2007N10句

October 01102007

 秋灯目だけであくびしてをりぬ

                           田中久美子

わず、笑わされてしまった。ありますねえ、こういうことって……。この句の主体は作者だろうか、それとも他者だろうか。どちらでも良いとは思うけれど、後者のほうがより印象的になる。他者といっても、もちろん家族ではないだろう。多少とも、他人に気を使わなければならない場所での目撃句だ。たとえば会社での残業だとか、夜の集会だとか、そういったシチュエーションが考えられる。懸命に眠さをこらえている様子の人がいて、気になってそれとなく見やると、欠伸の出そうな口元のあたりをとんとんと軽く叩きながらも、しかし「目」は完全に欠伸をしてしまっていると言うのである。涼しい秋の夜の燈火は、人の目を冴えさせるというイメージが濃いのだが、それだけに、逆にこの句は説得力を持つ。「秋灯(あきともし)」といういささかとり澄ましたような季語に、遠慮なく眠さを持ってきた作者の感性は鋭くもユニークだ。かつて自由詩を書いていた田中久美子が、このような佳句をいくつも引っさげて戻ってきたことを、素直に喜びたい。そのいくつか。〈夢ばかり見てゐる初夢もなく〉〈一筆のピカソ一生涯の蜷〉〈太テエ女ト言ハレタ書イタ一葉忌〉『風を迎へに』(2007)所収。(清水哲男)


October 02102007

 新涼や三回試着して買はず

                           田口茉於

々続いた凶暴な残暑にもどうやら終わりがきたようだ。先月からはやばやと秋の装いのニットやブーツを身につけていたショーウィンドーのマネキンも、ようやく落ち着いて眺めることができるようになった。しかしまだ更衣をしていないこの時期に、新しい洋服の購入はとても危険なのである。また同じようなものを買ってしまったという後悔や、手持ちのどの洋服とも合わないという失敗を毎年繰り返しているにも関わらず、ついつい真新しいファッションを手にしたくなるのが女心というものだ。手を出しかねていたレギンスから、世間は一転してカラータイツになっているようだけれど、これもきっと取り入れずに終わるだろう。それにしても掲句の作者はずいぶん用心深く、わたしが懲りずに度々犯す「衝動買い」という愚かな過ちを上手に回避しているようだ。今年は掲句を繰り返しながら街を歩くことにしようかと思う。〈携帯でつながつてゐる春夕べ〉〈私から届く荷物や金木犀〉『はじまりの音』(2006)所収。(土肥あき子)


October 03102007

 地下鉄に下駄の音して志ん生忌

                           矢野誠一

今亭志ん生が、八十三歳で亡くなったのは一九七三年九月十一日。したがって、掲句はここでは少々タイミングがズレてしまったわけだが、まあ、志ん生に免じてお許し願いたい。作者は志ん生の法要へ向かう際、地下鉄の階段で行きあった人の下駄の音を聞いて、故人への懐かしい思いを改めて強くした。あるいは法要とは関係なく、ある日地下鉄の階段から響いてくる下駄の音を聞いたとき、元気な頃に下駄で歩いていた志ん生をふと思い出した。あッ、今日は志ん生の命日だよ! どちらの解釈も許されていいだろうが、いずれにせよ作者の並々ならぬ故人への親愛の情が、下駄の音にからみながら響いてくる。地上はようやく秋の涼しい空気におおわれてきた。地下鉄の空気さえもどこやらひんやりと澄んで感じられて、下駄の音もいつになく心地よい。まるで志ん生の落語の磊落な世界に、身をゆだねているような心地であったのかもしれない。下駄の甲高い音と志ん生独特の高い声が重なる。志ん生も「声色やコーモリ傘の日より下駄」という下駄の句を詠んでいる。永井荷風の姿がちらつく。誠一には『志ん生のいる風景』(青蛙房)『志ん生の右手』(河出文庫)他がある。東京やなぎ句会での俳号は徳三郎。誠一は「あの人は晩年は貧乏でなかったはずだけど、いくらお金ができてもそれらしい生活っていうのは似合わない人だった」(小沢昭一との対談)と志ん生を語っている。『友あり駄句あり三十年』(1999)所載。(八木忠栄)


October 04102007

 すぐ失くす「赤い羽根」とはおもへども

                           吉田北舟子

朝の駅前でボーイスカウトの子供達が声を張り上げて募金を呼びかけていた。NHKのアナウンサーや国会で答弁する政治家の背広の衿に赤い羽根が目につくのもこの時期。なぜ赤い羽根をつけるのか、その由来を共同募金のサイトで調べてみた。アメリカで募金に協力した人々が水鳥の羽根を赤く染めて胸に飾ったのが始まりとか。赤は勇気と善行をあらわす色だという。募金を呼びかけるのも、募金箱にお金を入れるのもちょっとした勇気が必要だからだろうか。募金せずとも学校や職場ではわずかな引き落としで全員に配られていたように思うけど、あの赤い羽根はどこに消えているのだろう。襟元にとどまっているは数日でその後は、捨てているのか、抜け落ちているのか。最後まで見届けた記憶がない。北舟子(ほくしゅうし)がいうように、「すぐ失くす」「赤い羽根」と思いつつも、配られれば配られるまま胸につけ、失くしたら失くしたで気にもとめない。「ども」と言いよどんだあとのささいなひっかかりを言外に表現できるのも俳句ならではの働きだろう。かくて、今年こそは赤い羽根の行方を、と思ってみたけれど、明日になればこの決意も忘れてしまいそうだ。「現代俳句全集第一巻」(1958)所載。(三宅やよい)


October 05102007

 蓑虫や滅びのひかり草に木に

                           西島麦南

びとはこの句の場合、枯れのこと。カメラの眼は蓑虫に限りなく接近したあと、ぐんぐんと引いていき秋の野山を映し出す。テーマは蓑虫ではなく、「滅びのひかり」である。もうすぐ冬が来る気配がひかりの強さに感じられる。鳥取県米子市に住んだときはかなりの僻地で、家の前が自衛隊の演習地。広い広い枯野で匍匐前進や火炎放射器の演習をやっていた。他の人家とは離れていたので、夜は飼犬を放した。夜遊び回った果てに戻ってきた犬が池で水を飲む音がする。子規の「犬が来て水飲む音の寒さかな」を読んで、ああこれだななんて思ったものだ。「滅びのひかり」を今日的に使うならすぐ社会的な批評眼の方へ引いて行きたくなるところだが、麦南さんは「ホトトギス」の重鎮。あくまで季節の推移の肌触りを第一義にする。言葉はしかし五感に触れる実感に裏打ちされているからこそ強烈に比喩に跳ぶ。季節の推移についての実感を提示したあと、やがて人類や地球の滅びをも暗示するのである。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)


October 06102007

 歩きつづける彼岸花咲きつづける

                           種田山頭火

月の終わりに、久しぶりに一面の彼岸花に遭遇、秋彼岸を実感する風景だった。すさまじいまでに咲き広がるその花は、曼珠沙華というより彼岸花であり、死人花、幽霊花、狐花などの名で呼ばれるのもわかる、と思わせる朱であった。かつて小学校の教科書に載っていた、新美南吉の『ごんぎつね』に、赤いきれのように咲いている彼岸花を、白装束の葬式の列が踏み踏み歩いていく、という件があったが、切ないそのストーリーと共に、葬列が去った後の踏みしだかれた朱の印象が強く残っている。この句の場合も、彼岸花が群生している中を、ひたすら歩いているのだろう。リフレインも含めて、自然で無理のない調べを持つ句。その朱が鮮やかであればあるほど寂しさの増していく野原であり、山頭火の心である。「種田山頭火」(村上護著)には、「いわゆる地獄極楽の揺れの中で句作がなされた」(本文より)とあり、〈まつすぐな道でさみしい〉と掲句が並んでいる。思いつめた心とはうらはらに、こぼれ出る句は優しさも感じさせる。定型に依存することのない定型句、自由律であるというだけでない自由律句、どちらも簡単にはいかないなあ、と思うこの頃。『種田山頭火』(2006・ミネルバ書房)所載。(今井肖子)


October 07102007

 眼鏡はづして病む十月の風の中

                           森 澄雄

の句に「病む」の一語がなければ、目を閉じてさわやかな十月の風に頬をなぶらせている人の姿を想像することができます。たしかに十月というのは、暑さも寒さも感じることのない、わたしたちに特別に与えられた月、という印象があります。澄んだ空の下を、人々は活動的に動きまわることができます。そんな十月に、句の中の人は病んでいるというのです。季節の鮮やかさの中で、病と向きあわざるをえないのです。そこには、めぐり来る季節との、多少の違和感があるのかもしれません。病院の帰り道、敷地内につくられた花壇のそばの道で、句の人は立ち止まります。立ち尽くした場所で、明るい風景から目をそらすように、ゆっくりと眼鏡を外します。医者に言われた言葉を思い出しながら、これからこの病とどのように折り合ってゆこうかと、風の中でじっと考えているのです。病を持つことによって、この季節の中にいることの大切さが、よりはっきりと見えてくるようです。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


October 08102007

 流星やいのちはいのち生みつづけ

                           矢島渚男

語は「流星(りゅうせい)」で秋。流れ星のこと。流星は宇宙の塵だ。それが何十年何百年、それ以上もの長い間、暗い宇宙を漂ってきて地球の大気圏に入ったときに、燃えて発光する。そして、たちまち燃え尽きてしまう。この最期に発光するという現象をとらまえて、古来から数えきれないほどの詩歌の題材になってきたわけだが、その多くは、最後の光りを感傷することでポエジーを成立させてきた。たとえば俳句では「死がちかし星をくぐりて星流る」(山口誓子)だとか「流れ星悲しと言ひし女かな」(高浜虚子)だとかと……。しかし、この句は逆だ。写生句だとするならば、作者が仰いでいる空には、次から次へと流星が現れていたのかもしれない。最期に光りを放ってあえなく消えてゆく姿よりも、すぐさま出現してくる次の星屑のほうに心が向いている。流星という天体現象は、生きとし生けるもののいわば生死のありようの可視化ともいえ、それを見て生者必滅と感じるか、あるいは生けるものの逞しさと取るのか。どちらでももとより自由ではあるが、あえて後者の立場で作句した矢島渚男の姿勢に、私などは救われる。みずからの遠くない消滅を越えて、類としての人間は「いのち」を生みつづけてゆくであろう。このときに、卑小な私に拘泥することはほとんど無意味なのではないか。そんなふうに、私には感じられた。うっかりすると見逃してしまいそうな句だが、掲句はとても大きいことを言っている。『百済野』(2007)所収。(清水哲男)


October 09102007

 止り木も檻の裡なり秋時雨

                           瀧澤和治

週末あたりから金木犀の香りが漂うようになったが、せっかくの香りを流してしまうような雨が続いている。颱風の激しさのなかの9月の雨とも、冬の気配を連れてくる11月の雨とも違う10月の雨は、さみしさの塊がぐずぐずとくずれていくように降り続ける。掲句の季題である「秋時雨」にも、「春時雨」の持つ明るさや、冬季の「時雨」が持つ趣きとは別の、心もとない侘しさが感じられる。静かに降り続ける雨のなかで、檻の裡(うち)を見つめる作者。タカやハヤブサ、あるいはフクロウなどの猛禽の名札が付いているはずの檻のなかに、生き物の姿はどこにもない。ただ止り木が描かれているだけだ。そしてそれこそが痛みの源として存在している。翼を休めるための止まり木が渡されてはいても、はばたく大空はそこにはないのだから。ドイツの詩人リルケは「豹」という作品で、檻の内側で旋回運動を続ける豹の姿をひたすら正確に書きとめることで生命の根拠を得たが、掲句では檻のなかの生き物をひたすら見ないことで、いのちの存在を際立たせた。『衍』(2006)所収。(土肥あき子)


October 10102007

 障子洗ふ上を人声通りけり

                           松本清張

時記には今も「障子洗ふ」や「障子の貼替」は残っているけれど、そんな光景はごく限られた光景になってしまった。私などが少年の頃は、古い障子を貼り替えて寒い季節をむかえる準備を毎年手伝わされた。古くなった障子を指で思い切りバンバン突いて破って、おもしろ半分にバリバリ引きはがした。本来、破いたりはがしたりしてはならない障子を、公然と破く快感。そして川の水でていねいに桟を洗って乾かし、ふのりを刷毛で多すぎず少なすぎず桟に塗り、巻いた障子紙をころがしながら貼ってゆく作業を母親から教わった。なかなかうまく運ばない。でも変色した障子にかわって、真ッ白い障子紙が広がってゆく、その転換は新鮮な驚きを伴うものだった。掲句は道路から数段降りた川べりの洗い場での作業であろう。「上を」という距離感がいい。正確には「障子戸」を洗っているわけだ。一所懸命に作業をしている人に、上の道路を通り過ぎて行く人が声をかけているという図である。「ご精が出ますねえ」とか「もうすぐ寒くなりますなあ」とでも声をかけているのだろう。その作業を通じて、作業をする人も声をかける人も、ともにこれからやってくる寒い季節に対する心の準備を、改めて確認している。同時にある緊張感も伝わってくる。あわただしいなかにも、のんびりとしてかよい合う心が感じられる。松本清張が残した俳句は少ないそうだが、ほかに「子に教へ自らも噛む木の芽かな」という句もある。いずれも、推理小説とはちがった素朴な味わいがある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 11102007

 菊の香や仕舞忘れてゐしごとし

                           郡司正勝

は天皇家の紋章にもなっているので古くから日本独自の花と思っていたがそうではないらしい。万葉集に菊の歌は一首も含まれていないという。奈良時代、まずは薬草として中国から渡来したのが始まりとか。中国では菊に邪を退け、長寿の効能があるとされている。杉田久女が虚子へ贈った菊枕はその言い伝えにあやかったのだろう。沈丁花や金木犀は街角で強く匂ってどこに木があるのか思わず探したくなる自己主張の強い香りだが、菊の香はそこはかとなく淡く、それでいて心にひっかかる匂いのように思う。菊は仏事に使われることも多く、掲句の場合も大切な故人の思い出と結びついているのかもしれない。胸の奥に仕舞いこんだはずなのに、折にふれかすかな痛みをともなって浮き沈みする記憶とひっそりとした菊の香とが静謐なバランスで表現されている。作者の郡司正勝は歌舞伎から土方巽の暗黒舞踏まで独自の劇評を書き続けた。「俳句は病床でしか作らない」とあとがきに綴っているが、句に湿った翳りはなく「寝るまでのこの世の月を見てをりぬ」など晩年の句でありながら孤独の華やぎのようなものが感じられる。『ひとつ水』(1990)所収。(三宅やよい)


October 12102007

 草の絮ただよふ昼の寝台車

                           横山白虹

京から米子に帰省するときは必ずといっていいほど寝台特急「出雲」に乗った。寝台車(二等車)は上中下の三段になっていて、上に行くほど料金が安くなる。位置が高いから揺れがひどく、幅の狭い梯子を使っての寝台への上り下りは上段になるほど注意を要した。日暮れに東京駅を出た列車は深夜に京都に着く。「キョートー、キョートー」のアナウンスに僕は窓のカーテンを少し開けて人通りの無い京都駅のホームを覗く。京都で二年間浪人生活を送った僕はついに志を果たせなかった。懐かしさと悔しさが入り混じった複雑な気持ちで夜のホームの「キョートー」を聞いた。夜が明けるころ列車は山陰線を走る。目覚めて最初に見る風景が海だ。山陰線はずっと海と平行して走る。やがて寝台は車掌によって解体され、下段のみが三人分の座席として残される。寝台車と海が山陰線を思い出す僕のキーワード。すでに下段のみとなった昼の寝台車にどこからか入り込んだ草の絮がふわふわと漂っている。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)


October 13102007

 秋晴の都心音なき時のあり

                           深川正一郎

は、空があきらか、が語源という説があるという。雲ひとつ無い高い青空をじっと見ていると、初めはただ真っ青だった空に、無限の青の粒子が見えてくる。ひきこまれるような、つきはなされるような青。秋晴の東京、作者はどこにいるのだろう。公園のベンチで、本当に音のない静かな時間を過ごしているのかもしれない。あるいは、雑踏の中にいて、ふと空の青さに見入るうち、次第に周りの音が聞こえなくなって、自分自身さえも消えてゆくような気持になったのかもしれない。秋の日差も亦、さまざまなものを遠くする。昭和六十二年に八十五歳で亡くなった作者の、昭和五十七年以降の六年間、句帳百冊近くをまとめた句集「深川正一郎句集」(1989)からの一句である。一冊に六百句書けるという。それにしても、二十年前の東京は、少なくとも今年よりは、もう少し秋がくっきり訪れていたことだろう。(今井肖子)


October 14102007

 涙腺を真空が行き雲が行く

                           夏石番矢

画や音楽の魅力を、詩や俳句に引き移してみるという試みは、容易ではありません。たいていの場合、思うほどにはその効果を出すことができないものです。ジャンルの違いは、それほどに単純なものではないようです。せいぜいが発想のきっかけとして、利用するに留めておいた方がよいのかもしれません。掲句の「雲」から、マグリットの絵を連想した人は少なくないと思います。連想はしますが、句は、独自の表現空間を広げています。作者が、絵画を発想のきっかけにしたかどうかはともかく、言葉は、その持てる特性を見事に発揮しています。目につくのは、「涙腺」と「真空」の2語です。叙情の中心にある「涙」という語を使いながらも、あくまでもしめりけを排除しています。真空と雲が、乾いた空間にひたすらに流れてゆく姿は、日本的叙情から抜け出ようとする意気込みが感じられます。雲は、どの季節にもただよっていますが、句に満ちた大気の透明感は、つめたい秋を感じさせます。それにしても、涙腺を流れてきた真空と雲は、頬を伝ってどこへ、こぼれて行ったのでしょうか。『現代の俳句』(2005・講談社)所載。(松下育男)


October 15102007

 穴惑顧みすれば居ずなんぬ

                           阿波野青畝

語は「穴惑(あなまどい)」で秋、「蛇穴に入る」に分類。そろそろ蛇は冬眠のために、その間の巣となる穴を見つけはじめる。しかし「穴惑」は、晩秋になっても入るべき穴を見つけられず、もたもたしている蛇のことだ。山道か野原を歩いていて、作者はそんな蛇を見かけたのだろう。もうすぐ寒くなるというのに、なんてのろまな奴なんだろうと思った。でも、そんなに気にもとめずにその場を通り過ぎた作者は、しばらく行くうちに、何故かそいつのことが心に引っかかってきてしまい、どうしたかなと振り返って見てみたら、もう影もかたちもなかったと言うのである。このときに「顧みすれば」という措辞が、いかにも大袈裟で可笑しい。柿本人麻呂の「東の野にかぎろひの立つみえてかへりみすれば月かたぶきぬ」でどなたもご存知のように、この言葉はただ単に振り返って見るのではなく、その行為には精神の荘重感が伴っている。蛇には申し訳ないけれど、たかが蛇一匹を振り返って見るようなときにはふさわしくない。そこをあえて「顧みすれば」と大仰に詠むことによって、間抜けでどじな蛇のありようを暗にクローズアップしてみせたのだ。いかにもこの作者らしい、とぼけた味のある句である。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


October 16102007

 海底に水の湧きゐる良夜かな

                           上田禎子

秋の名月から月の満ち欠けがひと回りする頃になると、空気はぐっと引き締まり、月もやわらかなカスタード色から、薄荷の味がしそうな光になってくる。美しい月の光に照らされているものの姿を思い描くとき、海のおもてや、波間に思いを寄せることはできても、掲句はさらに奥へ奥へと気持ちを深めて、とうとう海底に水の湧くひとところまで到達した。そこは水の星のみなもと。見上げれば、はるか海面が月の光を得て薄々ときらめき、さらに天上には本物の月が輝いている。ふたつの天を持つ海底に、ふらつく足で立っているような不思議な気持ちになってくる。実際の海底では、真水が湧く場所というのは非常にまれだが、富山湾には立山連峰に降った雨や雪が地下水となって、長い年月をかけて海底から湧いている場所があるそうだ。映像では、山の滋養が海に溶け出す水域はごろごろと岩が重なる様子から一転し、水草の生い茂る草原のようになっていた。海底から湧く水に水草がふさふさとなびき、さながら海の底が歌っているようだった。今夜も歌われているに違いない海底の歌声に、静かに耳を傾ける。〈少年を見舞ふ車座赤のまま〉〈鳥の巣の流れてゆけり冬隣〉『二藍』(2007)所収。(土肥あき子)


October 17102007

 あ そうかそういうことか鰯雲

                           多田道太郎

太郎が、余白句会(1994年11月)に初めて四句投句したうちの一句である。翌年二月の余白句会に、道太郎ははるばる京都宇治から道を遠しとせずゲスト参加し、のちメンバーとなった。当時の俳号:人間ファックス(のち「道草」)。掲出句は句会で〈人〉を一つだけ得た。なぜか私も投じなかった。ご一同わかっちゃいなかった。その折、別の句「くしゃみしてではさようなら猫じゃらし」が〈天〉〈人〉を獲得した。私は今にして思えば、こちらの句より掲出句のほうに愛着があるし、奥行きがある。いきなりの「あ」にまず意表をつかれた。そして何が「そうか」なのか、第三者にはわからない。つづく「そういうことか」に到って、ますます理解に苦しむことになる。「そういうこと」って何? この京の都の粋人にすっかりはぐらかされたあげく、「鰯雲」ときた。この季語も「鯖雲」も同じだが、扱うのに容易なようでいてじつは厄介な季語である。うまくいけば決まるが、逆に決まりそうで決まらない季語である。道太郎は過不足なくぴたりと決めた。句意はいかようにも解釈可能に作られている。そこがしたたか。はぐらかされたような、あきらめきれない口惜しさ、拭いきれないあやしさ・・・・七十歳まで生きてくれば、京の都の粋人にもいろんなことがありましたでしょう。はっきりと何も言っていないのに、多くを語っているオトナの句。そんなことどもが秋空に広がる「鰯雲」に集約されている。「うふふふ すすき一本プレゼント」他の句をあげて、小沢信男が「この飄逸と余情。初心たちまち老獪と化するお手並み」(句集解説)と書く。老獪じつに老獪を解す! 信男の指摘は掲出句にもぴったしと見た。『多田道太郎句集』(2002)所収。(八木忠栄)


October 18102007

 柿を見て柿の話を父と祖父

                           塩見恵介

の家にいっぱい実った柿がカラスの餌食になってゆく。柔らかく甘い果物が簡単に買える昨今、庭の柿の実をもいで食べる人は少ないのだろうか、よその家の柿を失敬しようとしてコラッと怒られるサザエさんちのカツオのような少年もいなくなってしまった。地方では嫁入りのときに柿の苗木を持参して嫁ぎ先の庭に植え、老いて死んではその枝で作った箸で骨を拾われるという。あの世へ行った魂が家の柿の木に帰ってくるという伝承もあるそうだ。地味で目立たないけど庭の柿はいつも家族の生活を見守っている。春先にはつやつや光る柿若葉が美しく、白く小さな花をつけたあとには赤ちゃんの握りこぶしほどの青柿が出来る。柿の実が赤く色づく頃、普段はあまり言葉のやりとりがない父と祖父が珍しく肩を並べて柿の木を見上げながら何やら嬉しそうに話している。「今年は実がようなったね」「夏が暑いと、実も甘くなるのかねぇ」というように。夫婦や親子の会話はそんな風にさりげなくとりとめのないものだろう。掲句には柿を見て柿の話をしている父と祖父、その様子を少し距離を置いて見ている作者と、柿を中心にしっとりつながる家族の情景を明るく澄み切った秋の空気とともに描きだしている。『泉こぽ』(2007)所収。(三宅やよい)


October 19102007

 がちやがちやに夜な夜な赤き火星かな

                           大峯あきら

夜同じ虫が同じところで鳴く。巣があるのか、縄張りか。がちゃがちゃの微かだが特徴のある声が聞こえ、夜空には赤い大きな火星が来ている。俳句は瞬間の映像的カットに適した形式だと言われているが、この句の場合はある長さの時間を効果的に盛り込んでいる。加藤楸邨の「蜘蛛夜々に肥えゆき月にまたがりぬ」と同じくらいの時間の長さ。この句、字数が十七。十七音定型を遵守した場合での最大、最長の字数になる。句は意味内容の他に、リズムや漢字、ひらがななどの文字選択、そして字数もまた作品の成否に関わる要素になる。音が同じで字数が少なければ一句は緊縮した印象を与え、字数が混んでいれば叙述的な印象を与える。がちゃがちゃという言葉が虫の名を離れてがちゃがちゃした「感じ」を醸し出すのもこの字数の効果だ。一句の中で文字ががちゃがちゃしているのである。十七音を遵守した上で、最少の字数で作ってみようとしたことがある。九字の句は作れたが、それが限度だった。もちろん内容が一番肝心なのだが。『牡丹』(2005)所収。(今井 聖)


October 20102007

 ひたと閉づ玻璃戸の外の風の菊

                           松本たかし

かし全集に、枯菊の句が十句並んでいる年がある。菊は秋季、枯菊は冬季。二句目に、〈いつくしみ育てし老の菊枯れぬ〉とあり、〈枯菊に虹が走りぬ蜘蛛の絲〉と続いている。この時たかし二十七歳、菊をいつくしむとは昔の青年は渋い、などと思っていたが、十月十一日の増俳の、「菊の香はそこはかとなく淡く、それでいて心にひっかかる」という三宅やよいさんの一文に、菊を好むたかしの心情を思った。掲句はその翌年の作。ひたと、は、直と、であり、ぴったりとの意で、一(ひと)と同源という。今、玻璃戸の外の風の、と入力すると、親切に《「の」の連続》と注意してくれる。その、「の」の重なりに、読みながら、何なんだろう何があるんだろう、と思うと、菊。ガラス戸の外には、相当強い風が吹いている。菊は、茎もしっかりしており、花びらも風に舞うような風情はない。風がつきものではない菊を、風の菊、と詠むことで、風が吹くほどにむしろその強さを見せている菊の本性が描かれている。前書きに、病臥二句、とあるうちの一句。病弱であった作者は、菊の強さにも惹かれていたのかもしれない。「たかし全集」(1965・笛発行所)所載。(今井肖子)


October 21102007

 ジャムのごと背に夕焼けをなすらるる

                           石原吉郎

日も休日出勤の帰りに、横浜へ向かう東横線の中で、つり革につかまったまま正面から顔を照らされていました。夕焼けといえば、本来は夏の季語ですが、どの季節にも夕焼けはあり、季にそれほどこだわることもないかと思い、この句を取り上げました。その日の東横線は、ちょうど多摩川の鉄橋を渡っているところでした。急に見晴らしがよくなった土手の向こうの空から、赤い光が、車中深くにまで差し込んできていました。夕焼けなんて、特段めずらしくもないのに、なぜか感慨にふけってしまいました。さて掲句です。夕焼けの赤い色の連想から、ジャムが出てきたのでしょう。そのジャムの連想から、「なすらるる」が思い浮かべられたのです。そして一つ目の連想(夕焼け)と、二つ目の連想(なすらるる)をつなげれば、なるほどこのような句が出来上がってくるわけです。一日の終わりの、家に向かって歩いている風景が思い浮かびます。つかれているのです。夕焼けでさえ、荷物のようにその重みを、背中にもたせかけてくるようです。「なすらるる」という表現は、俳句の言葉としては、多少重いかもしれません。というのも、ここでなすりつけられているのは、「ジャム」や「夕焼け」だけではないからなのです。しかしこれは、詩人石原吉郎に対する、わたしの深読みなのかもしれません。『石原吉郎全集3』(1980・花神社)所収。(松下育男)


October 22102007

 淋しき日こぼれ松葉に火を放つ

                           清水径子

語はそれとはっきり書かれてはいないが、状況は「落葉焚き」だから「落葉」に分類しておく。となれば季節は冬季になってしまうけれど、この場合の作者の胸の内には「秋思」に近い寂寥感があるようなので、晩秋あたりと解するのが妥当だろう。ひんやりとした秋の外気に、故無き淋しさを覚えている作者は、日暮れ時にこぼれた松の葉を集めてきて火を放った。火は人の心を高ぶらせもするが、逆に沈静化させる働きもある。パチパチと燃える松葉の小さい炎は、おそらく作者の淋しさを、いわば甘美に増幅したのではあるまいか。この句には、下敷きがある。佐藤春夫の詩「海辺の恋」がそれだ。「こぼれ松葉をかきあつめ/をとめのごとき君なりき、/こぼれ松葉に火をはなち/わらべのごときわれなりき」。成就しない恋のはかなさを歌ったこの詩の終連は、「入り日のなかに立つけぶり/ありやなしやとただほのか、/海べのこひのはかなさは/こぼれ松葉の火なりけむ」と、まことにセンチメンタルで美しい。たまにはこの詩や句のように、感傷の海にどっぷりと心を浸してみることも精神衛生的には必要だろう。『清水径子全句集』(2005・らんの会)所収。(清水哲男)


October 23102007

 鰯雲人を赦すに時かけて

                           九牛なみ

積雲は、空の高い位置にできる小さなかたまりがたくさん集まったように見える雲で、鰯(いわし)雲や鱗(うろこ)雲と呼ばれる。夏目漱石の小説『三四郎』のなかで、空に浮く半透明の雲を見上げて、三四郎の先輩野々宮が「こうやって下から見ると、ちっとも動いていない。しかしあれで地上に起こる颶風以上の速力で動いているんですよ」と語りかける場面がある。上京したての青年に起こるその後の葛藤を暗示しているような言葉である。印象深い鰯雲の句の多くは、その細々とした形態を心情に映したものが多い。加藤楸邨の〈鰯雲人に告ぐべきことならず〉や、安住敦の〈妻がゐて子がゐて孤独いわし雲〉も、胸におさめたわだかまりを鰯雲に投影している。掲句もまた、千々に乱れつつもいつとはなく癒えていく心のありようを、空に広がる雲に重ねている。鰯雲の一片一片には、ささくれだった心の原因となったさまざまな出来事が込められてはいるが、それらがゆっくりと一定方向に流れ、薄まりつつ触れ合う様子は、胸のうちそのものであろう。三四郎もまた、かき乱された心を持て余し、彼女が好きだった秋の雲を思い浮かべながら「迷羊(ストレイ・シープ)、迷羊(ストレイ・シープ)」とつぶやいて小説『三四郎』は終わるのだった。『ワタクシと私』(2007)所収。(土肥あき子)


October 24102007

 鈴虫の彼岸にて鳴く夜もありき

                           福永武彦

リーン、リリーン、あんなに美しい声で鳴く鈴虫の、美しくない姿そのものは見たくない。声にだけ耳かたむけていたい。初めてその群がる姿を見たときは信じられなかった。『和漢三才図会』には「夜鳴く声、鈴を振るがごとく、里里林里里林といふ」とある。「里里林里里林」の文字がすてきに響く。晩年は入退院が多かったという武彦は、体調によっては「彼岸」からの声として聴き、あるいは自分もすでに「彼岸」に身を横たえて、聴いているような心境にもなっていたのかもしれない。彼の小説には、死者の世界から現実を見るという傾向があり、彼岸の鈴虫というのも考えられる発想である。「みんみんや血の気なき身を貫徹す」という句もあるが、いかにも武彦らしい世界である。虫というのはいったいに、コオロギにしても、バッタにしても、カマキリにしても、可愛いとか美しいというよりは、よくよく観察してみればむしろグロテスクなスタイルをしている。ならば「彼岸」で鳴く虫があっても不思議はなかろう、と私には思われる。武彦は軽井沢の信濃追分に別荘があり、毎夏そこで過ごした。「ありき」ゆえ、さかんに鳴いていた頃の夜を思い出しているのだろう。「鈴虫」の句も「みんみん」の句も、信濃追分の早い秋に身を置いて作られたものと思われる。いや、季節の移り変わりだけでなく、生命ある人間の秋をもそこに敏感に見通しているようである。詩人でもあったが、短歌や俳句をまとめた「夢百首雑百首」がある。結城昌治『俳句は下手でかまわない』(1997)所載。(八木忠栄)


October 25102007

 君はきのふ中原中也梢さみし

                           金子明彦

季句。梢は「うれ」と読ませている。一句の中心をどこに絞り込むのか。一人の詩人が残した透明な詩と強烈な個性が、季語に変わって人々の様々な連想を磁石のように引き付ける。今年は中原中也生誕100年。10月 22日が彼の忌日にあたる。「君はきのふ中原中也」この不思議な措辞は、ナイーブな心を持った友人に「きのう君は中原中也のように振舞ったね。言葉に妥協を許さず、悲しいぐらいに粗暴になったね」と語りかけているのか。それとも「きのふ」というのは遠くて長い輪廻転生の時間で、自分のすぐ近くにいる生き物に「君は中原中也の生まれ変わりだね。」と、話しかけているのか。そしてふっと視線をそらした先には木の葉を落とした樹がその細い枝先を虚空に伸ばしている。「梢(うれ)さみし」は青空に冷たく際立つ梢の形容であるとともにそれを見つめる作者の心の投影でもある。せつなさの滲む口調が直に心にふれてくる中也の詩を思い起こさせる。「町々はさやぎてありぬ/子等の声もつれてありぬ/しかはあれ、この魂はいかにとなるか?/うすらぎて 空となるか?」(臨終)作者の金子明彦は下村槐太の「金剛」に所属。その後林田紀音夫らとともに「十七音詩」を創刊した。『百句燦燦』(1974)所載。(三宅やよい)


October 26102007

 糸長き蓑虫安静時間過ぐ

                           石田波郷

学校二年生のとき、学校でやるツベルクリン反応が陰性でBCG接種を行なった。結核予防のために抗体として死んだ菌を植え込んだのである。ところが腕の接種の痕が膿んでいつまでも治らない。微熱がつづいて、医者に行くと結核前期の肺浸潤であるという診断。予防接種の菌で結核になったと父母は憤り嘆いたが、父も下っ端の役人であったために、公の責任を問うことにためらいがあり、泣き寝入りをした。今なら医療災害というところか。ひどい話である。伝染病であるために普通学級へ登校はできない。休んでいるとどんどん遅れてしまうからと、療養所のある町の養護学級への転校をすすめられた。僕は泣いて抵抗し、父母も自宅での療養を決断した。このとき、安静度いくつという病状の基準を聞いた気がする。とにかく寝ていなければならなかったのだ。しかし、子供のこと、熱が下がるととても一日寝ていられない。僕は家を抜け出して、近所の小学校へ友達に会いにいった。接してはいけないと言われていたので、遠くからでも顔を見ようと思ったのである。運動場に人影はなく、僕は自分のクラスの窓の下に近づいて背伸びをしてクラスの中を覗いた。授業中だった。「あっ、今井だ」と誰かが気づいて叫んだ瞬間に恥ずかしさがこみ上げて全力で走って帰った。波郷の安静度は僕の比ではなかっただろう。ただただ、仰臥して過ぎ行く時間の長さ。糸長きが命と時間を象徴している。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)


October 27102007

 障子はる手もとにはかにくれにけり

                           原三猿郎

起きるとまず、リビングの窓を開けて、隣家の瓦屋根の上に広がる空を見るのが日課である。リビングの掃き出し窓にカーテンはなく、そのかわりに正方形の黒みがかった桟の障子が四枚。それをかたりと引いて、窓を開け朝の空気を入れる。カーテンに比べると、保温性には欠けるのかもしれないが、障子を通して差し込む光には、四季の表情がある。張り替えは、我が家では年末の大掃除の頃になってしまうのだが、「障子貼る」は「障子洗ふ」と共に秋季。確かに、秋晴の青空の下でやるのが理にかなっており、まさに冬支度である。急に日の落ちるのが早くなるこの時期。古い紙を取り除き、洗って乾かして、貼ってさらに乾かして、と思いのほか時間がかかってしまったのだろう。にはかにくれにけり、とひらがなで叙したことで、つるべ落としの感じが出ており、手もとに焦点を絞ったことで、暮れゆく中に、貼りたての障子の白さが浮き上がる。毎年、障子を張り替えるよ、というと友達を連れてきて一緒に嬉しそうに破っていた姪も中学生、今年はもう興味ないかも。作者の三猿郎(さんえんろう)は虚子に嘱望されていたが、昭和五年に四十四歳の若さで世を去ったときく。虚子編新歳時記(1934・三省堂)所載。(今井肖子)


October 28102007

 埴輪の目色無き風を通しけり

                           工藤弘子

輪と土偶と、いつも区別がつかなくなってしまいます。土偶は縄文時代のもので、一方埴輪は、古墳時代のものだということです。素焼きの焼き物です。「ドグウ」にしろ「ハニワ」にしろ、口に出せばどこかさびしげな響きをもった音です。ここで詠われているのはおそらく「人物埴輪」。目と口に穴をうがたれた、単純な表情のものです。単純なゆえに、かえって見るものの想像をかきたてるものがあります。まぶたも唇も無い、ぽっかりと開いた目と口の穴が、私たちに語りかけるものは少なくありません。掲句、季語は「色なき風」、単色の冷たさで吹きつのる秋の風を意味しています。「色無き」は「風」にかかっていますが、埴輪の目の、無表情の「無」にも通じているようです。風は埴輪の外から、目を通し口を通して、何の抵抗も無く内部へ入り込んでゆきます。それだけのことを詠っている句ではありますが、読者としては、どうしても「人物埴輪」を、生きた人の喩えとして見てしまいます。秋の日の、冷たい風の中に立つ自分自身の姿に照らし返してしまいます。日々、複雑な感情と体の構造を持つ「人」の生も、吹く風に向かうとき、単純な一個の「もの」に帰ってゆくようです。さまざまに悩み、さまざまに楽しむ個々の生も、時がたてば、この埴輪の表情ほどに単純なものに、帰してしまうものかもしれません。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


October 29102007

 稲無限不意に涙の堰を切る

                           渡辺白泉

の句について福田甲子雄は「昭和三十年の作であることを考えて観賞しなければならないだろう」と、書いている。そのとおりだとは思うが、しかし福田が言うような「食糧事情の悪さ」が色濃く背景にあるとは思わない。「稲無限」はどこまでも連なる実った稲田を指しており、そのことが作者に与えたのは、豊饒なる平和感覚だったのではなかろうか。戦前には京大俳句事件に関わるなど、作者は大きな時代の流れに翻弄され、またそのことを人一倍自覚していたがゆえに、若い頃からの生活は常にある種の緊張感を伴わざるを得なかったのだろう。それが戦後もようやく十年が経ち、だんだんと世の中が落ち着きはじめたころ、作者にもようやく外界に対する身構えの姿勢が溶けはじめていたのだと思われる。そんな折り、豊かに実った広大な稲田は、すなわち平和であることの具体的な展開図として作者には写り、そこで一挙にそれまでの緊張の糸が切れたようになってしまった。この不意の「涙」の意味は、そういうことなのではあるまいか。ここで作者は過去の辛さを思い出して泣いたというよりも、これは思いがけない眼前の幸福なイメージに愕然として溢れた涙なのだと私には感じられる。長年の肩の力が一挙にすうっと抜けていくというか、張りつづけてきた神経の関節が外れたというか……。。そんなときにも、人は滂沱の涙を流すのである。福田甲子雄『忘れられない名句』(2004)所載。(清水哲男)


October 30102007

 冷まじや鏡に我といふ虚像

                           細川洋子

まじは「すさまじ」。具体的な冷気とともに、その語感から不安や心細さなどを引き連れてくる。「涼しい」より荒々しく、「寒い」より頼りない季節の隙間には、この時期だけそっと鏡に映ってしまう何かがあるのではないかと思わせる。鏡は見る者の位置、微妙な凹凸などによって、真実の姿であるにもかかわらず、さまざまな像を結ぶ。鏡(ミラー)と不思議(ミラクル)とが密接な関係を持つといわれているように、この目も鼻も本当の顔とはまったく別のものが映っているように思えてくる。掲句の作者もまた、鏡に映し出された姿を漠然とよそよそしく感じながら、我が身を見つめているのだろう。右手を上げれば向かい合う左手が上がり、右目をつぶれば向かい合う左目がウインクする。それはまるで動作を真似るゲームのなかで、向こう側の人が慌てて動かしているように見えてくる。人間でもこんがらがってくるこの現象に動物は一体どう対処するのだろう。イソップ物語に登場する肉をくわえた犬の話しを思い出し、飼い猫に鏡を見せてみると、においを嗅いだり、引っ掻いたり、しきりに裏側に行きたがる。目の前にいる動くものが、まさか自分だとはまったく思っていないようだが、手出しせずすぐに引っ込む相手に勝ち誇った様子であった。猫にとっては、鏡の向こう側に住む無害の生き物として認知したのかもしれない。『半球体』(2005)所収。(土肥あき子)


October 31102007

 無駄だ、無駄だ、/大雨が/海のなかへ降り込んでいる

                           ジャック・ケルアック

藤和夫訳。原文は「Useless,useless,/theheavyrain/Drivingintothesea」の三行分かち書きである。特に季語はないけれど、秋の長雨と関連づけて、この時季にいれてもよかろう。たしかに海にどれほどの大雨や豪雨が降り込んだところで、海はあふれかえるわけではなく、びくともしない。それは無駄と言えば無駄、ほとんど無意味とも言える。ケルアックは芭蕉や蕪村を読みこんでさかんに俳句を作った。アレン・ギンズバーグ同様に句集もあり、アメリカのビート派詩人の中心的存在だった。掲出句を詠んだとき、芭蕉の「暑き日を海に入れたり最上川」がケルアックの頭にあったとも考えられる。この「無駄だ・・・」は、単に海に降りこむ大雨の情景を述べているにとどまらず、私たちが日常よくおかすことのある「無駄」の意味を、アイロニカルにとらえているように思われる。その「無駄」を戒めているわけでも、奨励しているわけでもなさそうだけれども、「無駄」を肯定している精神を読みとらなくてはなるまい。この句はケルアックの『断片詩集(ScatteredPoems)』に収められている。同書で俳句観をこう記している。「(俳句は)物を直接に指示する規律であり、純粋で、具象的で、抽象化せず、説明もせず、人間の真のブルーソングなのだ」。これに対し、自分たちビート派の詩は「新しくて神聖な気違いの詩」と言って憚らないところがおもしろい。佐藤和夫『海を越えた俳句』(1991)所載。(八木忠栄)




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