ケーブルTV22社が桜の名所35カ所の動画をリアルタイムで配信…。TVの原点かも。(哲




2007ソスN3ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1432007

 襟あしの黒子あやふし朧月

                           竹久夢二

ちろん女性のしろい襟あしにポチリとある黒子(ほくろ)である。本人は気づいているのだろうが、本人の目には届きにくい襟あしに忘れられたように、とり残されたようについているほくろは、この場合、美人の条件の一つとして設定されていると言っていい。まだ湿気を多く含んだ春の夜にぼんやりかすむ朧月は、満月や三日月のようなくっきりとした美しさとは別の妖しさがしっとり感じられる。夜空ににじんでいるような朧月と、襟あしにポチリと目立つほくろの取り合わせは憎い。そんな絵が夢二にあったような気がする。明治から大正にかけて、美人画で一世を風靡した夢二ならではの、女性に対する独自のまなざしがある。目の前にあるほくろと、夜空に高くかすむ月。両者を結ぶ「あやふし」は、ほくろを目の前にした作者のこころがたち到っている「あやふさ」でもあるだろう。その情景はいかようにも設定し、解釈できよう。美人が黒猫を抱いている代表作「黒船屋」も妖しい絵だけれど、夢二は浪漫的な美人画ばかりでなく、子供の絵もたくさん残した。詩や俳句も少なくない。夢二の絵そのものを思わせる「舞姫のだらり崩るゝ牡丹かな」という句もある。そんな大人っぽい妖しい句があるいっぽうで、「落書を消しにゆく子や春の月」という健気な句もある。『夢二句集』(1994)所収。(八木忠栄)


March 1332007

 流木は海の骨片鳥帰る

                           横山悠子

鳥が北へと帰る頃になると、わたしの暮らす東京の空にも、黒いすじ雲のような鳥たちの姿を見ることができる。桜の便りと雪の便りが同時に届く今年のような妙な気候では、出立の日を先導するリーダー鳥はさぞかし戸惑っていることだろう。長い旅路は海に出てからが勝負である。空に渡る黒いリボンは、大きくターンするたびに翼の裏の真っ白な羽を見せ、手を振るようにきらきら光りながら、海の彼方へと消えていく。幾千の命を生み、また幾千の命の終焉を見てきた母なる海にとっては、海原の上を通うちっぽけな鳥影も、進化を重ね、わずかに生き延びることができた血肉を分けたわが身であろう。小さな鳥たちの影を、また落としていった幾本かの羽毛を、波はいつまでも愛おしんで包み込む。打ち上げられた流木を波が両手で転がし、惜しむように洗ってゆく。海は大きな揺りかごとなって、いつまでもいつまでもその身を揺らす。太古から存在する海、大樹であった流木の過去、鳥たちの苦難の旅など、掲句はひと言も触れずに、すべてを感じさせている。こうした俳句の読み方は、時としてドラマチックすぎると思われるだろう。しかし、ひとつの流木を見て作者に浮かんだイメージは、十七文字を越えて読者の胸に飛び込んでくる。一句の持つ力にしばし身をまかせ、去来する物語りに身をゆだねることもまた俳句を読む者の至福の喜びなのである。『海の骨片』(2006)所収。(土肥あき子)


March 1232007

 春泥をわたりおほせし石の数

                           石田勝彦

語は「春泥(しゅんでい)」。春のぬかるみのことだ。ぬかるみは、べつに春でなくてもできるが、雪解けや霜解けの道には心理的に明るい輝きが感じられることもあって、春には格別の情趣がある。明治期に松瀬青々が定着させた季語だそうだ。ぬかるんだ道をわたるのは、なかなかに難儀である。下手をすると、ずぶりと靴が泥水にはまりこんでしまう。だからわたるときには、誰しもがほとんど一心不乱状態になる。できるだけ乾いている土を選び、露出している適度の大きさの石があれば慎重に踏んでわたる。よほど急いででもいない限り、そうやって「わたりおほ」した泥の道を、つい振り返って眺めたくなるのは人情というものだろう。作者も思わず振り返って、わたる前にはさして意識しなかった「石の数」を、あらためて確認させられることになった。あれらの石のおかげで、大いに助かったのである。なんということもない句のように思えるかもしれないが、こういう小さな人情の機微を表現できる詩型は、俳句以外にはない。この種の句がつまらないと感じる人は、しょせん俳句には向いていないのだと思う。『秋興以後』(2005・ふらんす堂)所収。(清水哲男)




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