このところ降るでもなく照るでもなく、ただ肌寒い日のつづいている東京です。(哲




2007年10月17日の句(前日までの二句を含む)

October 17102007

 あ そうかそういうことか鰯雲

                           多田道太郎

太郎が、余白句会(1994年11月)に初めて四句投句したうちの一句である。翌年二月の余白句会に、道太郎ははるばる京都宇治から道を遠しとせずゲスト参加し、のちメンバーとなった。当時の俳号:人間ファックス(のち「道草」)。掲出句は句会で〈人〉を一つだけ得た。なぜか私も投じなかった。ご一同わかっちゃいなかった。その折、別の句「くしゃみしてではさようなら猫じゃらし」が〈天〉〈人〉を獲得した。私は今にして思えば、こちらの句より掲出句のほうに愛着があるし、奥行きがある。いきなりの「あ」にまず意表をつかれた。そして何が「そうか」なのか、第三者にはわからない。つづく「そういうことか」に到って、ますます理解に苦しむことになる。「そういうこと」って何? この京の都の粋人にすっかりはぐらかされたあげく、「鰯雲」ときた。この季語も「鯖雲」も同じだが、扱うのに容易なようでいてじつは厄介な季語である。うまくいけば決まるが、逆に決まりそうで決まらない季語である。道太郎は過不足なくぴたりと決めた。句意はいかようにも解釈可能に作られている。そこがしたたか。はぐらかされたような、あきらめきれない口惜しさ、拭いきれないあやしさ・・・・七十歳まで生きてくれば、京の都の粋人にもいろんなことがありましたでしょう。はっきりと何も言っていないのに、多くを語っているオトナの句。そんなことどもが秋空に広がる「鰯雲」に集約されている。「うふふふ すすき一本プレゼント」他の句をあげて、小沢信男が「この飄逸と余情。初心たちまち老獪と化するお手並み」(句集解説)と書く。老獪じつに老獪を解す! 信男の指摘は掲出句にもぴったしと見た。『多田道太郎句集』(2002)所収。(八木忠栄)


October 16102007

 海底に水の湧きゐる良夜かな

                           上田禎子

秋の名月から月の満ち欠けがひと回りする頃になると、空気はぐっと引き締まり、月もやわらかなカスタード色から、薄荷の味がしそうな光になってくる。美しい月の光に照らされているものの姿を思い描くとき、海のおもてや、波間に思いを寄せることはできても、掲句はさらに奥へ奥へと気持ちを深めて、とうとう海底に水の湧くひとところまで到達した。そこは水の星のみなもと。見上げれば、はるか海面が月の光を得て薄々ときらめき、さらに天上には本物の月が輝いている。ふたつの天を持つ海底に、ふらつく足で立っているような不思議な気持ちになってくる。実際の海底では、真水が湧く場所というのは非常にまれだが、富山湾には立山連峰に降った雨や雪が地下水となって、長い年月をかけて海底から湧いている場所があるそうだ。映像では、山の滋養が海に溶け出す水域はごろごろと岩が重なる様子から一転し、水草の生い茂る草原のようになっていた。海底から湧く水に水草がふさふさとなびき、さながら海の底が歌っているようだった。今夜も歌われているに違いない海底の歌声に、静かに耳を傾ける。〈少年を見舞ふ車座赤のまま〉〈鳥の巣の流れてゆけり冬隣〉『二藍』(2007)所収。(土肥あき子)


October 15102007

 穴惑顧みすれば居ずなんぬ

                           阿波野青畝

語は「穴惑(あなまどい)」で秋、「蛇穴に入る」に分類。そろそろ蛇は冬眠のために、その間の巣となる穴を見つけはじめる。しかし「穴惑」は、晩秋になっても入るべき穴を見つけられず、もたもたしている蛇のことだ。山道か野原を歩いていて、作者はそんな蛇を見かけたのだろう。もうすぐ寒くなるというのに、なんてのろまな奴なんだろうと思った。でも、そんなに気にもとめずにその場を通り過ぎた作者は、しばらく行くうちに、何故かそいつのことが心に引っかかってきてしまい、どうしたかなと振り返って見てみたら、もう影もかたちもなかったと言うのである。このときに「顧みすれば」という措辞が、いかにも大袈裟で可笑しい。柿本人麻呂の「東の野にかぎろひの立つみえてかへりみすれば月かたぶきぬ」でどなたもご存知のように、この言葉はただ単に振り返って見るのではなく、その行為には精神の荘重感が伴っている。蛇には申し訳ないけれど、たかが蛇一匹を振り返って見るようなときにはふさわしくない。そこをあえて「顧みすれば」と大仰に詠むことによって、間抜けでどじな蛇のありようを暗にクローズアップしてみせたのだ。いかにもこの作者らしい、とぼけた味のある句である。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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