多磨霊園の桜はほとんど満開状態のまま残っていました。下の写真はお裾分け。(哲




2007ソスN4ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0742007

 水に置く落花一片づつ白し

                           藤松遊子

年も桜の季節が終わってゆく東京である。思わぬ寒波がやってきたり、開花予想が訂正されたり、あたふたしているのは人間。一年かけて育まれたその花は、日に風に存分に咲き、雨に散りながら、土に帰ってゆく。蕾をほどいた桜の花弁は、わずかな紅をにじませながら白く透き通っている。その花びらが水面に浮かび、流れるともなくたゆたっている様子を詠んだ一句である。珍しくない景なのだが、水に置く、という叙し方に、一歩踏み込んだ心のありようを感じる。「浮く」であれば、状態を述べることになるが、「置く」。置く、を辞書で調べると、あるがままその位置にとどめるの意。さらに、手をふれずにいる、葬るなどの意も。咲いていることが生きていることだとすれば、枝を離れた瞬間に、花はその生命を失う。水面に降り込む落花、そのひとひらひとひらの持つ命の余韻が、作者の澄んだ心にはっきりと見えたのだろう。今は水面に浮き、やがて流され朽ちて水底に沈む花片。自然の流れに逆らうことなくくり返される営みは続いてゆく。白し、という言い切りが景を際だたせると共に、無常観を与えている。遺句集『富嶽』(2004)所収。(今井肖子)


April 0642007

 春風にこぼれて赤し歯磨粉

                           正岡子規

々の食事の内容について克明な記録を残した点から子規を健啖家として捉える評や句は多くある。子規忌の「詠み方」としてそれは一典型となっている。結核性腹膜炎で、腹に穴が開き、そこから噴出す腹水やら膿やらと、寝たきりの排泄の不自由さに思いを致して、凄まじい悪臭が身辺を覆っていたという見方もよく見かける視点である。子規が生涯独身で、母と妹が看病していたが、その妹への愛情やその裏返しとしての侮蔑についてもよく語られるところ。特異な状況下におかれた人のその特異さについてはさまざまな角度から評者は想像を膨らませていくわけである。それが子規を語る上のテーマになったりする。しかし、死に瀕した人間が特殊なことに固執したり、健常者から見れば悲惨な状況に置かれたりするのはむしろ当然のこと。そういう状況が、どうその俳人の俳句に影響を与えたのか、与えなかったのかの見方の方に僕などは興味が湧く。子規の日記に歯痛についての記述もあるから、この句から歯槽膿漏の口臭について解説する人がいたとしても不思議はないが、僕は歯磨粉という日常的素材と「赤し」の色彩について「写生」の本質を思う。そのときその瞬間の「視覚」の在り処が「生」そのものを刻印する。「見える」「感じる」ということの原点を思わせるのである。子規の「写生」は、「神社仏閣老病死」の諷詠でなかったことだけは確かである。講談社『新日本大歳時記』(2000)所載。(今井 聖)


April 0542007

 子供よくきてからすのゑんどうある草地

                           川島彷徨子

らすのゑんどうは子供達になじみの春の草花だ。4月から5月ごろに赤紫の小さい花とともにうす緑の細い莢ができる。先っちょにくるくる巻いた蔓も愛らしく、明るい莢の中には粟粒ほどの実が一列にならんでいる。その先端を斜めにちぎり、息を吹き込んでブーブーッ鳴らして遊ぶ。カラスノエンドウの呼び名の由来は人間の食べるエンドウより小さく、スズメノエンドウよりはちょっと大きいからとか。植物の名前にカラスやスズメがつくのは大きさの目安であるようだ。昔は町のあちこちに掲句のような草地があった。放課後女の子が誘い合ってはシロツメ草で花冠を作ったり、四つ葉のクローバーを探したりした。「子供きて」だと、子供が来た草地をたまたま目にしたという印象だが、「子供よくきて」と字余りに強調した表現から、春の草花が生い茂る近所の草地に子供達が毎日賑やかに集まって来る様子がわかる。彼らを見る作者の目が優しいのは自分の子供時代の思い出を重ね合わせているからだろうか。暑くなればカラスノエンドウは荒々しい夏草に覆い隠されてしまう。次に子供達の遊び相手になるのは何だろう。そんなことを楽しく思わせる句だ。彷徨子(ほうこうし)の作品は眼前を詠んでもどこか郷愁を帯びた抒情を感じさせる。「夏休の記憶罅だらけの波止場」「鶏小舎掃除糸瓜に幾度ぶつかれる」『現代俳句全集』二巻(1958)所載。(三宅やよい)




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