不二家HPのURLはhttp://www.fujiya-peko.co.jp/だ。ペコちゃんはどうなるのだろう。(哲




2007ソスN1ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1812007

 寒夜明け赤い造花が又も在る

                           西東三鬼

の頃は本物と見間違うばかりの精巧な造花が多く出回っているが、掲載句の頃と言えば「ホンコンフラワー」と呼ばれた安物のプラスチック造花が巷に売られていた時代だろうか。学校のトイレや洗面所の片隅に打ち捨てられたように置かれている埃っぽい花をしばしば目にした。咲き誇る花の美しさは数日で衰えてしまう。萎んだ花殻を摘んで残りの花を活け直し、最後に始末するまでが人と花のかかわりだとすれば、いつまでも同じ形を保ち続けている花とは何だろう。芯から冷え込む「寒夜」(かんや)が明けても、昨日と同じ場所に赤の造花が、寸分変わらぬ姿でそこに在る。「俳句に説明が要らないといふことは、事物の選択が、すでに充分作者の思念を表明しているからである。」三鬼は述べる。確かに掲載句にも事実だけが書き留められてはいるが、「又も在る」の表現にかすかに作者の気持ちが滲む。その言葉の裏にひそむ彼の心持ちは「もう、うんざり」と言ったところか。戦前、戦後。俳句のために職も生活も擲って奔走しながらも報われることが少なかった三鬼。「わが一生は阿呆の連続ときわまったり」と述懐せねばならなかった三鬼の虚無的な在りようが赤い造花に色濃く投影されているように思える。『変身』(1961)所収。(三宅やよい)


January 1712007

 凍つる夜の独酌にして豆腐汁

                           徳川夢声

語は「凍(い)つる」。現在は1月7日までが通常「松の内」と呼ばれるけれど、古くは15日までが「松の内」だった。江戸時代には「いい加減に正月気分を捨ててしまえ」という幕府の命令も出たらしい。大きなお世話だ。掲出句の情景としては、妻が作ってくれたアツアツの豆腐汁に目を細めながら、気の向くままに独酌を楽しんでいる姿と受けとめたい。妻はまだ台所仕事が片づかないで、洗い物などしているのかもしれない。外は凍るような夜であっても、ひとり酌む酒ゆえに肴はあれもこれもではなく、素朴な豆腐汁さえあればよろしい。寒い夜の小さな幸せ。男が凍てつく夜に帰ってきて、用事で出かけた妻が作っておいた豆腐汁をそそくさと温めて、ひとり酌む・・・・と解釈するむきもあろうが、それではあまりにも寒々しすぎるし、上・中・下、それぞれがせつない響きに感じられてしまう。ここは豆腐汁でそっと楽しませてあげたい、というのが呑んべえの偽らざる心情。豆腐のおみおつけだから、たとえば湯豆腐などよりも手軽で素っ気ない。そこにこの俳句のしみじみとした味わいがある。この場合「・・・にして」はさりげなく巧みである。現在、徳川夢声(むせい)を知っているのは50〜60代以降の人くらいだろう。活動弁士から転進して、漫談、朗読、著述などで活躍したマルチ人間。その「語り芸」は天下一品だった。ラジオでの語り「宮本武蔵」の名調子は今なお耳から離れない。渋沢秀雄、堀内敬三らとともに「いとう句会」のメンバーだった。「夢諦軒」という俳号をもち、二冊の句集を残した。「人工の星飛ぶ空の初日かな」という正月の句もある。『文人俳句歳時記』(1969・生活文化社)所収。(八木忠栄)


January 1612007

 森番に革命の歌山眠る

                           松橋昭久

命とは、国家や社会の組織の急激な変革をいうとある。「革命」という言葉で、血がたぎるような興奮を覚える世代はいつ頃までなのだろう。おそらく、理想に燃えて学生運動に深く関わった世代だろうか。革命に関わり、勝利を手にしたものが幸福を得るとは限らない。掲句では「森番」という、現役や世俗から遠く離れた厭世的な姿が、すべてを象徴している。森番の過去に何があったというのだろう。しかし、彼には繰り返し口にする歌がある、それだけで充分なのだと思い直す。森番は満天の星を背負い、暗く大きな口を開けているような冬の山へ向かって、子守唄を聞かせるようにいつまでも低く歌うのだろう。「山眠る」とは、中国『臥遊録(がゆうろく)』の「冬山惨淡(さんたん)として眠るが如し」を出典に持つ、山の静かに深く眠るような姿を擬人化させた季語だが、ここではじっと無言で森番の歌に聞き入る同志のようなたたずまいがある。たったひとつきり繰り返す革命の歌を思うとき、彼の過去がほんの少しだけ顔を出す。『雪嶺』(2006)所収。(土肥あき子)




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