東京の真ん中で爆発が起きるは、でっかい看板が落ちてくるは……。外出も命がけ。(哲




2007ソスソスソス6ソスソスソス20ソスソスソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2062007

 梅漬けて母より淡き塩加減

                           美濃部治子

い頃から梅干甕は、お勝手の薄暗く湿ったあたりにひっそりと、しかし、しっかりと置かれ、独特の香りをうっすらとただよわせていた。赤紫蘇を丹念に揉んでしぼりこんでは、くりかえし天日に干す作業。そうやって祖母が作った梅干は、食紅を加えた以上に鮮やかな真ッ赤。そしてすこぶる塩が強く酸っぱいものだった。食が進み、梅干一個で飯一膳が十分に食べられた。今も食卓では毎食梅干を絶やさないが、市販の中途半端に薄茶色のものや食紅を加えたものは願いさげ。自家製の梅干は祖母から母、母から妻へと何とか伝授されている。食事にきりっとアクセントをつける梅干一個の威力。減塩が一般化してきて、祖母より母、母より娘の作る料理の塩加減は、確実に淡くなってきている。塩加減がポイントである梅干もその点は例外ではない。さて掲出句。かつて母が丹精して作っていた梅干の塩辛さをふと思い出し、「でもねえ・・・」と自分に言い聞かせながら、漬けた梅干を試食しているらしい様子はむしろほほえましい。自分(娘)ももうそんなに若くはなく、母の年齢に近いのだろう。梅干にはその家なりの伝来の塩加減や色具合もあって、それがちゃんと引き継がれているだろうけれど、塩加減はやはり時代とともに少々変化してくるのはやむを得ない。治子は古今亭志ん生の長男・金原亭馬生(十代目。1982年歿)夫人。馬生も俳句を作ったが、治子は黒田杏子に師事し、本格的な句を残して昨年十一月に亡くなった。ほかに「十薬にうづもれをんな世帯なる」「去るものは追はず風鈴鳴りにけり」など。『ほほゑみ』(2007)所収。(八木忠栄)


June 1962007

 死んでゐる蛇をしまひし布袋

                           茅根知子

を嫌うあまり「巳年の年賀状を見ることができない」と嘆く友人がいる。常に人から嫌われる生き物の上位に位置する蛇である。邪馬台国では、情報の伝達を禁じるために「文字を書くとその文字がすべて蛇となる」とおふれを出し、人々を容易く信じ込ませたという。蛇を怖れることは、人間が遠く洞窟に暮らしていた時代にさかのぼるというのだから、先祖代々の記憶の種として植え付けられているのかもしれない。掲句の蛇は駆除されたものか、蝮捕りの袋なのか不明だが、その存在は生々しい。俳句は淡々と詠むほどに、読み手に拒絶する時間を与えず広がってしまう映像がある。ことに掲句の下五、「布袋」とぽつんと言い留めたところに、不穏なふくらみを持った目の粗い麻布が、湿り気を伴い、こちらの膝に放り出されたような感触で迫ってくる。蛇は死んだことにより、単なる生き物から永遠の命を持つ化け物へと生まれ変わった。赤い瞳を閉じ、暗い袋のなかでうずくまっているであろう姿は、生きているよりはるかに恐ろしいあり様である。この袋には死んだ蛇が入っている、それだけの情報が、それぞれに形を変えて読者の心に浸透する。『眠るまで』(2004)所収。(土肥あき子)


June 1862007

 厨にも水鳴る喜雨の音の中

                           谷野予志

のところの東京は、まごうかたなき「空梅雨」である。気象庁が梅雨入りと判断したのは、いかなる根拠によるものなのか。連日、夏休みの絵日記にでも描けそうな空がひろがっている。「喜雨(きう)」なる季語は、この国が農業国であったことを思い起こさせるが、農家の人ならずとも、そろそろ一雨欲しいところだ。掲句の作者は待望の雨降りに心楽しく癒されて、水仕事をしている。厨にまで雨音が聞こえてくるというのだから、突然の土砂降りなのだろう。そして、水道からは、これまた勢い良く水が迸り出ている。おそらくは水不足を心配していたのであろう作者には、まごうかたなき「喜雨」なのであり、「湯水のように水を使える」(笑)安堵感が、句いっぱいにみなぎっている。しかも、その心情を音のみで表現し、しかもその技巧を読者に少しも感じさせないところがニクい。上手い。句を読んで、かくのごとき雨を切望すること、いよいよしきりなり。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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