昔に比べて通勤電車で本を読む人が少なくなった。見かけると「おっ」と思うほど。(哲




2007ソスN5ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0252007

 アカハタと葱置くベット五月来たる

                           寺山修司

司が一九八三年五月四日に亡くなってから、もう二十四年になる。享年四十七歳。十五歳頃から俳句を作りはじめ、やがて短歌へとウエイトを移して行ったことはよく知られている。掲出句は俳誌「暖鳥」に一九五一年から三年余(高校生〜大学生)にわたって発表された二百二十一句のなかの一句(「ベット」はそのまま)。当時の修司がアカハタを実際に読んでいたかどうか、私にはわからないし、事実関係はどうでもよろしい。けれども、五〇年代に高校生がいきなり共産党機関紙アカハタをもってくる手つき、彼はすでにして只者ではなかった。いかにも彼らしい。今の時代のアカハタではないのだ。そこへ、葱という日常ありふれた何気ない野菜を添える。ベットの上にさりげなく置かれている他人同士。農業革命でも五月革命でもない。修司流に巧みに計算された取り合わせである。アカハタと葱とはいえ、「生活」とか「くらし」などとこじつけた鬱陶しい解釈なんぞ、修司は最初から拒んでいるだろう。また、アカハタ=修司、葱=母という類推では、あまりにも月並みで陳腐。さわやかな五月にしてはもの悲しい。むしろ、ミシンとコーモリ傘が解剖台の上で偶然出会うという図のパロディではないのか。すでにそういう解釈がなされているのかどうかは知らない。同じ五月の句でも、誰もが引用する「目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹」も、ほぼ同時期の作である。いろんな意味で、修司には五月がよく似合う。病気をした晩年の修司は、再び俳句をやる意向を周囲にもらしていたが、果してどんな俳句が生まれたであろうか。『寺山修司コレクション1全歌集全句集』(1992)所収。(八木忠栄)


May 0152007

 五月晴豚舎のシャワー雫せる

                           上田貴美子

ャワーは夏の季語にもあるが、掲句のそれは涼を取ることが目的ではなく、あくまで豚舎の建物の一部としてのシャワーである。豚はとてもデリケートな動物で、外部から持ち込まれる病原菌にたいへん気を使うという。豚舎内に入る場合には、シャワーを浴びた後、靴下、下着いっさいを用意された衣服に着替えるのだそうだ。おそらくたくさんの豚たちが賑やかに生活している空間に隣合わせて、雫は一滴また一滴とこちら側の機能的な設備のなかに響く。無駄のない言葉の斡旋が、素知らぬ顔をして風景の背後にある真実にぐいぐいと迫っていく。清潔な環境、病気をさせないような配慮の先にあるものとは。ここにいる動物たちは、言うまでもなく食卓にのぼる食べ物になるために飼育されているのだ。わたしたちはいかに生かされているのか、そんな命のやりとりを声高に訴えることなく、掲句はしかしさりげなく差し出してみせている。見上げれば雲ひとつない、はりさけるほど美しい五月の空があるばかり。管理された豚たちは、外界の空を見る機会はあるのだろうか。ぽつり、ぽつりと静かな祈りのように雫がふくらんでは落ちる。『人間(じんかん)』(2004)所収。(土肥あき子)


April 3042007

 北へ行く春と列車ですれちがふ

                           藤井晴子

つてNHKラジオに「日本のメロディー」(1977年〜1991年)という番組があり、愛聴していた。パーソナリティは、独特の語り口で人気のあった中西龍(故人)アナウンサー。掲句は番組の終わりで毎回紹介されていた俳句のなかの一句だ。中西さんは千昌夫の「北国の春」(作詞・いではく)を引用して、この句にコメントをつけていた。とりわけて二番の歌詞の「雪どけせせらぎ丸木橋/からまつの芽がふく北国のああ北国の春」あたりが、いまどきの北海道の季節感にしっくりと来るだろう。調べてみたら、北海道の桜は昨日現在ではまだ咲いていない。青森でも、ちらほらということだった。日本列島は南北に細長く、北国の春が遅いことは誰もが承知している。しかしその承知は頭の中でのそれなのであって、実感として入ってくるのは、実際に列車などで移動するときだ。作者はいま北国から南下中で、車窓の景色がだんだん早春から初夏のようなそれへと移り変わっていく様子に、「北へ行く春」とすれちがっているのだなあと実感している。そんなに情感のある句とは言えないけれど、ちょうどこの季節に旅行する人の実感を素朴にとらえた手柄は評価できる。この実感からもう一歩踏み込めば、もっと良い句になったと思う。惜しい。中西龍『私の俳句鑑賞』(1987)所載。(清水哲男)




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