午後から余白句会。兼題は「たんぽぽ」「風船」「紐」。やさしそうで難しい。(哲




2007N421句(前日までの二句を含む)

April 2142007

 惜春の紐ひいて消す灯かな

                           大久保橙青

夏秋冬、〜めく、という表現は、いずれにもあてはまり、新しい季節の兆しに生まれる句も多い。しかし行くのを惜しまれるのは、春と秋のみ、惜夏、惜冬、とは言わない。夏が好きな私などは、秋の気配を感じると、えも言われず寂しく、去りゆく夏を心情的には惜しむのだが、過ごしやすくなる、という安堵感もまた否めない。それは冬も同様だろう。「望湖水惜春」と前書きのある芭蕉の句〈行春を近江の人とをしみける〉にも見られるように、秋惜む、に比べると、春惜む、惜春、は歴史ある季題である。桜に象徴される華やかな春を惜しむ心持ちには、一抹の寂しさがあり、やわらかい風を、遙かな雲を、のどかな空気を、いとおしみ惜しむのである。芭蕉の句の琵琶湖の大きい景に対して、この句の惜春は、ごく日常的である。現在は、部屋の電気を壁にあるスイッチで消す、というのが大半であろうが、その場合、少し離れた所から間接的にスイッチを押し、暗くなった部屋全体に目をやることになる。しかし、ぶら下がっている紐を、その手で直接ひいて明りを消す時は、引きながらその明りに視線が行く。カチリと消した今日の灯(あかり)の残像が、暗がりの中にぼんやり残っているのを見つつ、また一日が終わったなと、行く春を惜しむ気持になったのだろう。惜春の、で切れており、読み下して晩春の穏やかな闇が広がってゆく。『阿蘇』(1991)所収。(今井肖子)


April 2042007

 胸の幅いつぱいに出て春の月

                           川崎展宏

宏さんが虚子に興味を持ち始めたのはいつごろからだろう。「寒雷」の編集長を長く勤めた森澄雄さんの周辺にいて、「杉」創刊に参加。理論、実作、その気風からも「寒雷」抒情派の青年将校だった氏はそのまま「杉」の中核となったが、同時に「寒雷」同人として作品を寄せ師加藤楸邨への真摯な敬慕を感じさせた。句会に展宏さんが顔を見せたときの楸邨のうれしそうな顔が忘れられない。「展宏くんいくつになった」「はい、四十を超えました」「この間、大学卒業の挨拶に見えたような気がするけど、もう四十ですか」。句会の席でのそんなやりとりを昨日のことのように覚えている。「杉」参加後の展宏さんは高濱虚子への興味を深め、『虚子から虚子へ』などの著作を著す。花鳥諷詠と新興俳句への疑義が「寒雷」創刊の動機のひとつだったという認識から、僕はいろんなところで展宏さんに咬みついたが、今になってそのことは僕の思慮不足だったように感じている。展宏さんは自分の抒情の質に新しい息吹を注入するために観念派楸邨と対極にある存在から「学んで」いたのだった。こんな句をみるとそのことがよくわかる。「胸の幅いつぱいに」の「幅」は楸邨と共通する「観念」。そこに基づいた上で、この句全体から醸し出すおおらかな「気」は展宏さんが開拓した新しい抒情を示しているように思う。ふらんす堂『季語別川崎展宏句集』(2000)所載。(今井 聖)


April 1942007

 呂律まだ整はぬ子にリラ咲ける

                           福永耕二

律(ろれつ)は呂の音と律の音。古くは雅楽の音階を表す言葉であったそうだ。転じて、ものを言うときの言葉の調子を表す。お酒に酔っ払うと呂律が回らなくなるが、「呂律まだ整はぬ」とは、言葉を覚え始めた幼子が靴のことを「くっく」、ブランコのことを「ぶりゃんこ」と舌がよく回らぬなりに伝えようとする様を表している。家にあまりいることのない父親がたまに耳にする片言言葉はさぞ可愛らしく感じられることだろう。ライラックとも呼ばれるリラの花は薄紫色の小花をいっぱいつける可憐な花。「呂律」「リラ」の響き具合が心地よい。リラの花言葉は「若き日の思い出」だとか。甘い香が読み手それぞれの心の中にある幼子との思い出を懐かしくよみがえらせてくれる。幼い子供達、特に女の子はおしゃまになり、口の重い父親などはすぐ言い負かされてしまう。膝にまとわりついて、たどたどしい言葉で親を楽しませてくれた日々はたちまちのうちに過ぎ去る。それが成長というものだろうから子離れの寂しさを感じられる親は幸せなのかもしれない。1980年、42歳の若さで急逝した作者の福永耕二は、この幼子が成人した姿を見届けることはできなかっただろう。『福永耕二句集・踏歌』(1997)所収。(三宅やよい)




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