♪あかりをつけましょ、ボンボロリーン…。と、幼い娘が歌っていたのもはるかな昔。(哲




2007ソスN3ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0332007

 春雷の地平線より来りけり

                           小川龍雄

月三日は上巳(じょうし)、いわゆる桃の節句である。古くは、三月上旬の巳(み)の日に行われたのでこう呼ばれるようだが、現在は三月三日の雛祭として定着している。やはりここは雛の句を、と思い、あれこれ探し求めていたところ、今日は、3.3、にちなんで「耳の日」でもあるという。なるほど、語呂もさることながら、算用数字の「3」が耳に見えてくる。そういえば、時々訪れる都心の庭園でも、冬の間は、池を渡る風が耳元で冷たい音をたてる他は、しんとしているが、先だっての少し春めいた日、もうさえずりが始まっており、残る鴨が明るい水音を立てて光をまき散らしていた。耳で、つまり音で感じる季節感、というのも確かにあるなあ、と思っていたところ、掲句である。雷といえば夏季であり、おおむねとどろき渡る。それに対して春雷は、さほど音も大きくなく、長く続かないことが多い。が、この句の、はるかな地平線の彼方から来る春の雷は、まさに冬眠中の虫の目を覚ますという「虫出しの雷」。低く太く響きながら近づいて来る。春の訪れの喜びも感じられる一句だが、詠まれている大地は中国大陸であるという。背景を知らなくても、確かに大陸を想像させ、大きい景が広がる。中華料理では、おこげに熱いあんをかける音を春雷に見立てる、と聞き、なるほどと納得した。同人誌「YUKI」(2007・春号)所載。(今井肖子)


March 0232007

 探梅の一壺酒われら明治つ子

                           佐野まもる

を持って梅見に行った明治生まれの私たち。という句である。表現上特段に「見せ場」が無さそうに思えるが、やっぱりこんな句が句会で出たら採ってしまうだろうな。一壺酒(いっこしゅ)という言い方が漢詩調であり、どこか品格を添える。明治っ子という言い方が現代から見れば新鮮で面白い。明治っ子、大正っ子、昭和っ子。元号で世代意識を区切るのは無理として、それでも、価値観のブレなかった時代には、それなりの統一的気風のようなものが生まれる。明治から昭和一桁は世界の強国日本だったから、「万里の長城で小便すればゴビの沙漠に虹が立つ」なんてスケールの意識。大東亜戦争中の軍歌に「ホワイトハウスに日の丸立てて」なんてのもあったらしいが、こうなるともう悲惨な強がりをヤケになって歌っている感じだ。僕の父は大正八年生まれ、見習士官で終戦。大日本帝国の残滓を齧って青年期に入った分、価値観の転換に対するショックも大きい。懐疑派というと内面的なようだが、いじめられた記憶が消せない檻の中の狸のような目線で外を見ていた。和魂洋才、車夫馬丁、帝国大学、天下国家、重工業、信義、信念、倫理、遊郭、男尊女卑、家、士族、平民、天皇。明治生まれのダンディズムはそんな言葉の上に立って一壺酒を携え梅の花を見上げる。平畑静塔『戦後秀句2』(1963・春秋社)所載。(今井 聖)


March 0132007

 早春の空より青き貨物船

                           岡本亜蘇

先の明るい空よりもっと青い色の貨物船だ。普通に読めば、早春の貨物船を描写した句に思える。しかし、「〜より」を比較ではなく、経由を表す「〜から」の意味で読むと、光あふれる早春の空からまっさおな貨物船がふわふわ舞い降りる不思議な光景が出現する。波止場に横付けになった船の色を即物的に詠んだ句としてもすがすがしい春の季感が感じられるが、別の角度からの読みもまた面白い。貨物船は巨大な胴体に荷物を積んで運搬する船。瀟洒な客船に較べ図体も大きく動きも鈍い。そんな船が軽々と空を渡って岸壁に接岸するシーンを想像するだけで楽しい。生まれ育った神戸では校舎の屋上から、沖に停泊するタンカーが霞んで見えた。カメラを提げて波止場を走り回る少年達は、コンテナや泥臭い運搬船には眼もくれなかったが、紺の船体に赤のラインが入ったスマートなデザインの英国の貨物船は、純白の客船に劣らぬ人気を集めていた。今も神戸の埠頭に豪華客船は入港してくるけど、商船大学は廃止になり、街を闊歩する外国船員の姿も少なくなった。そうした現実を思うとき、青い貨物船と早春の空のみずみずしい取り合わせが、過ぎ去った海運の時代への郷愁をも引き寄せるように感じられる。『西の扉』(2005)所収。(三宅やよい)




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