昨夜は故あって東京から京都に移住する友人の送別会。引っ越せるだけ元気だね。(哲




2007ソスN6ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2462007

 えり垢の春をたゝむや更衣

                           洞 池

らぽーと横浜の本屋で、平積みになった『古句を観る』を見つけました。幾度か清水さんの文章の中で紹介されていたこの文庫を、その場で読み始めました。夏のページをぱらぱらとめくっているうちに、目にとまったのがこの句です。すでに梅雨の時候ですが、わたしの心持は一気に、元禄期の更衣(ころもがえ)の季節に囲まれていました。アメリカの本屋を思わせるモダンな明るい紀伊国屋の書棚の前で、わたしは苗字もわからないこの俳人の思考過程をひそやかに辿っていました。柴田宵曲(しょうきょく)が解説しているように、この句で特徴的なのは、視線が未来にではなく、これまで過してきた過去に向かっていることです。やってきたことを丁寧に振り返る優しいまなざしが感じられます。衣服に向けられた心配りは、おそらく人にも同様に向けられていたのでしょう。折りたたまれたのはむろん「服」ですが、句は「春をたたむ」と、きれいな表現をつかっています。どんな春の日々をたたんだのかはわかりませんが、何かよい思い出があったに違いありません。忘れがたいできごとをそのままの状態でしまっておきたいという、けなげな願いが、大切に折り込まれているように感じるのです。『古句を観る』(1984・岩波書店)所載。(松下育男)


June 2362007

 漂著のバナナの島は地図になし

                           風 石

後生まれの私でも子供の頃、バナナはみかんやりんごよりも高級品だった。熱を出すと食べられる、というあれである。かつての住まいの庭には、柿、枇杷、夏みかん、いちじく、梅、桑などが実っていたが、バナナはその横文字の響きと、強い香りと甘みが、遠い外国、それも熱帯のジャングルを想像させるのだった。実芭蕉(みばしょう)という和名を知ったのはつい最近、俳句では夏季に分類されている。ばなな、という音には、鼻にぬけるようなとぼけた感じもあるのだが、この句が作られたのは、太平洋戦争も終末に向かっていた昭和十九年である。その年の「ホトトギス」六月号の巻頭の一句であり、作者の出身地の所には、○○船、とある。船の名称は軍事機密、作者も、風石、とだけあり定かでない。太平洋上の小さい島に漂著(ひょうちゃく)した経緯がどういったものだったのか、そこで詠まれた句がどうやって日本へ届いたのか。そんな境遇を余儀なくされながら、俳句を詠むことで、ひとりの人間としての自分と向き合っていられたのかもしれない。今日、六月二十三日は、沖縄慰霊の日。日本で唯一、地上戦となった沖縄では、犠牲者の数二十万人以上であったという。「夾竹桃の花を見ると玉音放送を思い出す」という言葉が記憶にあるが、バナナの島、太平洋、南国、常夏、などから戦争を連想する世代は、確実に少なくなっていく。「ホトトギス巻頭句集」(1995・小学館)所載。(今井肖子)


June 2262007

 思ひ出すには泉が大き過ぎる

                           加倉井秋を

入観というもの。俳句をつくる上でこんなに邪魔になるものはない。泉といえば即座に水底の砂を吹き出して湧き出てくる小さな泉を思ってしまう。先入観、即ち、先人の見出したロマンを自分の作品に用いるのは共通認識を見出すのがた易いからだ。共通認識を書くのは安堵感が得たいため。そうよね、と顔見合わせてうなずくためだ。そこに自己表現はあるのか。共通認識の何処が悪い、むしろそこにこそ俳句の庶民性、俳諧性が存するのだと、居直りとも逆切れとも取れる設定が、季題の本意という言い方。われら人間探求派は季題をテーマからは外したが、人間詠というテーマの背景としてはそれを援用している。寺山修司の「便所から青空見えて啄木忌」のように季題の本意を逆手に取って、古いロマンを嗤う方向もあるが、これも逆手に取ったというあざとさが臭う。中心に据えようと援用しようと逆手に取ろうと、「真実の泉」には届かない。目の前の泉そのものを書き取る。答はすぐそこにありそうなのだが、実は何万光年もの距離かもしれない。講談社『新日本大歳時記』(2000)所載。(今井 聖)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます