかった桟の障子が四枚。それをかたりと引いて、窓を開け朝の空気を入れる。カーテンに比べると、保温性には欠けるのかもしれないが、障子を通して差し込む光には、四季の表情がある。張り替えは、我が家では年末の大掃除の頃になってしまうのだが、「障子貼る」は「障子洗ふ」と共に秋季。確かに、秋晴の青空の下でやるのが理にかなっており、まさに冬支度である。急に日の落ちるのが早くなるこの時期。古い紙を取り除き、洗って乾かして、貼ってさらに乾かして、と思いのほか時間がかかってしまったのだろう。にはかにくれにけり、とひらがなで叙したことで、つるべ落としの感じが出ており、手もとに焦点を絞ったことで、暮れゆく中に、貼りたての障子の白さが浮き上がる。毎年、障子を張り替えるよ、というと友達を連れてきて一緒に嬉しそうに破っていた姪も中学生、今年はもう興味ないかも。作者の三猿郎(さんえんろう)は虚子に嘱望されていたが、昭和五年に四十四歳の若さで世を去ったときく。虚子編新歳時記(1934・三省堂)所載。(今井肖子)




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