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January 2712007

 切り株はまだ新しく春隣

                           加藤あけみ

本列島概ね暖冬という今年である。寒いのは嫌いだがそうなると勝手なもので、大寒の日、木枯に背中を丸めて、こうでなくちゃとつぶやく。十数センチの積雪で電車は遅れ、慣れない雪掻きで筋肉痛になるとわかっていても、一度くらいは積もってほしいと、これまた勝手なことを思ううち、一月も終わろうとしている。春隣、春待つ(待春)、ともに冬の終わりの季題だが、心情が色濃い後者に比べ、春隣には、まだまだ寒い中に思いがけなく春が近いと感じる時の小さい感動がある。冬晴れの日、木立に吹く風はまだ冷たい。一面の落ち葉、その枯れ色の風景の中、白く光るものが目にとまる。近づくとそれは切り株で、ふれると、まだ乾ききっていない断面には、生きている木の感触が残っている。切り株の、とすれば、その断面がはね返している日差が春を感じさせる。しかし、切り株は、と詠むことで、今は枯れ色のその森の木々すべてに漲っている生命力を感じさせるとともに、切られてしまった一本の木に対する作者の眼差しも見えるようだ。ほかに〈中庭は立方体や秋日濃し〉〈クレッシェンドデクレッシェンド若葉風〉〈石投げてみたくなるほど水澄めり〉などさらりと詠まれていながら、印象深い。『細青(さいせい)』(2000)所収。(今井肖子)




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