昨夜は良き友人に囲まれて楽しかった。武者小路さん「仲よきことは美しい」ですね。




2007ソスN2ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2122007

 寄席の木戸あいて春めく日なりけり

                           入船亭扇橋

席の客席は映画館や劇場とちがって真っ暗ではない。薄明かりのなかで、白昼から三味線が鳴り、鉦太鼓が響き、亭内には赤い提灯がずらり。そのうえ笑いが絶えない。こんなスペースは他にはない。寒さがゆるんでくる時季になれば、亭内の空気も一層やわらいでくる。客の身なりも然り。以前ならば、「らっしゃいー」という木戸番の爺さんの威勢のいい声が、雰囲気を盛りあげていた。木戸をくぐれば、笑いもどこやら春めいてやわらぎを増し、高座の演し物も春にふさわしい噺がならぶ。いつも楽屋入りしている落語家が、木戸をあけて出入りする客にふと春めいた気配を感じとったのだろう。「さて、今日あたりは『長屋の花見』でも伺うか・・・・」とか。高座にも客席にも、ぬくい空気がふくらみを広がってくる結構な時季である。楽屋でも春めいた洒落が立ったり座ったりしているにちがいない。掲出句はそうした“春”をさらりと詠んで、屈託ない。九代目扇橋は名人桂三木助(三代目)に入門した。句歴は古く、すでに小学校6年生の頃に運座に参加して、商品に団扇や味噌をもらったりしていた。十代で「馬酔木」に投句。秋桜子編『季語集』には「溝蕎麦の花淡し吾が立つ影も」「山吹に少女の雨具透きとほる」の二句が収載されている。俳号は光石。現在、東京やなぎ句会の宗匠。俳句については「喜び、悲しみ、笑い、叫び、怒り、憎しみ、たわむれ――すべてをすっぽり包み込んでしまう俳句は、本当に偉大な風呂敷である」と書く。今も元気でまめに寄席に出演し、飄々とした枯淡の味わいが、独自の滑稽味をにじませている。『扇橋歳時記』(1990)所収。(八木忠栄)


February 2022007

 菜の花や象と生まれて芸ひとつ

                           佐藤博美

大な身体を持ちながら従順に命令に従う象の芸は、賢さや器用さを思うより、いいようのない切なさを伴うものだ。さらに戦争中の1943年、逃走したら危険という理由で餓死させられた上野動物園の象が最後まで芸を繰り返したという実話も重なり、異国の地に連れてこられた動物たちの哀れな運命に思いを馳せる。涅槃図に描かれる白象ではなく、人々は一体いつ実物の象という動物を目にしたのだろうかと思い調べてみると、1728年8代将軍吉宗が注文した5才のメスと7才のオスの2頭の象がベトナムから長崎に到着していた。船旅の疲れが祟ったのか、メス象は3カ月ほどで死んでしまうが、オス象と象使いたち一行は江戸を目指し、一日に3里から5里のペースで陸路をたどったという。京都御所謁見の際「広南従四位白象」という位まで頂戴した象さまをひと目見ようと、道中の熱狂の人垣はいかばかりかと想像するが、象の方は街道の人々に愛嬌を振りまいて穏やかに歩を進めていたようだ。オス象は10年ほど浜離宮で飼育され、吉宗は時折江戸城に召し出したというが、その後は中野の農夫に払い下げられ見世物とされ、数カ月後の真冬の12月に病死している。象の寿命が70年余りだと考えると、享年21才という年齢は短いものだろうが、伴侶もなくたった一頭で繰り返す四季はあまりに長く悲しい歳月だったことだろう。掲句の菜の花の屈託のない黄色が、ひときわ印象的な色彩となって胸に灯る。『空のかたち』(2006)所収。(土肥あき子)


February 1922007

 手に受けて少し戻して雛あられ

                           鷹羽狩行

誌にこの作者の句が載っていると、必ず真っ先に読む。何でもないような些事をつかまえる名手ということもあるが、単に巧いというだけではなく、句の底にはいつも暖かいものが流れていて、そこにいちばん魅かれているからだ。とくに心弱い日には、大いに癒される。揚句でも、まさに何でもない所作を詠んでいるだけだが、作句の心根がとても優しく温かい。雛あられを受けるときには、自然に両掌を差し出す。こぼしてはいけないという配慮の気持ちもあるのだけれど、そこには同時に人から物をいただくときの礼儀の気持ちが込められている。すると領け手の側は、その礼儀に応えるようにして、これまた自然な気持ちから両掌いっぱいに雛あられを注ぐのである。そういうことは句のどこにも書かれてはいないが、「少し戻して」という表現から、読者はあらためてこの日常的な礼節の交感に気づかされ、そこに何とも言えない暖かさを感じ取るというわけだ。ひとつも拵え物の感じがしない、こねくりまわしていない。けれども、人のさりげない所作の美しさにまで、きちんと錘がおりている。天賦のセンスの良さがそうさせたのだと言うしか、ないだろう。掲載誌より、もう一句。<まんさくの一つ一つの片結び>。「俳句研究」(2007年3月号)所載。(清水哲男)




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