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September 1192007

 何の実といふこともなく実を結び

                           山下由理子

花(やいとばな)、臭木(くさぎ)、猿捕茨(さるとりいばら)。いささか気の毒な名前を持つこの草花たちは、目を凝らせばわりあいどこにでも見つかるものだが、正確な名を知ったのは俳句を始めてからのことだ。そして、これらが驚くほど美しい実を付けることもまた、俳句を通して知ったのだった。歳時記を片手に周囲を見回せば、植物学者が苦心惨憺、あるいは遊び心も手伝ったのであろう草木の名前に、微笑んだり吹き出したりする。しかし、掲句は名前を言わないことで優しさが際立った。作者はもちろんその名を知っていて、あえてどれとなく実を結ぶ眼前の植物を、大らかに抱きとめるように愛でているのであろう。作者の目の前では確かに名前を持つさまざまな植物が、ここでは結んだ実としてのみ存在する。分類学上の名前を与えられてなかった時代にも、同じように花を咲かせ、また実っていたことだろう。先日の台風が通り過ぎ、いつもの散歩道にも固いままの銀杏や柘榴など、たくさんの実が散乱していた。頭上の青い葉の蔭に、若々しい実りがこんなにも隠されていたとは思いもよらぬことだった。掲句を小さく口ずさみ、青い実をひとつ持ち帰った。〈抱きしめて浮輪の空気抜きにけり〉〈変わらざるものは飽きられ水中花〉『野の花』(2007)所収。(土肥あき子)


August 2582009

 抱きしめて浮輪の空気抜きにけり

                           山下由理子

休みもそろそろ数えるほどになってきた。小学生時代は、夏休みの間中、子ども部屋の隅にふくらんだままの浮き輪が転がっていたように覚えている。あるいは、使用する都度ふくらまし、遊び終わったら空気を抜き出し入れする几帳面な家庭もあったかと思うが、プールや川に行こうと呼ばれれば、すぐに浮き輪を腰に装着して駆けて行ったのだから、わが家はかなり野放図派であったようだ。ひと夏、息を足しながら使う浮き輪の空気を完全に抜くときは、夏休みの宿題に迫られたこの時期。今年もそろそろ座敷の隅で夏休みを越した浮輪が目障りになってくる頃だろう。ひとたび栓を解き、抱きしめればひと夏の空気が勢いよく噴出し、次第にくたりとなった浮き輪をさらに二つ折りにしたり四つ折りにしたりと、楽しい思い出を畳み込むようにしてぺちゃんこにしていく。安定しない陽気が続き、今年はあまり活躍の場のなかった浮き輪かもしれないが、来年の楽しい夏までしばらくのお別れである。やけに広々と感じられる子ども部屋に、秋の気配が入り込む。『野の花』(2007)所収。(土肥あき子)




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