なんだか急にまた寒くなってきましたね。風邪引きが周囲にチラホラ。ご用心。(哲




2007ソスN4ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1742007

 蟻穴を出づひとつぶの影を得て

                           津川絵理子

たたかな太陽に誘われるように、庭に小さな砂山ができ始めた。蟻が巣穴の奥からせっせと運んでは積み上げた小山である。わが家の地底に広がる蟻帝国も盛んに活動を開始したようだ。掲句で作者が見つめる「ひとつぶ」は、蟻の小さな身体を写し取っていると同時に、その一生の労働に対する嘆息も込められているように思う。長い冬を地底で過ごし、春の日差しをまぶしみながら巣穴を出るなやいなや働く蟻たち。一匹につき、ひとつずつ与えられた影を引きながら休みなく働く蟻に、命とは、生きるとは、と考えさせられるのである。昨年友人が「アントクアリウム」なる蟻の観察箱を入手し、庭の蟻を提供することになった。充填された水色のゼリーが餌と土の役割を果し、蟻の活動を観察できるというものだ。美しい水色のお菓子の家で暮らすことができる蟻たちに羨望すら覚えていたが、四方八方が食料であるはずのこの環境でも、彼らは怠けることなく律儀に通路を掘り続ける。冬眠もしないで働き続ける蟻たちを思い、いやこれこそ地獄かもしれない、と考え直した。太陽に照らされ、蝶の羽を引き、また砂糖壺に行列する方が蟻にとって何百倍も幸せだと思うのだった。第三十回俳人協会新人賞受賞。『和音』(2006)所収。(土肥あき子)


April 1642007

 春山を照らせ淡竹のフィラメント

                           賀屋帆穹

読、子供のころを思い出した。家には電気が来ていなかった。集落十数軒のうち、ランプ生活を余儀無くされていたのは、我が家の他に、もう一軒あるだけだった。むろん、貧困のせいである。薄暗いランプでの生活は不自由きわまりない。夜が来るのがいやだった。また、子供心に口惜しかったのは、ラジオが聴けなかったことや雑誌の付録についてくる幻灯機などで遊べなかったことだ。掲句は、エジソンが白熱電灯を作ったとき、日本の竹をフィラメントに採用したというエピソードに依っている。ならば、これだけ淡竹(はちく)が群生している土地だもの、暗くなってきたら、山を煌々と昼間と同じように、春らしくライトアップしてくれないかという意味だろう。ちょっとした機知の生んだ句だけれど、この機知に、私の子供時代の切なる願望が乗り移る。乗り移ると、往時の生活のあれこれが鮮明に脳裏によみがえってくる。作者の句作意図とはかなりはずれたところで、私はこの句に釘付けになってしまったようだ。誤読はわかっているが、俳句とはこうした誤読を許し誘う装置でもあると言えよう。俳誌「里」(2007年4月号)所載。(清水哲男)


April 1542007

 老の身は日の永いにも泪かな

                           小林一茶

つまでも色あせることのない感性、というものがまれにあります。また、文芸にさほどの興味を持たない人にも、たやすく理解され受け入れられる感性、というものがあります。一茶というのは、読めば読むほどに、そのような才を持って生まれた人なのかと思います。遠く、江戸期に生きていたとしても、呟きは直接に、現代を生活しているわたしたちに響いてきます。むろん、創作に没頭していた一茶本人にとっては、そんなことはどうでもよかったのでしょう。自分の句が、将来にわたってみずみずしさを失わないだろうなどとは、少しも思っていなかったに違いありません。それは結果として、たまたまそうであったということなのです。たまたま一茶の発想の根が、人間の時を越えた普遍の部分に結びついていたからなのです。さて掲句、内容を説明する必要はありません。明解な句です。季語は「日永し」、日が永くなるのを実感する春です。まさか、老齢化が進む現代の日本を予想したわけでもないでしょうが、この切実感は、今でこそ読むものに深く入り込んできます。「日が永く」なり、ものみな明るい方向へ進む、そんな時でさえ、わが身を振り返ると泪(なみだ)が流れるのだと言っています。外が明るければ明るいほどに、自分の命という無常の闇は、その濃度を増すようです。特別な題材を扱っているわけではない、変わった表現を駆使しているのでもない、それでも一茶はやはり、特別なのです。『新訂俳句シリーズ・人と作品 小林一茶』(1980・桜楓社)所収。(松下育男)




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