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July 2372007

 割り算の余りの始末きうりもみ

                           上野遊馬

でもそうだろうが、苦手な言葉というものがある。私の場合は、掲句の「始末」がそうである。辞書で調べると、おおまかに四つの意味があって、次のようだ。(1)(物事の)しめくくりを付けること。「―を付ける」(2)倹約すること。「―して使う」(3)結果。主として悪い状態についていう。「この―です」(4)事の始めから終わりまで。……ところが私には、どうも(2)の意味がしっくり来ない。そのような意味で使う地方や環境にいなかったせいだと思う。小説などに出てくると、しばしば意味がわからずうろたえてしまう。この句の「始末」も(2)の意味なのだろう。が、一読、やはり一瞬うろたえた後で、やっと気がつき、はははと笑うような「始末」であった。要するに「きうりもみ」は、「割り算の余り」の部分を「倹約」したような料理だということのようだ。どうしても割り切れずに余った部分は、紙の上の割り算であれば放置することも可能だけれど、それでもそれこそ割り切れない思いは残るものである。ましてや、現実の食べ物であるキュウリにおいておや。ならば、他の料理の使い余しのキュウリは、「始末」良く「きうりもみ」にして食べてしまおう。そう思い決めて、せっせと揉んでいるところなのである。「(胡)瓜揉み」なる夏の季語があるほどに、昔は一般的な料理だったが、いまの家庭ではどうなのだろうか。あまり作らないような気もするが、むろんこれは掲句と関係のない別の問題だ。俳誌「翔臨」(第59号・2007年6月)所載。(清水哲男)




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