暦の上では秋になりました。「そよりともせいで秋たつ事かいの」(鬼貫)。(哲




2007ソスN8ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0882007

 千住の化ケ煙突や雷きざす

                           三好達治

立区千住の空にそびえていた千住火力発電所の「おばけ煙突」を知る人も、今や少数派になってしまった。「おばけ」と呼ばれたいわれはいろいろあるのだが、見る場所によって、四本の巨大な煙突が三本にも二本にも一本にも見えた。残念ながら、東京オリンピックの年1964年11月に姿を消した。私が大学生時代、山手線の田端か駒込あたりから、北の方角に煙突はまだ眺められた。掲出句で作者が立っている位置は定かではないが、近くで見上げているのではあるまい。煙突の彼方にあやしい雷雲が発生して、雷の気配が感じられているのである。今しもガラゴロと近づいてくる兆しがある。雷と自分のいる位置、その間に「おばけ煙突」が立ちはだかっているという、じつに大きな句姿である。「おばけ・・・」などと呼ばれながら、当時はどこかしら親しまれていた煙突だが、ここでは雷の気配とあわせて、やや剣呑をはらんだ光景としてとらえられているように思われる。「化ケ煙突」とはうまい表現ではないか。先般七月に起きた「中越沖地震」で大きな被害にあった柏崎地方の有名な盆踊唄「三階節」のなかで、雷は「ピッカラチャッカラ、ドンガラリン」と愛嬌たっぷりに唄われている。また「おばけ煙突」は五所平之助監督の名画「煙突の見える場所」(1953)の冒頭から巻末まで、ドラマの背景として登場していたこともよく知られている。達治は少年時代から句作に励み、生涯に1,000句以上残したという。玄人はだしの格調の高い句が多い。『定本三好達治全詩集』(1964)所収。(八木忠栄)


August 0782007

 水銀の玉散らばりし夜の秋

                           佐藤郁良

の夜にどことなく秋めいた感じを受けることを「夜の秋」と称する。もともとが個人の受ける「感じ」が主体であるので、しからばそれをどのように表現するかが勝負である。歳時記の例句を見ると長谷川かな女の〈西鶴の女みな死ぬ夜の秋〉、岡本眸の〈卓に組む十指もの言ふ夜の秋〉などが目を引く。どちらも無常を遠くに匂わせ、移ろう季節に重ねるような背景である。一方、掲句は目の前の様子だけを言ってのけている。しかも、体温計をうっかり割って、水銀が一面に散らばってしまうというのだから、その様子はたいへん危険なものだ。水銀が有毒であることは充分理解しつつも、その玉の美しさ、おそるおそる爪先で寄せればひとつひとつがふつりとくっつき合う様子は不思議な魅力に満ちている。多くの経験者には、この液体である金属の持つあやしい状景がはっと頭に浮かぶのではないだろうか。そして、それがまことにひやっとした夜の感触をうまく呼び寄せている。『海図』(2007)所収。(土肥あき子)


August 0682007

 子の墓へうちの桔梗を、少し買いそえて持つ

                           松尾あつゆき

日広島忌。松尾あつゆき(荻原井泉水門)は三日後の長崎で被爆し、三人の子供と妻を失った。「すべなし地に置けば子にむらがる蝿」「なにもかもなくした手に四枚の爆死証明」。掲句は被爆後二十二年の夏に詠まれた。作者の置かれた状況を知らなくても、「少し買いそえて」の措辞から、死んだ子に対する優しくも哀切な心情がよく伝わってくる。この無残なる逆縁句を前にして、なお「しょうがない」などと言える人間がいるであろうか。「老いを迎えることのできなかった人びとの墓前に佇む時、老年期を持てることは一つの『特権』なのだ、という思いに強くとらわれる」(「俳句界」2007年8月号)と、私と同年の天野正子は書く。老いが「自明の過程」のように語られる現在、この言葉の意味は重い。「子の墓、吾子に似た子が蝉とっている」。掲句と同時期に詠まれた句だ。生きていれば三人ともに二十代の大人になっているはずだが、死者はいつまでも幼くあるのであり、そのことが作者はもとより読者の胸を深くゆさぶってくる。今朝は黙祷をしてから、いつもより少し遅いバスに乗って出かける。『原爆句抄』(1975)所収。(清水哲男)




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