早大・斎藤、江川以来の盛り上がり。テレビ局は特番。ま、悪いこっちゃないな。(哲




2007ソスN4ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1242007

 鶯や製茶會社のホッチキス

                           渡辺白泉

年の茶摘は何時から始まるのだろう。スーパーの新茶もいいけれど、静岡からいただく自家製のお茶はすばらしくおいしい。新興俳句時代の白泉は「今、ここに在る現実」をタイムリーな言葉で捉える名人だった。製茶会社も鶯もおそらくは静岡に住んでいた白泉の体験から引き出されたものだろう。最近は機械化されて手揉みのお茶は少なくなったらしいけど、掲句が作られたのは昭和32年。製茶会社も家族分業でお茶を摘んで乾かし、小分けに入れた袋をぱちんぱちんとホッチキスで留めてゆく小さな会社だったろう。裏手の竹林からホーホケキョとうぐいすの声がホッチキスを打つ音に合いの手を入れるように聞こえてくる。そんな情景を想像するにしても句に書かれているのは、鶯と製茶会社のホッチキスだけである。二句一章のこの句は眼前のものをひょいと取り合わせたように思えるけど、おのおのの言葉が読み手の想像を広げるため必然を持って置かれている。鶯の色とお茶の色。ホッチキスとウグイスの微妙な韻。直感で選び取られた言葉を統合する「製茶会社」という言葉が入ってこそ取り合わせの妙が生きる。のんびりした雰囲気を醸し出すとともに、どこかおかしみのあるエッセンスを加えた句だと思う。『渡邊白泉全集』(1984)所収。(三宅やよい)


April 1142007

 畑打つや中の一人は赤い帯

                           森 鴎外

先の陽をいっぱいに浴び、人がせっせと畑を打つ風景。それはかつての春の風物詩であった。今はおおかた機械化されてしまって、こうした風景はあまり見られなくなった。年々歳々田や畑から失われていった農村風景である。まだ冬眠をむさぼっている蛙などがあわてて跳び出したり、哀れ鍬の犠牲になったり・・・・鴎外は現場のそんな残酷物語にまで視線を遊ばせることはない。畑のあちらこちらで鍬を振るう姿が散見されるなかで、一人だけ赤い帯をきりりと締めて黙々と畑を打っている女性に目を奪われた。農家の若い嫁さんが、目立つ赤い帯をして農作業をしている姿は、私の目の隅っこにも鮮やかに残っている。野良仕事のなかにも、女性のおしゃれは慎ましくもしっかり息づいていた。何かの折に目にした光景であろうか、鴎外にしてはやわらかいハッとした驚きが生きている。鴎外に対する先入観とのズレを感じさせるような、その詠いぶりに興味をおぼえた。鴎外は俳句もたくさん残している。同じように農村風景を題材にした句に「うらゝかやげんげ菜の花笠の人」がある。初めて尾崎紅葉に紹介されたとき、鴎外はこう言ったという。「長いものは秋の夜と鴎外の論文、短いものは兎の尾と紅葉の小説」。紅葉の俳句もよく知られているが、「長いもの」と自らを皮肉った鴎外が、いっぽうで短詩型に親しんだというのも皮肉?『鴎外全集』19(1973)所収。(八木忠栄)


April 1042007

 つぎつぎと嫁がせる馬鹿花吹雪

                           福井隆子

冷えが続いた陽気に、ずいぶん長持ちしたように思う今年の桜だが、花吹雪も一段落し、これからは桜蘂(さくらしべ)を降らす段に入った。桜は花を落としたのち、ひときわ紅く燃え立つように見えることがあるが、これは深紅に近い色彩の蘂があらわになるためだ。掲句に竹下しづの女の「短夜や乳ぜり泣く子を須可捨焉乎(すてつちまおか)」をふと重ねる。しづの女が母親入門の句であるなら、掲句は母親卒業の句である。しづの女は乳飲み子を前に母性から噴出する一瞬の狂気を描き、掲句は手塩にかけたわが子をあっさりと手放したあとの自嘲と諦観を詠んでいる。「馬鹿」と軽口めきながらも、そこには同時に健やかな巣立ちの喜びと誇らしさがあり、はらはらと散る桜の花びらが、長いお母さん業卒業の祝福の花吹雪にも見えてくる。母の強さはこの超然とした態度にあるのだと思う。元気でいてくれたらそれで結構、そんなおおらかな気分が母性の終点にはある。惜しみない時間を愛する子供に費やしたあとは、自分の時間をたくましく開拓していくのだ。まるで花吹雪のあとの桜が、一層力強く鮮やかな表情を見せるように。『つぎつぎと』(2004)所収。(土肥あき子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます