三連休。ずうっと連休みたいなものだった昨年迄とは、やはり違う気分で迎えています。(哲




2007ソスN2ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1022007

 鶯や白黒の鍵楽を秘む

                           池内友次郎

楽をするのだから俳句を作ってみたらどうか、と虚子に言われ何となく作り始めた、と次男友次郎は述懐している。渡仏をひかえた二十歳頃のことだ。調べ、リズムが俳句の大切な要素の一つであるのもさることながら、友次郎のユニークな感覚が生む句を見たかったのだろう。この句は、友次郎三十一歳、パリ留学から帰ったばかりの頃の作。音楽の仕事の合間に自然に生まれてきた句ということなので、白黒(びゃっこく)の鍵はピアノの鍵盤。溢れ出るイメージが指を動かし、鍵盤にふれることでそれが音になり耳からまた体内へ。そんな風に彼の音楽が生まれている時、ふと鶯が鳴いたのだ。誰が作ったわけでもない自然の、春を告げる澄んだ音色。手を休めて、しばらく鶯の声を聴いていたのではないか。そして目の前のピアノをぼんやり見つめるうちに、まるで鶯の声に誘われるように、彼の中でまた音楽が生まれ始めたことだろう。「楽」を秘めているのは友次郎自身であり、ピアノを詠んでいながら、聞こえるのは鮮やかな鶯の声である。音楽家らしい一句だが、戦後本業が忙しくなったこともあり、俳句から遠ざかっていく。そんな友次郎に虚子が、「おまえはかなりな句を作っていたのに何故このごろ作らなくなったのか」と言い、「あなたのような人を父としたから句を作る気にならなくなった」と答えると、「悪かったですね」と笑った、との述懐もある句集『米壽光来』(1987)所収。(今井肖子)


February 0922007

 一本の白毛おそろし冬の鵙

                           桂 信子

の鵙の叫びの鋭さを思えば、この「おそろし」はまさに深刻な事態だ。白毛(しらが)は老化の兆し。気持ちの良いものではないが、男性は女性ほど気にしない。「おそろし」の感じはまさに女性の感覚だろう。男ならさしずめ「抜毛おそろし」だろうか。大方が「おそろし」と感じる部分を逆にファッショナブルに転ずることができれば最高のおしゃれかも知れない。ハゲ頭の似合うカッコいい男性や、白髪が美しい女性。前者としては古くはユル・ブリンナー、ショーン・コネリー。最近のブルース・ウィルス。日本の俳優では渡辺謙や西村雅彦などをすぐに思いつく。後者はあまり思い出せないが、市川房江さんなんか清廉なイメージの中心にあの白髪があったな。過日、吉田拓郎のコンサートの映像を見たとき、客の中に多くのハゲ頭を見出した。拓郎自身かなり額が上がってきていて、それを気にせず舞台に立っている姿に客は自身を重ねて感動するのだろう。そういう点からの共感もあるはずだ。老化は、地球の引力の援護も得て、刻一刻と皺を弛ませ肉体を変貌させていく。美しく老いるのは難しいが、「おそろし」とばかりは言っていられない。平畑静塔『戦後秀句2』(1963・春秋社)所載。(今井 聖)


February 0822007

 白梅の空は産湯の匂かな

                           石母田星人

田龍太の句に「白梅のあと紅梅の深空(みそら)あり」とあるように、春に先がけて咲くのは白梅が多いのだろうか。中国から渡来した順も白梅からだったらしく、天平時代和歌に詠まれた梅は全て白梅だったと歳時記の記述にある。東京は暖冬のせいか一月末にもう紅梅が咲いていたが、日増しに明るさを増す早春の空にはさっぱりと清潔な白梅が似つかわしい。産湯は生まれたての赤子の汚れを落とすだけでなく、外気に触れて冷えた身体を羊水とほぼ同じ温度で温める効用があるという。この産湯が遠い昔に自分が浸かっただろう湯の匂いを想像しているのか、生まれたての赤子を父として抱き上げた時ふっと感じた匂いなのかわからないが、あるかなきかの淡い香だろう。とはいっても作者は産湯と白梅の匂いを単純に結びつけているのではない。白梅の間から透かし見る早春の空と梅の香りの調和に、季節が生まれでる予感を感じているのだ。春と呼ぶにはまだ寒いけれど、見渡せば赤味を帯びた裸木の梢に、道端の下萌えに春は確実に近づいている。初々しい季節の誕生に託して、誰もが産湯につかってこの世に迎え入れられた。そんな当たり前の事実を懐かしく思い起こさせる一句である。『濫觴』(2004)所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます