中隊長にボーナス3万ドル、米軍退役引き留め策。貧乏人の命を金で買うんだ。(哲




2007N1012句(前日までの二句を含む)

October 12102007

 草の絮ただよふ昼の寝台車

                           横山白虹

京から米子に帰省するときは必ずといっていいほど寝台特急「出雲」に乗った。寝台車(二等車)は上中下の三段になっていて、上に行くほど料金が安くなる。位置が高いから揺れがひどく、幅の狭い梯子を使っての寝台への上り下りは上段になるほど注意を要した。日暮れに東京駅を出た列車は深夜に京都に着く。「キョートー、キョートー」のアナウンスに僕は窓のカーテンを少し開けて人通りの無い京都駅のホームを覗く。京都で二年間浪人生活を送った僕はついに志を果たせなかった。懐かしさと悔しさが入り混じった複雑な気持ちで夜のホームの「キョートー」を聞いた。夜が明けるころ列車は山陰線を走る。目覚めて最初に見る風景が海だ。山陰線はずっと海と平行して走る。やがて寝台は車掌によって解体され、下段のみが三人分の座席として残される。寝台車と海が山陰線を思い出す僕のキーワード。すでに下段のみとなった昼の寝台車にどこからか入り込んだ草の絮がふわふわと漂っている。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)


October 11102007

 菊の香や仕舞忘れてゐしごとし

                           郡司正勝

は天皇家の紋章にもなっているので古くから日本独自の花と思っていたがそうではないらしい。万葉集に菊の歌は一首も含まれていないという。奈良時代、まずは薬草として中国から渡来したのが始まりとか。中国では菊に邪を退け、長寿の効能があるとされている。杉田久女が虚子へ贈った菊枕はその言い伝えにあやかったのだろう。沈丁花や金木犀は街角で強く匂ってどこに木があるのか思わず探したくなる自己主張の強い香りだが、菊の香はそこはかとなく淡く、それでいて心にひっかかる匂いのように思う。菊は仏事に使われることも多く、掲句の場合も大切な故人の思い出と結びついているのかもしれない。胸の奥に仕舞いこんだはずなのに、折にふれかすかな痛みをともなって浮き沈みする記憶とひっそりとした菊の香とが静謐なバランスで表現されている。作者の郡司正勝は歌舞伎から土方巽の暗黒舞踏まで独自の劇評を書き続けた。「俳句は病床でしか作らない」とあとがきに綴っているが、句に湿った翳りはなく「寝るまでのこの世の月を見てをりぬ」など晩年の句でありながら孤独の華やぎのようなものが感じられる。『ひとつ水』(1990)所収。(三宅やよい)


October 10102007

 障子洗ふ上を人声通りけり

                           松本清張

時記には今も「障子洗ふ」や「障子の貼替」は残っているけれど、そんな光景はごく限られた光景になってしまった。私などが少年の頃は、古い障子を貼り替えて寒い季節をむかえる準備を毎年手伝わされた。古くなった障子を指で思い切りバンバン突いて破って、おもしろ半分にバリバリ引きはがした。本来、破いたりはがしたりしてはならない障子を、公然と破く快感。そして川の水でていねいに桟を洗って乾かし、ふのりを刷毛で多すぎず少なすぎず桟に塗り、巻いた障子紙をころがしながら貼ってゆく作業を母親から教わった。なかなかうまく運ばない。でも変色した障子にかわって、真ッ白い障子紙が広がってゆく、その転換は新鮮な驚きを伴うものだった。掲句は道路から数段降りた川べりの洗い場での作業であろう。「上を」という距離感がいい。正確には「障子戸」を洗っているわけだ。一所懸命に作業をしている人に、上の道路を通り過ぎて行く人が声をかけているという図である。「ご精が出ますねえ」とか「もうすぐ寒くなりますなあ」とでも声をかけているのだろう。その作業を通じて、作業をする人も声をかける人も、ともにこれからやってくる寒い季節に対する心の準備を、改めて確認している。同時にある緊張感も伝わってくる。あわただしいなかにも、のんびりとしてかよい合う心が感じられる。松本清張が残した俳句は少ないそうだが、ほかに「子に教へ自らも噛む木の芽かな」という句もある。いずれも、推理小説とはちがった素朴な味わいがある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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