新井豊美さんから詩集『草花丘陵』。その草花丘陵に暮していた私は複雑な気分に。(哲




2007ソスN6ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2962007

 汗のシャツぬげばあらたな夕空あり

                           宮津昭彦

語に「あり」と一字字余りで置かれた言葉が作者の実感を刻印する。「夕空あたらしき」などの定型表現にはない力強さが生じる。「あらたな夕空」は明日への決意に通じる。汗が労働の象徴だった時代はとうの昔に過ぎ去った。都市化のエネルギーの象徴だった煙突やダムやトンネルはいつのまにか環境破壊の悪者に役どころを変えている。勤勉も勤労も真実も連帯もみんなダサイ言葉になった。死語とはいわないけど。これらの言葉を失った代わりに現代はどういう生きるテーマを得たのだろう。そもそも生きるテーマを俳句に求めようとする態度が時代錯誤なのかな。否、「汗」と言えば労働を思うその連想がそもそも古いのか。だとすると、汗と言えば夏季の暑さから生じる科学的な生理現象を思えばいいのか。それが季題の本意だという理由で。何でシャツは汗に濡れたのか。やはり働いたからだ。テニスやサッカーやジョギングではなく、生きるための汗だ。そんなことを思わせるのはみんなこの「あり」の力だ。講談社『新日本大歳時記』(2000)所載。(今井 聖)


June 2862007

 練馬区のトマト馬鈴薯夏青し

                           嶋田洋一

馬区は昭和22年(1947年)に板橋区から分かれ、23番目の区として誕生したそうだ。今年の8月1日に60周年を迎える。うちの近くの駅前商店街には色とりどりのアニメの主人公を描いた旗が下がり「練馬区独立60周年」と晴れやかな文字が躍っている。調べてみると練馬区には漫画家がたくさん居住しており、アニメ関連事業に関しては日本一らしい。それにしても国家の分離独立を祝うように区の記念行事が開催されるなんて大げさに思えるが、行政の都合で消されてゆく区や町が多い中、確かにめでたいことだ。練馬区は東京23区のうちでも緑地面積が一番大きく、今も広々とした畑がところどころに残っている。掲載句が作られた昭和20年後半から30年あたりは見渡す限りの田園風景だったろう。トマトもジャガイモもまだ固く小さいが、これから夏の日を受けてどんどん大きくなってゆく。下五の「夏青し」にそんな畑の様子とともに初夏から盛夏にかけて吹く風の匂いが感じられる。牛込から練馬に転居した都会育ちの洋一は広々とした景色に心を弾ませている。洋一は父青峰の主宰する『土上』を中心に俳句を始めた。その父は六十歳のとき新興俳句弾圧事件で不当な検挙を受け、留置所内で喀血。釈放後まもなく病死した。「夜半の頭を庭木擦りゆく青峰忌」『現代俳句全集 六巻』(1958)所載。(三宅やよい)


June 2762007

 夏帯にほのかな浮気心かな

                           吉屋信子

帯は「一重帯」とも「単帯(ひとえおび)」とも呼ばれる。涼しい絽や紗で織られており、一重の博多織をもさす。夏帯をきりっと締めて、これからどこへ出かけるのだろうか。もちろん、あやしい動機があって出かけるわけではない。ちょっとよそ行きに装えば、高い心の持ち主ならばこそ、ふと「ほのかな女ごころ」が芽ばえ、「浮気心」もちらりとよぎったりする、そんな瞬間があっても不思議ではない。この場合の「浮気心」にも「夏帯」にもスキがなく、高い心が感じられて軽々には近寄りがたい。「白露や死んでゆく日も帯締めて」(鷹女)――これぞ女性の偽らざる本性というものであろう。この執着というか宿命のようなものは、男性にはついに実感できない世界である。こういう句を男がとりあげて云々すること自体危険なことなのかもしれない、とさえ思われてくる。女性の微妙な気持ちを、女性の細やかな感性によって「ほのか」ととらえてみせた。「夏帯やわが娘きびしく育てつつ」(汀女)という句の時間的延長上に成立してくる句境とも言える。桂信子のよく知られる名句「ゆるやかに着てひとと逢ふ螢の夜」などにも「夏帯」という言葉こそ遣われていないが、きりっと締められている夏帯がありありと見えていて艶かしい。女流作家・吉屋信子は戦時中に俳句に親しみ、「鶴」「寒雷」などに投句し、「ホトトギス」にも加わった。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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