鎌田次男の句

May 0852007

 親戚のような顔して黴育つ

                           鎌田次男

ニシリンを始め、味噌、醤油、チーズなど、深く感謝に値する黴(カビ)は数あれど、清潔志向の現代の生活ではアレルギー疾患を引き起こす一因などとも関係し徹底して嫌われ、愛でるために栽培している人はまずいないと思われる。掲句ではそのにっくき黴が「親戚のような顔」で育っているという。俳句で使用する「ような」や「ごとく」には、ごく個人的な感情に通じるものがあり、読者の「わかる」と「わからない」が大きく分かれるところでもあるが、座敷の片隅で発見した黴がまるで「遠縁の者です。厄介になります」とばかりに、大きな顔でもなく、かといって遠慮するわけでもなく、ひそやかにのさばっていく様子はまさしく「親戚のような顔」であろう。黴が生えるという嫌悪すべき緊急事態が、一転してあっけらかんと罪のない日常に溶け込んだ。親戚が集まる冠婚葬祭の場では、どうしても思い出せない叔父や叔母や従姉妹が、ひとりやふたりいるものだ。しかし確かにどこかで見覚えもあり、どことなく似通うこの係累の特徴も備えている。結局、最後まではっきりとした関係はわからないまま「親戚の人」として存在する人物がいたことなども懐かしく思い出している。『亀の唄』(2006)所収。(土肥あき子)




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