タクシーの運転手に「野球は?」と聞くと「さあ?」である。時代は変わったのだ。(哲




2007ソスN6ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0662007

 噺家の扇づかひも薄暑かな

                           宇野信夫

座での噺家の小道具は扇子一本・手拭一本のみである。いわば武士にとっての刀のようなもの。(昔はってえと、噺家は「扇子一本・舌三寸の稼業」とよく言われましたな。)楽屋の符牒で扇子のことを「かぜ」と呼び、手拭のことを「まんだら」と称する。本来は暑いから扇子を使うわけだが、高座での機能は少々ちがっていて、それだけにとどまらない。暑さ寒さにかかわらず、いや真冬でも高座で扇子をバタバタ開いては閉じる癖のある噺家がいた(三笑亭夢楽)。噺のリズムをとっていたように思われるが、近年の高座ではそういう姿を見かけなくなった。もっとも、クーラーがよくきいているんだもの。小道具としての扇子は煙管、徳利、盃、手紙、刀、杖、鋏、櫓・・・・さまざまなものを表現する。手拭も同様である。風を起こすにせよ、噺のなかの小道具として使われるにせよ、さすがに初夏の高座での扇子の使われ方には、いつもとは微妙にちがった風情が感じられるし、さて、演し物は・・・という期待も新たにわく。そんな客席からの気持ちが扇子一本にこめられた一句である。初夏ともなれば、噺家の着物も絽や紗などに替わり、寄席の掛軸も夏にふさわしいものに替えられる。もちろん噺のほうも夏らしい「青菜」「百川」「あくび指南」、怪談噺・・・・きりがない。高座で使われる扇子は通常私たちが使うものよりも小ぶりで骨も少ない。古今亭志ん朝は純白な扇面よりも、多少くすんだ色のものをと神経をつかっていた。そのほうが高座に馴染む。落語にも造詣の深かった演出家らしい洒脱な句である。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


June 0562007

 牛逃げてゆく夢を見し麦の秋

                           本宮哲郎

の秋は「秋」の文字を含みながら、夏の季語。麦の穂が熟すこの時期を、実りや収穫のシーズンである「秋」になぞらえて使っている。竹の春(秋)や竹の秋(春)なども、このなぞらえを採用する悩ましい季語だ。と、これは蛇足。さて、牛が逃げる夢を見た作者である。〈牛飼ひが牛連れ歩くさくらかな〉〈馬小屋をざぶざぶ洗ふ十二月〉など、新潟の地で農業を営む作者の作品に牛や馬が登場することはめずらしくないが、どれも事実に即した詠みぶりのなかで、夢とは意外であった。さらになぜ牛だったのだろう。馬では、颯爽としていて一瞬にして遠ざかってしまうだろう。引きかえ、おそらく立ち止まり振り返りしながら去っていく牛であることで、存在に象徴や屈託が生まれた。夢とはいえ、農耕の大きな働き手である牛を失う絶望感とともに、一切の労働から解放してあげたいという心理も働いているように思う。凶作や戦争の終わりを預言すると伝えられる「件(くだん)」は牛の姿をしているという。夢のなかにも現実にも、途切れず聞こえていたのは、さらさらと川の流れのような黄金色の麦畑に風が吹き抜ける音である。目が覚めてからもふと、夢のなかに置いてきてしまった牛の行方に思いを馳せる。『伊夜日子』(2006)所収。(土肥あき子)


June 0462007

 夏の月ムンクの叫びうしろより

                           阿部宗一郎

まりにも有名なムンクの「叫び」。血の色のように濁った空の下で、ひとりの人物が恐怖におののいた顔で耳をふさいでいる。つまり題名の「叫び」はこの人物が発しているのではなく、赤い空に象徴された自然が発している得体のしれない声なのだ。掲句はしたがって、この人物の位置から詠まれている。季語「夏の月」は、多く涼味を誘われる景物と詠まれているが、この場合は花札にあるような不気味さを伴ってのぼってくる月と読める。その火照ったような光を見ていると、まさにムンクの「叫び」が「うしろより」聞こえてくると言うのである。作者は兵士としてかつての戦争を体験し、長くシベリアに抑留された人だ。だから「夏の月」を見ても、いまだに風流を覚えるというわけにはいかないのである。「夏の月耳に砲声消ゆるなし」の句もあり、掲句の「叫び」は砲声も含むが、それよりも戦場に斃れた数多くの戦友たちの無念の声でなければならない。戦後六十余年、もはや多くの人には仮想現実のようにしか思えないであろうあの悲惨を、現実のものとして捉え返せという切実な「叫び」がここにある。『君酔いまたも逝くなかれ』(2006)所収。(清水哲男)




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