番組ねつ造。下請けの管理会社と化したテレビ局の体質に、そもそもの原因があるのです。(哲




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January 2412007

 鉄瓶に傾ぐくせあり冬ごもり

                           久保田万太郎

ごもりは「冬籠」とも書く。雪国ならば、雪がどっさり降り積もり、雪囲いをすっかり終わった薄暗い家のなかで、炬燵にもぐりこんで冬をやりすごす。もさもさと降る牡丹雪。ときに猛烈な吹雪。雪国の人々はかつて、たいていそんな冬にじっと堪えしのんでいた。もちろん「冬ごもり」の舞台は雪国に限らない。いずれにせよ、冬は寒気が人の動きを鈍くしてしまう。昨今は、暖房や除雪のやり方がすっかり進化して、生活スタイルが「冬ごもり」などという季語を空文化したようにも感じられる。ここで個人的な好みを言わせてもらえば、「冬ごもり」という言葉の響きに対する私の愛着は深い。生活形態を離れて、心情としての「冬ごもり」にこだわっているということかもしれない。この季語が滅びない限り、俳句の冬も大丈夫(?)。そもそも「冬ごもり」という言葉は「万葉集」の枕詞の一つであり、本来は「冬木茂(も)る」の意味だったとか。「鉄瓶」という言葉もその存在も、私たちの日常生活から次第に遠いものになりつつあるけれど、火鉢(これも遠いものになりつつ・・・・)の燠の上に五徳(これも遠い・・・・)を置いて、その上に鉄瓶を載せて湯を沸かす。三脚の五徳の上で、鉄瓶はなぜかすわりがよくない。「傾(かし)ぐくせ」とは五徳のせいなのか鉄瓶のせいなのか、いつ載せてもピタリとうまく決まらない。そのことに神経質にこだわっているのも、冬ごもりという動きの少ない神妙な生活形態のせいなのだろう。繊細な発見が、冬ごもりをますます深く籠らせてくれるような気さえする。さすが「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」と名句を詠んだ人の細やかさが、ここでも感じられる。万太郎は自分の句については「余技」と言い、「かくし妻」とも言ったそうだ。うーん、うまいことを言ったものだ。「かくし妻」なればこその微妙な味わいが掲出句にもにじんでいる。万太郎が急死した年に刊行された句集『流寓抄以後』(1963)所収。(八木忠栄)


January 2312007

 とどのつまり置いてきぼりや雪兎

                           大木孝子

どのつまりの「とど」とは漢字で魚ヘンに老と書くそうだ。広辞苑では「鯔(ぼら)が更に成長したものの称」とある。出世魚鯔の行き着く先が「とど」という聞き慣れない名前となり、頂点を極めたはずの「とどのつまり」が、どちらかというと思わしくない方向に傾く言葉になっているとは不思議なものだ。掲句は迫力の「とどのつまり」に、悲しみのニュアンスをまとう「置いてきぼり」と続くところで、まるで童話のなかの森をさまよう子供たちのような景色となった。通学途中や旅先で、手なぐさみで作った雪うさぎを持ち歩くことはできないが、かといってそのままぎゅっと押しつぶし、雪玉にして遠くに投げつけるようなことは決してしない。雪うさぎは、手のひらの中でつぶらな瞳を持つ雪の生きものとして生まれたのだ。道中携えることの叶わぬ雪うさぎは、結局そのあたりの一番おだやかな場所にそっと置き去りにされる。そのささやかなうしろめたさが、彼らに永遠の命を灯すのだろう。持ち帰ろうとすれば「置いてけ、置いてけ」と呼ぶ声もどこからか聞こえてきそうな、無垢の世界にしか住むことができない雪の精である。ある冬の日、庭の雪をひと掬いして作った雪うさぎの、あまりの可愛らしさに室内に持ち込み、あろうことかテレビの上に置いて眺めていたら、みるみるうちに白い皿に浮く笹の葉2枚と南天の実2粒という姿となった。そのわずかな色彩がことのほか悲しかった。やはり野に置け雪うさぎ。『あやめ占』(2006)所収。(土肥あき子)


January 2212007

 家族八人げん魚汁つるつるつる

                           齋藤美規

語は「げん魚(幻魚)汁」で冬。幻魚は、日本海からオホーツク海の深海に棲息している。「下の下の魚」という意味から「げんげ」がそもそもの呼び名らしいが、昔はズワイガニ漁で混獲されたりしても、みな捨てられていたという。したがって、「げん魚汁」も決して上等の料理ではないだろう。食べたことがあるが、お世辞にも美味いとは言えない代物だった。身は柔らかいというよりもぶよぶよした感じで、骨は逆にひどく硬い。でも、これを干物にすると驚くほど美味くなるという人もいるけれど……。句は寒い晩に、そんな汁を大家族が「つるつるつる」と飲み込むように食べている図だ。大人たちは一日の労働を終えて疲れきっており、大きな椀を抱えるようにして、黙々と啜っている情景が浮かんでくる。ただこの句を紹介している宮坂静生が作者に聞いたところによれば、子供のころに食べた淡泊な味が忘れられないというから、作者自身は味や歯触りを気に入っていたようだ。だが、そういうことを考慮に入れたとしても、この句から浮き上がってくるのは、昔の貧しい家庭の夕食光景だと言って差し支えないと思う。寒い土地で肩を寄せ合うようにして暮している家族の様子が、さながらゴッホの「馬鈴薯を食べる人たち」のように鮮やかに見えてくる。宮坂静生『語りかける季語 ゆるやかな日本』(2007・岩波書店)所載。(清水哲男)




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