マイクロソフトが5年ぶりの新OSを今日発売。もううんざりだ、OS開発競争は。(哲)




2007ソスN1ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 3012007

 また一羽加はる影や白障子

                           名取光恵

崎潤一郎の『陰翳礼讃』を持ち出すまでもなく、白障子のふっくらとした柔らかい光線の加減こそ、日本人の座敷文化の中核をなすといえよう。障子や襖(ふすま)などの建具が冬の季語であることに驚く向きも多いだろうが、どれも気温を調節し、厳しい寒さの間はぴったりと閉ざし、春を待つものとすると考えやすいかと思う。障子といえば、私のようないたずら者には、影絵遊びや、こっそり指で穴を作る快感などを思い浮かべるが、掲句の障子の影に加わる一羽は、庭に訪れた本物の小鳥だろう。というのは、句集中〈検査値の朱き傍線日雷〉〈十日目の一口の水秋初め〉など闘病の句に折々出会うことにより、仰臥の視線を感じるためだ。しかし、どれも淡々と日々を綴っている景色に、弱々しさや暗さはどこにもない。庭に訪れた小鳥の輪郭を障子越しに愛で、来るべき春の日をあたたかく見守る作者がそこにいる。冬来たりなば春遠からじ。あらゆることを受け入れている者に与えられた透明な視線は、障子のあちら側で闊達に動く影に、自然界の厳しさのなかで暮らす力強い鼓動を読み取っている。純白の障子は、凶暴な自然界と、人工的にしつらえられている安全な室内との結界でもある。『水の旅』(2006)所収。(土肥あき子)


January 2912007

 新宿のおでんは遠しまだ生きて

                           依光正樹

近、なんとなく涙もろくなってきた自分を感じる。同世代の友人たちにその話をすると、たいていは「俺もだ」と言う。加齢が原因なのだ。この句にも、ほろりとさせられた。通俗的といえばそうであるが、しかし人は生涯の大半を俗に生きる。通俗を馬鹿にしてはいけない。青春期か壮年期か。作者は連夜のように通った新宿のおでん屋を思い出している。それも単におでん屋のことだけではなく、その頃の生活のあれこれが派生して浮かんでくる。そのおでん屋からいつしか足が遠のき、いまではすっかりご無沙汰だ。地理的に遠く離れてしまったのかもしれないが、時間的には明確に遠くなってしまっている。もはや新宿に出かける用事もないし、わざわざ出かけていくほどの元気も失せた。「まだ生きて」とあるから、当時ともに酌み交わした仲間や同僚の何人かは、既に鬼籍に入っているような年齢なのだろう。自分だけがおめおめと生き続けていることが、ふと不思議になったりもする。思い出すという心の動きは、孤独感の反映だ。たとえ子供であっても、そうである。楽しかった新宿の夜。しかも思い出すほどに孤独感は余計に強まり、まだ生きている寂しさは募るばかりなのだが、思い出の魔はとりついたまま離れてくれない。「まだ生きて」は、そんな孤独地獄のありようを一言で提出した言葉だ。身につまされる。「俳句」(2007年2月号)所載。(清水哲男)


January 2812007

 回りつづけて落とすものなし冬の地球

                           桑原三郎

と星が引き合う力を、孤独と孤独が引き合っていると言ったのは、谷川俊太郎です。地球が回っているのに、自身の表面から何もはがれてゆかないのは、たしかに引力というさびしさによるものなのかもしれません。生きるということは、大地に引っ張り続けられることです。この句の視線はあきらかに、大空を見上げるものではなく、地球を側面から、あるいは鳥の目で見下ろしています。このような乾いた視線を、ためらいもなく作品に提示できるのは、俳句だからの事のような気がします。どんな世界を描いていても、有無を言わさず言葉を切り落としてしまう俳句だからこそ、可能なのではないでしょうか。詠まれている空間の大きさにもかかわらず、わたしはこの句に、なぜかミニチュアの、部屋の中に作られた宇宙のような印象を持ちます。目の前に広がる空間に、地球が浮かび、ガラガラ音をたてながら回っています。目を近づければ、細かな町並みが通っており、しがみつくようにして小さな人々が歩いています。むろん部屋の外は冬。窓をあければ、地球全体に北風が吹き込みます。『生と死の歳時記』(1999・法研)所載。(松下育男)




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