確定申告にとりかからねば。今日は天気も悪いそうだから、一日数字とにらめっこ。(哲




2007ソスN3ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1132007

 起きよ起きよ我が友にせんぬる胡蝶

                           松尾芭蕉

代詩が昆虫をその題材に扱うことは、そう多くはありません。かすかに揺れ動く心情を、昆虫の涙によって表したものはありますが、多くの場合「虫」は、姿も動きも、人の観念を託す対象としてはあまり向いていないようです。片や、季語がその中心に据えられた「俳句」という文芸においては、間違いなく虫はその存在感を存分に示すことができます。季節の中の身動きひとつでさえ、俳人の掌に掬い取られて、時に感情の深部にたどり着くことがあります。掲句、「ぬる」は「寝る」の意味。虫の中でも、「蝶」の、夢のように舞うすがたは、地べたを這う虫とは違った印象をあたえてくれます。芭蕉が「起きよ起きよ」と二度も声を掛けたくなったのも、色彩そのもののような生き物に、弾むこころが抑えられなかったからでしょう。「我が友にせん」というのは、単に話し相手になっておくれということでしょうか。あるいは蝶に、夢の中身を教えてくれとでも言うつもりでしょうか。一人旅の途中で、目に触れたかわいらしい生き物に、つい声を掛けたと思えば、ほのぼのとした情感を持つことができます。ただ、見方によっては、これほどにさびしい行為はないのかもしれません。一人であることは、それが選び取られたものであっても、ちょっとした心の揺らぎによって、だれかへもたれかかりたくなるもののようです。『芭蕉物語』(1975・新潮社)所収。(松下育男)


March 1032007

 古稀といふ春風にをる齢かな

                           富安風生

が子供の頃、二十一世紀は未来の代名詞だった。2003年生まれの鉄腕アトムに夢中になり、ある日ふと、その頃自分は何歳なんだろう、とそっと引き算してみると、2003−1954=49。四十九歳、親の年齢を上回る自分の姿を想像することは難しく、その遠い未来に漠然と不安を覚えた記憶がある。思えば、老いることを初めて意識した瞬間。ひたすら今を生きていた小学生の頃のことだ。「わたしの作品に“老”が出はじめたのは、長い俳歴のいつごろであったか。」雑文集『冬うらら』(富安風生著)のあとがきは、この一文で始まっている。作者は、まだ老の句を詠むには早すぎる頃から、「人間の、自分自身の、まだ遠い先の老ということに、趣味的な(といってもいいであろう)関心を抱いて」概念的な老の句を作っては、独り愉しんだり淋しがったりしていたという。「人生七十古来稀」を由来とする古稀は、最も古くからある長寿の賀である。そして、古稀を迎えてからは、それまで遊びであった老の句に実感が伴うようになり、「おのずからため息の匂いを帯びてきた。」のだと。春風にをる、の中七は、泰然自若、悠々と達観した印象を与える。しかし、老が思いの外実感となって来たことに対する、かすかな戸惑いをさらりと詠みたい、という心持ちも働いているのではないか。それは、人間的で正直な心持ちと思う。「この世に“思い残すことはない”などと語る人の言葉をきくと、何かそらぞらしく、ウソをついているなと思えてならんのです。(中略)自分自身のために、死ぬるまで、明日を待ち楽しむ気持で、一日一日の命を大事にしたいというだけの事です。」昭和五十四年、九十三歳で天寿を全うされた作者八十一歳の時の言葉である。引用も含めて『冬うらら』(1974・東京美術)所載。(今井肖子)


March 0932007

 城ある町亡き友の町水草生ふ

                           大野林火

ある町は日本の町の代名詞。小さな出城まで入れると日本中城ある町、または城ありし町だ。城があれば堀があり、春になると岸辺に水草(みぐさ)が繁茂し、水面にも浮いている。生活があればそこに友も出来る。どこに住む誰にでもある風景と思い出がこの句には詰まっている。鳥取市と米子市に八年ずつ住んだ。鳥取市は三十二万五千石。市内の真ん中に城山である久松山(きゅうしょうざん)がどっしりと坐っている。備前岡山からお国替えになった池田氏が城主で、池田さんが岡山から連れてきた和菓子屋が母の実家だった。五、六歳の頃から、お堀に毎日通って、タモで泥を掬ってヤゴを捕った。胸まで泥に浸かって捕るものだから、危険だと何度叱られたかわからない。小学校三年生のときそこで初めてクチボソを釣った。生まれて初めての釣果であるクチボソの顔をまだ覚えている。中学と高校は米子。米子には鳥取の支城の跡があり、城址公園で同級生と初めてのデートをした。原洋子さん可愛かったなあ。その後原さんは歯科医になったらしいが、早世されたと聞いた。僕のお堀通いを叱責した父も母も今は亡く、和菓子屋を継いだ叔父も叔母も近年他界した。茫々たる故郷の思い出の中に城山が今も屹立している。平畑静塔『戦後秀句2』(1963・春秋社)所載。(今井 聖)




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