ううむ。これ(右端)は鯉のぼりなのであろうか、それとも洗濯物なのであろうか。(哲




2007ソスN5ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0552007

 揺れつつ海へ伸びゆく道や子供の日

                           中村草田男

月五日が子供の日として祝日になったのは、戦後間もなくの昭和二十三年のこと。子供の人格を重んじ、幸福をはかるという趣旨で端午の節句があてられたという。最近は子供が甘やかされているから年中子供の日ではないか、などと言われもするが、社会全体で子供の幸せを願おうというのは健全な発想だろう。作者は、昭和八年から三十年間余り、東京の私立成蹊学園で教鞭をとっていた。病気や大学転部などで、三十二歳とやや遅めの就職である。その翌年の句に〈入学試験幼き頸の溝深く〉などあり、子供との関わりの中で生まれた句も多いことだろう。掲句、一読して、海へ伸びゆく道、はすんなりわかる。広々とした海へ続く道。そこに、上五を七音にしてまで、揺れつつ、である。揺れているのは何なのか。道は自由の海へ続いている。しかしそこを歩いて行く時、立ち止まったり、ためらったり、時には引き返そうかと思ったりしてしまう。やはり、そんな十代のいわゆる思春期の不安定な心持ちが、揺れているのだろう。そしてそれを包みこむ、作者の慈しみの視線がある。だからこそ、伸びゆく道や、という力強い表現に、健やかなれ、という願いが感じられ、本来の子供の日の一句となっている。『草田男季寄せ』(1985・萬緑「草田男季寄せ」刊行会)所載。(今井肖子)


May 0452007

 しまうまがシャツ着て跳ねて夏来る

                           富安風生

快なリズム、童心が微笑ましくも楽しい。こういう句はどうやったらできるかな。俳句に過剰な期待をかけないことかもしれない。「右手で自己の人間悪、左手で社会悪と闘う」そんな内容を楸邨は句集『野哭』の後記で述べている。そういう気張り方では、こういう句はできない。状況を見遣り自己を見つめ追いつめ、対象の実相に肉薄しようとする。この句は楸邨の作り方と対極に見える。僕は後者の方の傾向を選択したから、まずその伝でいくわけだけど、だからこそこういう傾向の魅力に憧れるところがある。求心的傾向がときにスベッテしまうのは、盛り込みたい内容がふくらみすぎてひとりよがりになってしまい、混沌とし過ぎて伝達性が失われてしまうから。逆にこういう句は類想陳腐の何百もの駄作の果てに得られる稀有の一句だろうと思う。平明と平凡は紙一重なのだ。眉間に皺を寄せて苦吟しても、口をぽかんと空けて小学校低学年になりきっても、秀句にいたる道はどっちもどっちなのだから俳句は難しい。ところでこの句の「来る」は「きたる」。最近は歴史的仮名遣い派でも「来たる」と表記する場合が多い。下の五音だから「来る」と書いても読者はかならず「きたる」と読んでくれる、という信頼感が無いんだろう。そういう点にも歴史的仮名遣いの崩壊は着実に進行していると思わざるを得ない。講談社『新日本大歳時記』(2000)所載。(今井 聖)


May 0352007

 體内を抜ける爆音基地展く

                           三谷 昭

用機ジェットの離着陸の音。地続きでありながら壁の向こうに広がる土地は治外法権の場所である。空を見上げる作者の身体を爆音が貫いてゆく。基地展くは「ひらく」と読むのだと思うが、おそらく米軍基地拡張を意味しているのだろう。講和条約締結以降在日米軍使用延長と基地拡大に対する反対闘争が、各地で起こっていた。その中でも最大規模のものは基地の測量を強行しようとする国側とデモ隊が衝突した砂川事件だった。基地内へ入ったと、逮捕された人達に対する判決。それは日米安保体制と平和憲法の矛盾を突く裁判でもあった。駐留を許容した政府の行為を「平和憲法の戦争放棄の精神に悖る(もとる)のではないか」と9条違反を主張し、被告は無実とした地裁の判決は最高裁で、「安保条約は司法判断に適さない」と差し戻され有罪判決が下される。以後憲法と基地の矛盾は法の外側に置かれてきた。三谷昭は戦前西東三鬼、平畑静塔とともに「京大俳句」弾圧事件で特高に逮捕された苦い経験を持つ。軍用機の爆音が頭上を過ぎる一瞬、作者の身を貫いてゆくのはやり場のない悲しみと怒りだったろう。政治的な主義主張を前面に押し出さない表現だからこそ、読み手はこの句を自分の感覚に引き寄せ現在に重ねてみることができる。今日は憲法記念日。この句から半世紀を経た今も日常のすぐそばで基地は機能し続け、憲法9条はその存続自体が危ぶまれている。『現代俳句全集 4巻』(1958)所載。(三宅やよい)




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