この夏は暑くなりそうと気象庁。日々の予報はよく当たるのに長期予報は外れがち。(哲




2007ソスN5ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2652007

 花桐やがらがらゆるみ竹庇

                           楠目橙黄子

があんなに大きい木で、薄紫の花が高い所に咲くものだということを、恥ずかしながらつい数年前知った。子供の頃桐といえば、熱中して遊んだ花札。父、母、妹と4人で座布団を囲んだ。勉強は学校で教われ、遊びは家で教えてやる、という父の方針(?)で、小学校低学年の頃から麻雀、花札、ポーカー等、賭こそしないが、めんたんぴん、リーチ、ぴかいち、フルハウスが語彙にある小学生も珍しい、というかのんきな時代だった。花札の桐の花は、いわゆる家紋のデザイン、漠然とすみれのような咲き方を想像していたので、あれが桐の花よ、と教えられた時は驚いた。一度覚えると目につくが、車窓からの遠景が多い。ある時、近所の桐の木がある空き地に、花が散り始める頃車を止めた。雨上がり、桐の花は散ってもさらに匂い立ち、手に取った花は思った以上に大きかった。植えれば二十年余りでタンスが作れるほどに成長することから、娘が生まれたら庭に桐の木を植えよともいわれたようだが、この句の桐の木も、かつてそんな思いをこめて植えられたのかもしれない。人が住む気配のない庭、庇からたれた紐の先に光る雨しずく、今はただ、桐の花の甘い香りがただようばかりである。橙黄子(とうこうし)の原句は、がらがら、の部分、くり返し記号を用いている。横書きではうまく表せなくこうなったが、こうして重なるとやはり強く、ゆるみ、と叙したやわらかさの邪魔をするようにも思われる。「ホトトギス雑詠撰集夏の部」(朝日新聞社)所載。(今井肖子)


May 2552007

 初夏のわれに飽かなき人あはれ

                           永田耕衣

の句、「飽く」を現代語的に解釈すると、飽きるの意味だから、われに飽きていない人が「あはれ」だという内容。こんな自分にも飽きないで付き合ってくれているねという、例えば糟糠の妻への愛情をひとつひねった表現かと思った。最初は。しかし、だとするとどうして「飽かざる」にしないのかと不思議に思ったのだった。自分なら「われに飽かざる人あはれ」にするのにと。耕衣は俳句の技法においては、どんなカードでも切れる人だ。系譜的には誓子門の「天狼」系というふうに知られているが、「寒雷」創刊号の巻頭二席もこの人だ。なんでも自在に出してこられる俳人が「飽かざる」にしない違和感が残った。納得が行かないので調べてみると、古語の「飽く」には肯定的に用いて「満足する」という意味がある。その意味で取ると「われに満足しない人があわれだ」という、前述とは逆の内容になる。こちらだと自分の気持ちを直截に相手にぶつけている句だ。こちらの方が作者の本意だろう。耕衣の仕掛けはまだある。「あはれ」には今の語意の「哀れ」の他に「しみじみと趣き深い」という意味もある。こうなると意味の組み合わせはますます何通りにも拡散していくようにも思える。「初夏」の働きは季節感よりも枕詞のように「われ」につながるだけだ。「おい、わかるかい、この句」と耕衣が言っている。講談社『新日本大歳時記』(2000)所載。(今井 聖)


May 2452007

 メロンほど淡き翳もち夏の山羊

                           冬野 虹

羊は数千年も前から中近東で飼育されていたらしい。痩せた土地でも育てられる頑強さに加え、肉や乳がおいしいことが家畜として長く飼われるようになった理由なのだろう。日本でも昭和30年代初期には60万頭もの山羊が飼育されていたそうだから、農村に山羊がいる風景は別段珍しくなかったかもしれない。けれども身近に山羊を知らないものにとって、この動物はちょっと不気味で不思議な存在だ。例えば山羊の瞳は縦ではなく細い三日月を横に寝かせたような形をしている。広く水平に見渡せるよう横一文字のかたちになっているそうだけど、あの目に映る風景はどんなだろう?円盤のように平べったく横に広がっているのだろうか。掲句ではその山羊の翳に焦点があてられている。つややかな若葉を透かした木漏れ日が、ちらちら地面に躍る夏の午後。新緑は真っ白な山羊の身体にも淡いメロン色の光を落としているのだろう。薄緑の光が差す状態を山羊そのものの翳と表現したことで、初夏の明るい空気の中にいる山羊をパステル画のように淡くきれいに描き出している。画家でもある作者にとっては絵画での表現と言葉での表現は別個のものだったろうが、色や形を捉える鋭敏な感性が俳句の表現にも生かされているように思う。『雪予報』(1988)所収。(三宅やよい)




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