2007N7句

July 0172007

 扇風機大き翼をやすめたり

                           山口誓子

はどの家にもあった扇風機の姿を、最近はそれほどには見かけなくなりました。エアコンの便利さは理解するものの、目の前で必死に風を送り続ける扇風機の姿には、それなりに愛着を抱きます。風の向きを変えるためにひたすら首を振り続ける様子も、どこかかわいらしく、生き物に喩えられるのも分かるような気がします。掲句の扇風機は、そういった畳の上に置かれる式のものではなく、天井からぶら下がっている天井扇と呼ばれるもののようです。鳥が翼を休めているようだと言っています。優雅な姿を連想させるものとして喩えられています。上空から滑空してきて、静かに地上に降り、羽を休めている様子がはっきりと想像されます。「大き」という形容が、鳥にも扇風機にもぴたりと当てはまっています。まさに大きな「空」が、句を包みこんでいるようです。涼しさを送り続けたのちにスイッチを切られ、やっと羽をのびのびと休ませてほっとしている様子が、たしかに命ある物のように感じられます。言われてみればなるほどという比喩です。風を送り届ける機械にまで及んでいる作者の優しさが、句にも生命を与えています。『作句歳時記 夏』(1989・講談社)所載。(松下育男)


July 0272007

 娘が炊きし味は婚家の筍飯

                           矢崎康子

語は「筍飯」で夏。といっても、もう時期的には遅いかな。筍飯にする孟宗のそれは五月ごろが旬だから。さて、掲句、類句や似た発想の句は山ほどありそうだ。「筍飯」を「豆ご飯」や「栗ご飯」と入れ替えても、句は成立する。が、作者はそんなことを気にする必要はない。また読者も、そうした理由によってこの句をおとしめてはならない。そんなことは些細なことだ。人のオリジナリティなどは知れているし、ましてや短い詩型の俳句においては、類想をこわがっていては何も詠めないことになってしまう。思ったように、自由気ままに詠むのがいちばんである。母の日あたりの句だろうか。久しぶりに婚家から戻ってきた娘が、台所に立ってくれた。筍飯は、母である作者の好物なのだろう。だから嫁入り前の娘にも、味付けの仕方はしっかりと仕込んであったはずだ。が、娘がつくってくれたご飯の味は、作者流のそれとは違っていたというのである。明らかに、嫁ぎ先で習ったのであろう味に変わっていた。そのことによる母としての一抹の寂しさと、娘が親離れして大人になったこととのまぶしさの間の、瞬時の心の行き交いが、この句の「味」の全てである。味の違いに気づかぬふりをして、きれいに食べている母親の優しさよ。俳誌「日矢」(2007年7月号)所載。(清水哲男)


July 0372007

 風ここに変り虚のかたつむり

                           柚木紀子

書きに「谷川岳一の倉沢から幽の沢へ」とある。虚には「うつせ」のルビ。一の倉沢から幽の沢は、北アルプスの穂高、劔岳とともに、日本三大岩場と称するほど人気があるといわれる岩場だ。登山とはまったく縁のない生活をしているが、昨年7月同地を歩く機会を得た。一の倉沢出合まで車で、そこから一時間ほどの登山ともいえぬトレッキングだったが、幽の沢では一気に風の気配が変わり、足元から吹き上がる風に押し戻されるように思えた。ここから先へ行くのか、と山に念を押されているような風である。ここで頷いてしまう者たちが、山に魅入られてしまうのだろう。山肌に打ち付けられた何枚ものプレートは、「魔の山」の異名を持つ谷川岳で遭難したクライマーたちの発見された場所だという。発見される場所が集中しているのは、まるで山が自ら、魅入られた者たちの弔い場所を定めているかのようだ。渦巻きのなかに溶けて消えてしまったようなかたつむりの骸(むくろ)が、ここで落としていった命の器に思えてくる。〈土に置く山の鎮めの桃五つ〉〈いましがた虹になりたる雫かな〉駐車場に戻ると、涙が固まってできたような雪渓を前に、呆然と絶壁を見あげる人たちの姿を見た。『曜野』(2007)所収。(土肥あき子)


July 0472007

 一生の幾百モ枕幾盗汗

                           高橋睦郎

みは「いっしょうの/いくももまくら/いくねあせ」。私たちは一生かかって、どれだけあまたたび(幾百・幾千回)枕のお世話になるのだろうか。どれだけ幾たびかの盗汗をかくのだろうか。盗汗ばかりでなく、熱い汗や冷汗もどれだけ流すことになるのか。――多い人、少ない人の違いはあれども、それが人の一生。私たちは日頃、あまりそんなことを改まって考えることはないけれど、日本語にはさすがに「枕」を冠した言葉がおびただしい数ある。枕詞、枕木、枕絵、北枕、枕経、箱枕、膝枕、枕時計、枕元、枕頭、夢枕・・・・。枕は私たちの喜怒哀楽をさまざまに彩ってくれる。この枕に着目した睦郎の新連載「百枕」が「俳句研究」7月号から始まった。興味をそそられる連載の冒頭は「私たちが毎日用いる道具でありながら、その名の語源のもう一つ明解でないものの一つに、枕がある」と書き出されている。おっしゃるとおりである。その語源については、マクラ(間座)、アタマクラ(頭座)、マクラ(目座)、マク(枕)、マク(巻)、マキクラ(纏座)、マクラ(真座)等々の語義(『日本国語大辞典』)もそこで紹介されている。「枕」そのものは季語ではないけれど、「籠枕」や「枕蚊帳(蚊帳)」となれば夏の季語となる。睦郎は連載第一回を「籠枕」と題し、「籠枕百モの枕の手はじめに」と冒頭で挨拶し、「ふるさとは納戸の闇の籠枕」など10句を試みている。「俳句研究」(2007年7月号)所載。(八木忠栄)


July 0572007

 湧く風よ山羊のメケメケ蚊のドドンパ

                           渡辺白泉

山明宏が銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』にデビューしたのは17歳のときだった。そして1957年、日本語版『メケメケ』で人気を博した。『メケメケ』はそれがどうしたっていうのだ。と、いうフランス語の最初の2音を連続させたものらしい。『ヨイトマケの唄』を雄々しく歌った青年は『黒蜥蜴』で妖艶な女性に変貌した後、現在の姿と相成ったが、そんな未来を40年前は知る由もなかった。「山羊のメケメケ」は白面の美少年を相手に山羊がメケメケを歌っているとでもいうのか。「ドドンパ」は最近では氷川きよしが歌っていたが、1961年に流行った『東京ドドンパ娘』が元祖だとか。都都逸とルンバを組み合わせたところからこういう呼び名が生まれたようだ。そう言われてみれば膝を軽く折り曲げ腰を落とす踊りの格好が血を吸う蚊とちょっと似ている。そんな憶測や意味づけをはねのけるように、口語口調の言葉のリズムは明るく楽しい。だがこの句には店先や家のラジオから風に乗ってやってくる流行歌、やがては消えてしまう歌に猫も杓子も浮かれかえるバカバカしさへの風刺が感じられる一方、そんな流行のはかなさを哀れに思う気持ちが上五の「湧く風よ」の呼びかけに滲んでいる。60年代といえば「もはや戦後ではない」と、日本の高度成長が開始する時期。戦後、俳壇から遠く距離を置いた白泉ではあったが、見かけの上昇に欺かれることなく現実を見つめ、時代の言葉で切って返す力は衰えてはいない。『渡邊白泉全句集』(1984)所収。(三宅やよい)


July 0672007

 落蝉の眉間や昔見しごとく

                           山口誓子

ちて転がっている蝉を拾い、その眉間(みけん)に見入る。ああ、昔見たようだとふと思う。そういう句だ。「見し」ではなくて「見しごとく」なので、はっきり記憶にあるわけではない。見たような感じがするということ。この句を郷愁の句ととることも出来る。蝉捕りをした頃の「昔」の回想。それにしても、蝉の眼と眼の間の距離、色彩、形状。どこにも従来の郷愁的、俳句的情緒のかけらもない。芭蕉の「さまざまのこと思ひ出す桜かな」あたりが一般的抒情のお手本になったからみんな花鳥風月の桜や鶯や風や月の抒情を利用して回顧のシーンや心情に移行するわけだ。ここにはその「典型」がない。日常の瞬間の即物的風景を入口にして、そこから個人的体験へ入っていく。僕はこの句に既視感(デジャ・ブ)をみる。死んだ蝉の眉間にぐんぐん接近するにつれて、カメラは存在の不安ともいうべきものを映し出す。「昔見たような感じ」から「自分がここにこうして在る不思議」へと至るのだ。このカメラワークには世界のクロサワもかなわない。俳句形式でなければ描けない固有の衝撃力がここにはある。存在の不安は即物非情と称せられる誓子作品に一貫しているものであって、それは子規が発案したときに「写生」という方法がもともと持っていた最大の特徴というふうに僕は思うのだが。『遠星』(1947)所収。(今井 聖)


July 0772007

 いつまでもひとつ年上紺浴衣

                           杉本 零

人は家が近所の幼なじみで、一緒に小学校に通っていた。その頃のひとつ違い、それも、男の子が一つ下、となると、精神年齢はもっと違う。彼女が少し眩しく見え始めた頃、彼女の方は、近所の悪ガキなどには見向きもしない。あらためて年上だと認識したのは、彼が六年生になった時だった。彼女は中学生になり、一緒に登校することはもちろん、学校で見かけることもなくなって、たまにすれ違う制服姿の彼女を見送るばかりである。彼も中学生から高校生に、背丈はとっくに彼女を追い越したある夏の夕方、涼しげな紺色の浴衣姿の彼女を見かける。いつもとどこか違う視線は、彼に向けられたものではない。彼はいつまでも、ひとつ年下の近所の男の子なのだった。二つ違いの姉を持つ友人が、「小学生の頃から、姉は女なのだから、男の僕が守らなきゃ、と思っていた。中学生の時、高校生の姉が夜遅くなると、駅まで迎えに行った。」と言ったのを聞き、あらためて男女の本能的性差のようなものを感じつつ、兄弟のいない私は、うらやましく思った。この句は、作者が句作を始めて十年ほど経った、二十代後半の作。紺色の浴衣を涼しく着こなした女性の姿から、男性である作者の中に生まれたストーリーは、また違うものだったろう。その後三十代の句に〈かんしゃくの筋をなぞりて汗の玉〉〈冷かに心の舵を廻しけり〉『零』(1989)所収。(今井肖子)


July 0872007

 氷屋の簾の外に雨降れり

                           清崎敏郎

供の頃、母親のスカートにつかまって夕方の買い物についてゆくと、商店街の途中に何を売っているのか分からない店がありました。今思えば飾り気のない壁に、「氷室」と書かれていたのでしょう。その店の前を通るたびに、室内に目を凝らし、勝手な空想をしていたことを思い出します。氷屋というと、むしろ夏の盛りに、リヤカーで大きな氷塊を運んできて、男がのこぎりで飛沫を飛ばしながら切っている姿が思い浮かびます。掲句に心惹かれたのは、なによりも視覚的にはっきりとした情景を示しているからです。冷え切った室内の暗い電球と、そこから簾(すだれ)ごしに見る外の明るさの対比がとても印象的です。先ほどまで暑く陽が差していたのに、降り出した雨はみるみる激しくなってきました。夕立の雨音の大きさに比べて、簾のこちら側は、あらゆる音を吸収してしまうかのような静けさです。目にも、耳にも、截然と分けられた二つの世界の境い目としての「簾」が、その存在感を大きくしてぶら下がっています。夏の日の情景が描かれているだけの句なのに、なぜか心が揺さぶられます。それはおそらく、傘もささずに急ぎ足で、簾のそとを、若かった頃の母が走りすぎていったからです。『現代の俳句』(1993・講談社)所載。(松下育男)


July 0972007

 箸とどかざり瓶底のらつきように

                           大野朱香

語は「らつきよう(らっきょう・辣韮)」で夏。ちょうど今頃が収穫期だ。らっきょうに限らず、瓶詰めのものを食べていると、こういうことがよく起きる。最後の二個か三個。箸をのばしても届かない。で、ちょっと振ったりしてみるのだが、底にへばりついていて離れてくれない。食べたいものがすぐそこにあるのに、取ることができない事態には、かなり苛々させられる。心当たりがあるだけに、この句には誰でもがくすりとさせられてしまうだろう。何の変哲もない「そのまんま」の出来事を詠んでいるだけなのだけれど、何故か可笑しい。こういうことを句にしてしまう作者の目の付け所自体が、ほほ笑ましいと言うべきか。大野朱香の既刊句集について、この句が収められた新刊句集の栞で小沢信男が書いている。「無造作に読めて、気楽にたのしい。しかも存外な魅力を秘め、いや、秘めてなぞいないのがチャーミングなのですよ」。この言い方は、掲句にもぴったりと当てはまる。言い換えれば、作者の感受性は、素のままで常に俳句の魅力を引き出す方向に働くということなのだろう。「節穴をのぞけば白き花吹雪」、「へたりをる枕に月の光かな」。小沢信男は「なにやら不穏な大野朱香の行く手に、たのしき冒険あれ!」と、栞を結んでいる。『一雫』(2007)所収。(清水哲男)


July 1072007

 自転車のおばちゃん一列雲の峰

                           児玉硝子

然を守るエコライフが信条の世のおばちゃんたちは自転車が大好きだ。前後に荷物を乗せ、左右のハンドルにも買い物袋を下げ、確固たるリズムでペダルを漕いで突進する。おばちゃんはいつも急いでいる。青信号が点滅すると、途端になんとしてでも今ここで渡らなくてはいけないような切羽詰まった何ごとかに迫られる。おばちゃんはたくましい二の腕を夏の日にさらし、しかし、日焼けにも気を使う女心も忘れてはいない。車の邪魔にならないように歩行者レーンを走りながら、てくてく歩く人々を甲高いベルで押しのける。礼儀を重んじるのか、気にしないのか、危険なのか、安全なのか。しぶしぶ停まった赤信号で、空に貼り付く白い雲を満足そうに見上げる。まるでおばちゃんの手によって空に干されたような立派な入道雲である。そこでふと思い至ってしまったのである。おばちゃんとは。私の愛おしい一部分であるおばちゃんとは。一列のおばちゃんたちはいっせいに、これから辻征夫の詩に登場する偉大な「ボートを漕ぐおばさん」に変身すべく急いでいるのだ。(ボートを漕ぐ不思議なおばさん→ 鈴木志郎康さんのHP)はやくあのこのうちへ行かなくちゃ 、と。『青葉同心』(2004)所収。(土肥あき子)


July 1172007

 はつきりしない人ね茄子投げるわよ

                           川上弘美

出句を読んだ人は「これが俳句か!」と言い捨てる人と、「おもしろい!」とニッコリする人の両方に、おそらく極端に分かれると思われる。四年前に初めてこの小説家の句に出会ったときの私の反応は、後者であった。それ以来ずっと、この句は私の頭のすみっこにトグロを巻いたまま棲んでいる。いずれにせよ「はつきりしない人」は、男女を問わずいつの世にもいるのだ。私たちの周囲だけでなく、企業や団体・・・・いや、政治の場でも「はつきりしない/させない」人や事、あるいは「玉虫色のもろもろ」はあふれかえっている。それらには鉄塊か岩石でも投げつけなくてはなるまい。この句で投げられるのは、あの柔らかくて愛しい弾力をもった茄子だから、むしろ愛敬が感じられる。ジャガイモやトマトとは違う。ヒステリックな表情から一転して、茄子がユーモラスな味わいを醸し出している。口調はきついが、カラリとしていて陰険ではない。この人は「投げるわよ」と恐い顔をして威嚇しただけで、実際には投げなかったかもしれないし、投げつけたとしても、すぐにニタリとしてベロでも出したかもしれない。場所は茄子畑でもいいし、台所でもよかろう。「ひっぱたくわよ」ではなく、すぐ手近にあった茄子(硬球ではなく軟球のような野菜)を衝動的に投げつけようとしたところに、奥床しさが表われている。1995年から2003年までに書かれた俳句のなかから、「百句ほど」として自選されたうちの1995年の一句。同年の句に「泣いてると鼬の王が来るからね」がある。これまた愉快な口語俳句。「文藝」(2003年秋号)所載。(八木忠栄)


July 1272007

 噴水とまりあらがねの鶴歩み出す

                           宮入 聖

物をかたどった噴水はいろいろあるが、鶴の噴水で思い出すのは、丸山薫の「鶴は飛ぼうとした瞬間、こみ上げてくる水の珠(たま)に喉をつらぬかれてしまつた。以来仰向いたまま、なんのためにこうなったのだ?と考えている。」(『詞華集 少年』「噴水」より引用)という詩だ。この噴水は日比谷公園の池の真ん中にある鶴の噴水がモデルのようだ。写真を見ると大きな羽根を広げた仰向けの姿勢で細い嘴から水を勢いよく飛ばしている。掲句の「鶴」が日比谷公園の鶴か、作者の想像の産物なのかはわからないが、噴水が止まって歩き出すあらがね(租金)の鶴は、丸山薫の鶴のその後といった感じだ。詩を知らなくとも噴水が止まって動くはずのない鶴が歩き出すシーンを想像して楽しむだけでも充分かもしれないが、詩人が作り出した鶴のイメージをかぶせてみると、句の世界がより豊かになるように思う。垂直にほとばしる噴水のいきおいが急に止まったなら、全身を水に貫かれてしまった鶴も水から解き放たれ、重々しい一歩を前に踏み出しそうだ。栓をひねれば瞬時にして消えてしまう噴水のはかなさと金属の永続性。重さと軽さ。相反した要素を噛み合わせながら、静止と動きが入れ替わる白昼の不可思議な世界を描き出している。『聖母帖』(1981)所収。(三宅やよい)


July 1372007

 ほととぎす大竹藪をもる月夜

                           松尾芭蕉

和三十年代、鳥取市の小学校に通っていた頃、借家はぼろぼろの木造二階建。部屋の土壁が剥落しているような状態で、雨が降ると家の中のいたるところで雨漏りがした。裏には百坪ほどの畑があり、その向こうに大きな竹薮があった。夏は蚊が大量に出て当時流行した日本脳炎を恐れたものだ。二階から見た月はきれいだった。竹薮の彼方に大きな一本の杉があり、その上に月は昇った。小学校の国語の時間で俳句を習った。教科書だったか、副読本だったかにこの句が出ていた。僕はこの句の「もる」を当時、「盛る」だと思ったものだ。月夜が竹薮を盛っている。まるでしゃもじで飯を盛るように。月光がしゃもじだ。貧しかった時代で大盛りのご飯に憧れがあったのかもしれない。とにかく、月光のしゃもじが大竹藪を掬って盛る。すごい句だな。俳句って、芭蕉ってすごいな。そう思った。やがて中学生になって、この「もる」が「洩(漏)れる」の意味だとわかる。月光が竹薮を漏れているのだ。この句が急につまらない句に見えてきた。この程度なら俺にもできる。そう思って初めて一句作り学習雑誌の投稿欄に投句した。中学二年生の春。俳句を始めたのは芭蕉さんのこの句のおかげだ。そんなに早く俳句を作り始めたのが良かったのか悪かったのかわからないけど。日本古典文学大系『芭蕉句集』(1988)所載。(今井 聖)


July 1472007

 いと暗き目の涼み人なりしかな

                           杉本 零

涼(すずみ)とも書く涼み。夕涼み、のほかにも、磯涼み、門涼み、橋涼み、土手涼み、などあり、昔は日が落ちると少しでも涼しい場所、涼しい風をもとめて外に出た。現在、アスファルトに覆われた街では、むっとした夜気が立ちこめるばかりで、団扇片手にあてもなく涼みに出る、ということはあまりない。都内の我が家のベランダに出ると、東京湾の方向からかすかな海の匂いを含んだ涼風が、すうっと吹いてくることがたまにはあるけれど。この句に詠まれている人、詠んでいる作者、共に涼み人である。今日一日を思いながら涼風に向かって佇む時、誰もが遠い目になる。たまたま居合わせた人の横顔を見るともなく見ると、その姿は心地良い風の中にあって、どこか思いつめたような意志を感じさせる。しばらくして、とくに言葉を交わすこともなく別れたその人の印象が、いと暗き目、に凝縮された時、その時の自分の心のありようをも知ったのだろう。〈風船の中の風船賣の顔〉〈ミツ豆やときどきふつと浮くゑくぼ〉人に向けられた視線が生む句の向こう側に、杉本零という俳人が静かに、確かに存在している。お目にかかって、俳号の由来からうかがってみたかった。句集最後の句は〈みをつくし秋も行く日の照り昃り〉『零』(1989)所収。(今井肖子)


July 1572007

 隣る世へ道がありさう落し文

                           手塚美佐

語は「落し文」、夏です。おそらく歳時記を読むことがなければ、出会うことのなかった名前です。動物です。昆虫のことです。オトシブミ科というものがあるということです。辞書を調べると、「クヌギ・ナラなどの葉を巻いて巻物の書状に似た巣を作り、卵を産みつける。その後、切って地上に落とす」とあります。なんとも風流な名前です。むろん虫にとっては、「落し文」だのなんだのという理屈は関係ないのですが、卵を葉に巻くという行為は、自分の子を守ろうとする本能に支えられてのものであり、その名に負けぬ深い思いを、感じることが出来ます。巻いた葉に文字は書かれていなくても、その行為には、親の切なる願いが込められていることは間違いがありません。掲句、「隣る世」とは、次の世代とでもいう意味でしょうか。作者は「落し文」を地上に見つけて、この文が宛てられた先の世界を想像しています。「隣」という語が、子が親に接触するあたたかな近さを感じさせます。さらに作者自身の生きてゆく先の可能性をも、明るく想像しているのでしょうか。虫にとっては手元から「落す」という行為ですが、それはまぎれもなく子を、自然の摂理へ両腕を挙げて捧げあげることの、言い換えのように感じられます。『生と死の歳時記』(1999・法研)所載。(松下育男)


July 1672007

 三伏や弱火を知らぬ中華鍋

                           鷹羽狩行

語は「三伏(さんぷく)」で夏。しからば「三伏」とは何ぞや。と聞くと、陰陽五行説なんぞが出てきて、ややこしいことになる。簡単に言えば、夏至の後の第三の庚(かのえ)の日を「初伏」、第四のその日を「中伏」、立秋後の第一の庚の日を「末伏」として、あわせて三伏というわけだ。「伏」は夏(火)の勢いが秋(金)の気を伏する(押さえ込む)の意。今年は、それぞれ7月15日、7月25日、8月14日にあたる。要するに、一年中でいちばん暑いころのことで、昔は暑中見舞いの挨拶を「三伏の候」ではじめる人も多かった。そんな酷暑の候に暑さも暑し、いや熱さも熱し、年中強火にさらされている中華鍋(金)をどすんと置いてみせたところが掲句のミソだ。弱火を知らぬ鍋を伏するほどの暑さというのだから、想像するだけでたまらないけれど、たまらないだけに、句のイメージは一瞬にして脳裡に焼き付いてしまう。しかもこの句の良いところは、「熱には熱を」「火には火を」などと言うと、往々にして教訓めいた中身に流れやすいのだが、それがまったく無い点だ。見事にあつけらかんとしていて、それだけになんとも言えない可笑しみがある。その可笑しみが、「暑い暑い」と甲斐なき不平たらたらの私たちにも伝染して、読者自身もただ力なく笑うしかないことをしぶしぶ引き受けるのである。こうした諧謔の巧みさにおいて、作者は当今随一の技あり俳人だと思う。『十五峯』(2007)。(清水哲男)


July 1772007

 涼しさよ人と生まれて飯を食ひ

                           大元祐子

外なことに「涼」とは夏の季題である。暑い夏だからこそ覚える涼気をさし、手元の改造社「俳諧歳時記」から抜くと、「夏は暑きを常とすれど、朝夕の涼しさ、風に依る涼しさ等、五感による涼味を示す称」とあり、前項の「釜中にあるが如き」と解説される「暑き日」や「極暑」の隣にやせ我慢のように並んでいる。食事をすると体温はわずかに上昇する。これは「食事誘発性体熱産生反応」という生理現象だという。掲句では「飯を食う」という手荒い言葉を用いることによって、食べることが生きるために必要な原始的な行動であることを印象付けている。また、その汗にまみれた行為のなかで、今ここに生きている意味そのものを照射する。体温が上昇する生理現象とはまったく逆であるはずの涼しさを感じる心の側面には、喜びがあり、後悔があり、人間として生きていくことのさまざまな逡巡が含まれているように思える。ものを食うという日常のあたりまえの行為が、「涼し」という季題が持つやせ我慢的背景によって、知的動物の悲しみを伴った。そういえば、汗と涙はほとんど同じ成分でできているのだった。大元祐子『人と生まれて』(2005)所収。(土肥あき子)


July 1872007

 物言はぬ夫婦なりけり田草取

                           二葉亭四迷

植がすんでからしばらくすると、田の面に草がはえはじめる。一番草、二番草・・・・と草の成育にしたがって、百姓は何回も田草取りに精出さなければならない。「田の草取り」とも言う。田に這いつくばるようにして、両手を田の面に這わせ、稲の間にはえた草をむしり取って、土中に埋めてゆく。少年時代に、ちょっとだけ手伝わされたことがあるが、子どもにはとてもしんどかった! 二番草、三番草となるにしたがって稲の背丈が伸びてくるから、細かい網でできた丸い面を顔にかぶる。稲の葉先は硬く鋭く尖っているから、顔面や眼を守るための面である。蒸し暑い時季だから汗は流れる、這いつくばっての作業ゆえ、腰が棒のようになってたまらなく痛くなってくる。時々立ちあがって汗を拭き、腰を伸ばさずにはいられない。除草機や除草剤が普及するまで、百姓はみなそうやって稲を育てた。百姓はたいてい夫婦か身内で働く。そうした辛い作業だから、夫婦は無駄口をたたく余裕などない。黙々と進む作業と、田の広がりが感じられる句である。別の田んぼでもやはり夫婦が田んぼに這いつくばっているのだろう。農作業をするのにペチャクチャしゃべくってなどいられない。掲出句のような風景は、年々失われてきたものの一つ。平凡な詠い方のなかに、強く心引きこまれるものがある。四迷には「物云はて早苗取りゐる夫婦かな」という句もある。俳句にも熱心だった四迷は「俳諧日録」を書き、「俳諧はたのしみを旨とするもの」と言い切っている。『二葉亭四迷全集』(1986)所収。(八木忠栄)


July 1972007

 淋しい指から爪がのびてきた

                           住宅顕信

頭火や尾崎放哉の自由律俳句は、彼らの特異な生き方を加味して読まれるケースが多いようだ。季語の喚起力や定型を捨てた代わりに作者の人生を言葉の裏づけにしているとも言える。掲句の住宅顕信(すみたくけんしん)もまた、若くして不治の病に侵され26歳の若さで他界した。「ずぶぬれて犬ころ」「降りはじめた雨が夜の心音」などの句がある。この欄に載せようと、掲句を選んだあと、「淋しいからだから爪がのび出す」という放哉の句と似ているのに気づき、その類似について考えていた。放哉に私淑していた顕信がそれを知らないはずはない。が、顕信には顕信の現実があった。その現実を境涯と言い換えてもいいと思うが、そこから考えると類想で片付けられないものも見えてくる。掲句の「指から爪がのびてきた」には手を頭の上にかざしてじっと見入っている病臥の長い時間が感じられる。放哉もまた病魔に冒されていたが、「からだから爪がのび出す」という突き放した表現に荒々しさも感じられる。処し様のないこの激しさが放哉を小豆島の孤独な生活へ追い込んでいったのかもしれない。境涯から読むことは、似ている両句の違いを理解する一助にはなるだろう。しかし彼らの境涯を知らずにそれぞれの句を読んで心を動かされる読者もいるだろう。それは両句とも爪がのびる何気ない生理現象に焦点をあてることで、人間が共通して持っている「淋しさ」への道をひらいているからこそ人を魅了するのかもしれない。『住宅顕信 全俳句集全実像』(2003)所収。(三宅やよい)


July 2072007

 工女帰る浴衣に赤い帯しめて

                           富安風生

前の結婚年齢を考えれば「工女」はまずハイティーンまで。十四、五歳くらいが多かったのかもしれぬ。これは、働く少女たちの可憐さを詠んだ句だ。連れ立った工女たちはどこへ帰るのか。工場のある町の夏祭などの風景なら、工場の寮に帰るのだろう。作者はそれをどういう心境で見ているのか。働く若い健康な肉体の美しさを讃えつつ、それに対する慈愛の眼差しがここにはある。作者は高級官僚だったから、ひょっとしたら、こういう少女たちのためにもいい社会をつくらなければならないと思ったかもしれない。現実の政治機構を肯定し、その機構の内部から大衆を啓蒙し導く立場に立った上での「工女帰る」の感慨である。同じ風景を小林多喜二や石川啄木が見たらどう詠むだろうか。啓蒙する側とされる側、管理する側とされる側の区分を、人は致し方なく受け入れるのか、無自覚に受け入れるのか、受け入れがたいとして抗うのか。「工女」という言葉をみるだけで、「女工哀史」を思ってしまう僕は、どうも明るい健康なロマンから離れた複雑な思いをこの風景に感じてしまう。講談社版『日本大歳時記』(1982)所載。(今井 聖)


July 2172007

 飛魚に瞬間の別世界あり

                           岡安仁義

夏から夏、北上して産卵する飛魚、地方によっては夏告げ魚と呼ぶ。そういった意味では今取り上げるのはちょっと遅いかな、とも思うが、はっきりしない梅雨曇りのよどんだ気分を、ぱっと晴れさせてくれた一句であった。あれは小学生の頃だったか、飛び魚の群を見た記憶がある。細かいことは覚えていないが、水面から飛び出した飛魚の白い腹が、光った空にとける瞬間の記憶がある。気が遠くなるような真夏の太陽と、真っ青な海がよみがえるが、あの瞬間、飛魚は水中とはまったく違う世界を体感していたのだ。飛魚は、大きい魚から身を守るために飛ぶのだという。本当に追いつめられると、五百メートル近く滑空するというから驚く。句集の前後の句から、作者は飛魚を目の当たりにしていたのだろう。近づいて来た漁船から逃れようと文字通り飛び出した飛魚に、ふと同化している。瞬間という時間と、別世界という空間が、句に不思議な立体感を与えると共に、五、五、七の加速する破調が、躍動感を感じさせる。飛魚の、思いのほか大きい目に映る別世界を思う。『藍』(1995)所収。(今井肖子)


July 2272007

 うつす手に光る蛍や指のまた

                           炭 太祇

しかちょうど一年前の暑い盛りだったと思います。日記をめくってみたら7月16日の日曜日でした。腕で汗をぬぐいながら歩いていると、前方を歩く八木幹夫さんの姿を見つけたのです。後を追って、神田神保町の学士会館で開かれた「増俳記念会の日」に参加したのでした。その日の兼題が「蛍」でした。掲句を読んでそれを思い出したのです。あの日、選ばれた「蛍」の句を、清水さんが紹介されていた姿を思い出します。さて、「うつす」は「移す」と書くのでしょうか。しずかにそっと壊さないで移動することを言っているのでしょう。それでも、わざわざひらがなで書かれているので、「映す」という文字も思い浮かびます。手のひらに蛍がその光で、姿を反映している様です。つかまえた蛍を両手で囲えば、「指のまた」が、人の透ける場所として目の前に現れます。こんなに薄い部位をわたしたちの肉体は持っていたのかと、あらためて気付きます。句はあくまでもひっそりと輝いています。思わずからだを乗り出して目を凝らしたくなるようです。蛍をつかまえたことのないわたしにも近しく感じるのは、この句が蛍だけではなく、蛍に照らし返された人のあやうさをも詠んでいるからなのです。『俳句鑑賞歳時記』(2000・角川書店)所載。(松下育男)


July 2372007

 割り算の余りの始末きうりもみ

                           上野遊馬

でもそうだろうが、苦手な言葉というものがある。私の場合は、掲句の「始末」がそうである。辞書で調べると、おおまかに四つの意味があって、次のようだ。(1)(物事の)しめくくりを付けること。「―を付ける」(2)倹約すること。「―して使う」(3)結果。主として悪い状態についていう。「この―です」(4)事の始めから終わりまで。……ところが私には、どうも(2)の意味がしっくり来ない。そのような意味で使う地方や環境にいなかったせいだと思う。小説などに出てくると、しばしば意味がわからずうろたえてしまう。この句の「始末」も(2)の意味なのだろう。が、一読、やはり一瞬うろたえた後で、やっと気がつき、はははと笑うような「始末」であった。要するに「きうりもみ」は、「割り算の余り」の部分を「倹約」したような料理だということのようだ。どうしても割り切れずに余った部分は、紙の上の割り算であれば放置することも可能だけれど、それでもそれこそ割り切れない思いは残るものである。ましてや、現実の食べ物であるキュウリにおいておや。ならば、他の料理の使い余しのキュウリは、「始末」良く「きうりもみ」にして食べてしまおう。そう思い決めて、せっせと揉んでいるところなのである。「(胡)瓜揉み」なる夏の季語があるほどに、昔は一般的な料理だったが、いまの家庭ではどうなのだろうか。あまり作らないような気もするが、むろんこれは掲句と関係のない別の問題だ。俳誌「翔臨」(第59号・2007年6月)所載。(清水哲男)


July 2472007

 もう少しの力空蝉砕けるは

                           寺井谷子

の一生は地中で7年、地上で2週間といわれている。なかには地中暮らしが13年、17年などという強者もいるが、それでもやはり地上の命は同じようにわずかなものだ。蝉という昆虫を感傷的に捉える理由は、この地上での命の短さにあるが、空蝉(抜け殻)が与える視覚的な衝撃も大きく影響しているように思える。無事蝉となった抜け殻を手に乗せそっと握るとき、ふと力を込めて壊してしまいたい衝動にかられる。それは深い渓谷に片足だけそっと差し出す行為にも似て、「しないけれどしてみたらどうだろう」と思うだけで心が騒ぐ。抜け殻なのだから、よもや粉々に壊してしまったとしても、それを残酷な行為とはいえないだろう。しかし、わずかな力の付加を思い留まらせているのが、蝉そのものの形、それも祈るような姿のまま凍り付いている物体への哀憐であろう。わずかな命と引き換えに羽を得た生き物は、その抜け殻さえも殉教者の衣のように神々しく思える。一方、それを引き裂いてしまいたいと思う危うい心に、さまざまなしがらみの中で生きていかねばならぬ人間の悲しいほどまっとうな感情を覚えるのだ。『母の家』(2006)所収。(土肥あき子)


July 2572007

 夏帽子頭の中に崖ありて

                           車谷長吉

帽子というのは麦わら帽、パナマ帽などが一般的とされるけれど、ここでは妙にハイカラな帽子でなければ特にこだわらないでいいだろう。夏帽子そのものは何であれ、作者は帽子に隠された「頭の中」をモンダイにしている。「頭の中」に「崖」があるというのだから穏かではない。長吉の小説の世界にも似てすさまじい。断崖、切り岸が頭の中にあるという状態は、それがいかなる「崖」であれ、健やかなことでない。頭の中に切り立つひんやりとした崖には、怪しい虫どもがひそんでいるかもしれないし、たとえば蛇が垂れさがったり、這いずりまわったりしているかもしれない。今にも崩れそうな状態なのかもしれない。とにかく、そんな「崖」が頭蓋の中、あるいは想念の中に切り立っている状態を想像してみよう。尋常ではない。帽子をかぶっているとはいえ外はかんかん照りで、頭の中も割れそうなほどに煮えくりかえっているのだろう。暑さのせいばかりではあるまい。この句は長吉の自画像かも、と私は勝手に推察する。いや、人はそれぞれ自分の頭の中に、否応なく「崖」を持っていると言えないだろうか。「崖などない」と嘯くことのできる人は幸いなるかな。長吉の俳句を「遊俳」(趣味的な俳句)と命名したのは筑紫磐井である。「やや余技めいた、浮世離れした意味で理解される」(磐井)俳句、結構ですな。長吉には「頭の中の崖に咲く石蕗の花」という句もある。石蕗はどことなく陰気な花である。『車谷長吉句集・改訂増補版』(2005)所収。(八木忠栄)


July 2672007

 手花火の君は地球の女なり

                           高山れおな

花火をする様子は俳句では詠み尽された情景のように思えるが、この句は「地球」という言葉を加えたことで、思いがけない像を描き出している。私たちは地球に生きている動物の一員でしかないけれど、人間中心に生活しているとそんな事実はどこかに吹き飛んでしまう。あたりまえに思えることをわざわざ定義しなおすことで、目の前の光景は宇宙的規模に拡大される。ボクの前で膝をかがめ、ぱちぱち花火を散らしている彼女の姿が丸い地球の表面にへばりついて花火をしているマンガ的にデフォルメされた図として頭に浮かんでくる。それと同時にキミとボクの間柄もにわかに遠のいて親しい彼女が「地球の女」という見知らぬ生物になってしまったようなとまどいも感じられるのだ。経験に即した実感を持って目の前の対象を写しとることに力点を置いた近代俳句以前の俳諧は言葉の滑稽や諧謔を楽しんでいた。掲句では小さく視界がまとまりがちな手花火の景にレベルの違う言葉の「ずれ」を持ち込むことで、日常の次元をゆがませ、ナンセンスなおかしみを感じさせている。『ウルトラ』(1998)所収。(三宅やよい)


July 2772007

 一瀑を秘めて林相よかりけり

                           京極杞陽

えない滝を詠んでいる。目の前に林が広がる。滝音でもするのか、それとも滝はおそらくあると作者は推測しているのか。五感を通して直接感受したことや、感覚を通しての推測ならば、この「秘めて」は「写生」から逸脱しないが、その林の中に滝が存在するという事実を知識として持っているということだと理屈の勝った句になる。この「秘めて」は前二者のどちらかにとりたい。林相(りんそう)とは聞きなれない言葉だ。あるいは専門用語か。それにしても林の美しさを言うのに実に的確な言葉ではある。「祭笛吹くとき男佳かりける」(橋本多佳子)笛を吹く男の姿に見惚れる感覚と林の姿に美しさを感じる感覚はどこか似ている。三十数年前大学受験の折に農学部林学科というのを受けたことがある。獣医学科だの農芸化学科だのの農学部の他の学科よりは競争率が低かったのと、「林は国策の根幹である」だったか「林は地球の縮図である」だったかの言葉をどこかで見て興味を持っていたせいだ。そのときのこの学科は競争率1.8倍だったが、見事に落ちてしまった。講談社『新日本大歳時記』(2000)所載。(今井 聖)


July 2872007

 漂へるもののかたちや夜光虫

                           岡田耿陽

光虫、虫の字を持ちながら植物性プランクトンで、海水の温度が三十度前後になると発生するといい夏季に分類されている。昼間海岸沿いに目にする赤潮には、夜間青白く光る夜光虫によるものもあると今回知った。漁師町に生まれ育った耿陽(こうよう)には、海に因んだ句が多く見られるのだが、特に夜光虫については、「耿陽によって明るみに出た季題」とも言われているようだ。そんな作者の、夜光虫の徹底的な写生句のその先にこの句があった。昭和四年の作である。青白い夜光虫の群を水中から見ていると、宇宙空間にいるようだという。まさに、ふれたものの輪郭を光る夜光虫。陸でいえば蛍もそうだが、真闇に光る生きものは、それを目の当たりにしたものに魂や生命を思わせる。作者は、幾たびも夜光虫に出会い、その幻想的な光を見るうち、概念をこえた造化の不思議や無常をも感じたのかもしれない。もののかたちもののかたち、とくり返しつぶやいていると、自分をとりかこんでいるあらゆるものの存在が、ゆらゆらと遠ざかってゆくような心持ちになる。『句生涯』(1981)所収。(今井肖子)


July 2972007

 ひきだしに海を映さぬサングラス

                           神野紗希

ったりとした日常の世界から、容易に創作の場へ飛び移ることの出来る言葉があります。「ひきだし」も、そのような便利な言葉のひとつです。おそらく、そこだけの閉じられた世界というのが、作者の想像を刺激し、ミニチュアの空間を作り上げる楽しみをもたらすからなのです。ただ、そのような刺激はだれもが同じように受けるものです。「ひきだし」を際立たせて描くためには、それなりに独自の視点を示さなければなりません。掲句に惹かれたのは、おそらくひきだしの中に込められた夏の海のせいです。思わず取っ手に手をかけて、こちらへ大きく引き出してみたくなります。「映さぬ」と、否定形ではありますが、言葉というものは不思議なもので、「海を映さぬ」と書かれているのに、頭の中には、はるかに波打つ海を広げてしまうのです。同様にその海は、サングラスにもくっきりと映り、細かな砂までもが付いているのです。夏も終りの頃に詠まれた句でしょうか。すでに水を拭い去ったサングラスが、無造作にひきだしに放り込まれています。その夏、サングラスがまぶしく映したものは、もちろん海だけではなかったのでしょう。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


July 3072007

 遣り過す土用鰻といふものも

                           石塚友二

日は「土用丑の日」、鰻の受難日である。街を歩いていると、どこからともなく鰻を焼く美味しそうな匂いが漂ってくる。そういえば今日は「土用丑の日」だったと気づかされ、さてどうしようかと一瞬考えたけれど、やっぱり止めておこうと作者は思ったのである。土用鰻の風習をばかばかしいと思っているわけでもなく、べつに鰻が嫌いなわけでもない。できれば「家長われ土用鰻の折提げて」(山崎ひさを)のように折詰にしてもらって買って帰りたいところだが、手元不如意でどうにもならない。その不如意ぶりが「土用鰻『といふもの』」と突き放した言い方によく表われている。止めの「も」では、さらに土用鰻ばかりではなく、他の「もの」も遣り過して暮すしかない事情を問わず語り的に物語らせている。鰻の天然ものがまだ主流だったころの戦後の句だろう。普段でも高価なのに、丑の日ともなればおいそれと庶民の財布でどうにかなる代物ではなかったはずだ。スーパーマーケットなどで、外国の養殖ものが比較的安価で手に入るいまとは大いに違っていた。そんな作者にも、こういう丑の日もあった。掲句を知ってから読むと、なんとなくほっとさせられる。「ひと切れの鰻啖へり土用丑」。『合本・俳句歳時記』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)


July 3172007

 空缶にめんこが貯まり夏休み

                           山崎祐子

月20日あたりから始まる夏休みもそろそろ序盤戦終了。身体が夏休みになじんでくる頃だ。めんこ、と聞いて懐かしく思うのはほとんど男性だろう。わたしには弟がいたので、めんこ遊びのおおよそは知っているが、実際に触ったことはないように思う。長方形や丸形の厚紙でできた札を地面に打ちつけ、相手の札を裏返す。裏返ったら自分の物にすることができるので、茶筒などに入れ、まるでガンマンのように持ち歩いていた。気に入りの札をなにやら大切そうに机の端から端まで並べている弟を見て、つくづく男の子には男の子の遊びがあるものなのだ、などと思ったものだ。おそらく掲句の母親もそう感じたのではないだろうか。自分の知らない遊びに夢中になっているわが子に、成長した少年の姿を見つけ誇らしく、また、ずっと遠くにあると思っていた親離れが案外近づいてきていることを知る。掲句の少年は、9月になって新学期が始まってもまだまだ気分は夏休みのままらしく〈筆箱に芋虫を入れ登校す〉とあり、母親にひとしきりの悲鳴を与えたようだ。とはいえ、いまやどこを見ても小型のゲーム機を手にしている子供ばかり。現在めんこ販売の主流は大人のコレクションが中心となっているという。『点晴』(2005)所収。(土肥あき子)




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