花散らしの雨。せめて新一年生の入学式までもってほしいが、東京では無理かな。(哲




2007ソスN4ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0242007

 茎立ちや壁をつらぬく瓦釘

                           石井孤傘

語は「茎立(ち)」で春。「くくだち」あるいは「くきだち」と読む。暖かくなってきて、大根や蕪、菜類の花茎が高く抜きんでることを言う。揚句の前書きには「粗忽(そこつ)の釘」とあって、落語の演目の一つだ。したがって、この噺を知らないと、句の意味はわからない。噺は、粗忽者の大工が長屋に引っ越してくるところからはじまる。箒をかけたいので長い釘を打ってくれと女房に言われた男が、長さも長し、八寸もある瓦釘を柱に打つつもりが、手元狂って壁に打ち込んでしまった。なにせ貧乏長屋のことだから、壁は隣りの物音が聞こえるくらいに薄い。壁をつらぬいた釘は、当然隣家に突き抜けているはずだ。さあ、大変。とにかく謝ってこようということになり、男が隣家を訪ねたまではよかったのだが……(この噺はここで聞けます)。つまり揚句のねらいは、うっかり壁をつらぬいてしまった瓦釘を、これも茎立の一つだとみなした可笑しみにある。いかにも暢気で茫洋とした春らしい見立てだ。と、微笑する読者もおられるだろう。実は、揚句の載っている句集は、他もすべて落語をテーマにした句で構成されている(全377句)。なかで揚句は巧くいっているほうだと思うが、全体的にはいまいちの句が多いと見た。笑いに取材して、新たな笑いを誘い出すのは、至難の業に近いようだ。『落語の句帖』(2007)所収。(清水哲男)


April 0142007

 小当たりに恋の告白四月馬鹿

                           中村ふじ子

月一日です。エイプリルフールです。では、ということで、いくつかの歳時記にあたってみたのですが、「四月馬鹿」あるいは「万愚節」を季語にした句は、どれもピンときません。とってつけたように「四月馬鹿」が句の中に置いてあるだけのように感じるのです。そんな中で、素直に入ってきたのが掲句です。「こ」の音のリズムに、遊び心が感じられます。たぶん、同じ職場の人について言っているのでしょう。いつもひそかにその人のことを思っています。でも深刻な顔で告白する勇気はありません。だめだったときに気まずくなってしまうだろうと思うと、ためらいが出てくるのです。それならばエイプリルフールに、ちょっとした「当たり」をつけてみたらどうだろうと考えたのです。仮に断られても、「冗談冗談」と言って済ませられる日だと、逃げ場を作ったのです。「小当たりに」のところがたしかに、人を好きになった者の弱みと微妙な心理が描かれていて、納得できます。しかし、どう考えてもこの作戦は、うまくゆくようには思えません。告白するほどの思いなら、ずっと当人の胸を痛め、頭を占めてきたはずです。つまり人生の一大事であるはずなのです。四月一日に「小当たりに」なんて、もったいないと思うのです。好きなら好きで、もっと死に物狂いになって、正面からきちんと告白したほうがよいと、わたしの経験から思うのですが。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


March 3132007

 手は常に頭上にかざせ夜の桜

                           相原左義長

年、とある俳句大会の観客席に居た。募集句、当日入選句表彰、講評と進んでゆく。最後に、選者数名が壇上に並び、シンポジウムが始まり、そこに相原氏も並んでおられた。司会進行役の、「俳句の楽しさはどんなところと思われますか?」との質問に氏は、「私は、俳句を楽しいと思ったことはありません」と、一言。特に語気を強めるわけでもなく、むしろゆるやかで訥々とした調子であった。それまで、なんとなくぼんやり座っていた私は、一気に目が覚め、あらためて壇上の堂々としたお姿を確認したのだった。「確かに俳句は楽しいばかりではなく、生み出す苦しみもありますね」という方向に話は流れていったが、そういう意味ではない気がした。その後、〈ヒロシマに遺したまゝの十九の眼〉の一句が裏表紙に書かれた句集『地金』を拝読、ご自身の戦争体験など少し知り得た次第である。掲句、桜は満開、すでに散り始めている。闇の中に白く浮かびあがる桜の木の下にいて、えも言われぬざわざわとした不安感を感じたことは確かにある。まるで、今散るための一年であったかのように降り続く花の闇で、立ちつくしたことも。作者も、そんな闇にいて、どこか心がかき乱される思いなのか。その思いに立ち向かうように、落ちてくる花びらのなめらかな感触を遮るように、手は常に頭上にかざせ、と叙している。その命令形の強さが、桜の持つ儚さと呼応して、人の心のゆらぎを自覚させ、切ない。散りゆくことそのものがまた、遠い記憶を呼び起こし、詠まずにはいられなかったのかもしれない。『地金』(2004)所収。(今井肖子)




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