ヨドバシ吉祥寺店の開店がずるずる遅延。武蔵野市の建築確認が降りないそうな。(哲




2007ソスN6ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 3062007

 天瓜粉子供の頃の夕方よ

                           杉本 零

瓜粉(てんかふん)、いわゆるベビーパウダーのようなもので夏季。昨年八月に新増俳が始まって、一年になろうとしている。担当させていただくと決まって、それまであまり読むことのなかった句集その他を読むようになり、最初に惹かれた句集が、この杉本零(ぜろ)氏の『零』だった。昭和六十三年に、五十五歳で亡くなった氏の遺句集である。この句は「慶大俳句」時代の一句。〈よく笑ふ停學の友ソーダ水〉〈見廻して卒業式の上の空〉など学生らしい句の中に混ざり、ふっとあった。子供の頃、といってもこの時まだ二十代、そう遠い昔ではないはずだが、そこに戦争をはさんでいることを思うと、長い時間の隔たりがあるような気持になったのかもしれない。兼題句ではないだろうか、「天瓜粉」の言葉から、心に浮かんだ風景があったのだろう。風呂上がりにつかまえられてはたかれる昔の天瓜粉には、黄烏瓜の独特の匂いがあった。日が落ちかけて涼しい風が吹くともなく吹いてくる夏の夕方、天瓜粉の匂いとともに、縁側に置かれた蚊取り線香の匂い、さっとやんだ夕立あとの土の匂い、記憶の底にある夏の匂いがよみがえってくる。同じ頃の句に〈草紅葉愉しき時はもの言はず〉〈寒燈やホームの端に来てしまひ〉『零』(1989)所収。(今井肖子)


June 2962007

 汗のシャツぬげばあらたな夕空あり

                           宮津昭彦

語に「あり」と一字字余りで置かれた言葉が作者の実感を刻印する。「夕空あたらしき」などの定型表現にはない力強さが生じる。「あらたな夕空」は明日への決意に通じる。汗が労働の象徴だった時代はとうの昔に過ぎ去った。都市化のエネルギーの象徴だった煙突やダムやトンネルはいつのまにか環境破壊の悪者に役どころを変えている。勤勉も勤労も真実も連帯もみんなダサイ言葉になった。死語とはいわないけど。これらの言葉を失った代わりに現代はどういう生きるテーマを得たのだろう。そもそも生きるテーマを俳句に求めようとする態度が時代錯誤なのかな。否、「汗」と言えば労働を思うその連想がそもそも古いのか。だとすると、汗と言えば夏季の暑さから生じる科学的な生理現象を思えばいいのか。それが季題の本意だという理由で。何でシャツは汗に濡れたのか。やはり働いたからだ。テニスやサッカーやジョギングではなく、生きるための汗だ。そんなことを思わせるのはみんなこの「あり」の力だ。講談社『新日本大歳時記』(2000)所載。(今井 聖)


June 2862007

 練馬区のトマト馬鈴薯夏青し

                           嶋田洋一

馬区は昭和22年(1947年)に板橋区から分かれ、23番目の区として誕生したそうだ。今年の8月1日に60周年を迎える。うちの近くの駅前商店街には色とりどりのアニメの主人公を描いた旗が下がり「練馬区独立60周年」と晴れやかな文字が躍っている。調べてみると練馬区には漫画家がたくさん居住しており、アニメ関連事業に関しては日本一らしい。それにしても国家の分離独立を祝うように区の記念行事が開催されるなんて大げさに思えるが、行政の都合で消されてゆく区や町が多い中、確かにめでたいことだ。練馬区は東京23区のうちでも緑地面積が一番大きく、今も広々とした畑がところどころに残っている。掲載句が作られた昭和20年後半から30年あたりは見渡す限りの田園風景だったろう。トマトもジャガイモもまだ固く小さいが、これから夏の日を受けてどんどん大きくなってゆく。下五の「夏青し」にそんな畑の様子とともに初夏から盛夏にかけて吹く風の匂いが感じられる。牛込から練馬に転居した都会育ちの洋一は広々とした景色に心を弾ませている。洋一は父青峰の主宰する『土上』を中心に俳句を始めた。その父は六十歳のとき新興俳句弾圧事件で不当な検挙を受け、留置所内で喀血。釈放後まもなく病死した。「夜半の頭を庭木擦りゆく青峰忌」『現代俳句全集 六巻』(1958)所載。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます