総務省がNHK受信料値下げを要請。値下げは結構だが、お役所が口を出す問題なのか。(哲




2007ソスN1ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1712007

 凍つる夜の独酌にして豆腐汁

                           徳川夢声

語は「凍(い)つる」。現在は1月7日までが通常「松の内」と呼ばれるけれど、古くは15日までが「松の内」だった。江戸時代には「いい加減に正月気分を捨ててしまえ」という幕府の命令も出たらしい。大きなお世話だ。掲出句の情景としては、妻が作ってくれたアツアツの豆腐汁に目を細めながら、気の向くままに独酌を楽しんでいる姿と受けとめたい。妻はまだ台所仕事が片づかないで、洗い物などしているのかもしれない。外は凍るような夜であっても、ひとり酌む酒ゆえに肴はあれもこれもではなく、素朴な豆腐汁さえあればよろしい。寒い夜の小さな幸せ。男が凍てつく夜に帰ってきて、用事で出かけた妻が作っておいた豆腐汁をそそくさと温めて、ひとり酌む・・・・と解釈するむきもあろうが、それではあまりにも寒々しすぎるし、上・中・下、それぞれがせつない響きに感じられてしまう。ここは豆腐汁でそっと楽しませてあげたい、というのが呑んべえの偽らざる心情。豆腐のおみおつけだから、たとえば湯豆腐などよりも手軽で素っ気ない。そこにこの俳句のしみじみとした味わいがある。この場合「・・・にして」はさりげなく巧みである。現在、徳川夢声(むせい)を知っているのは50〜60代以降の人くらいだろう。活動弁士から転進して、漫談、朗読、著述などで活躍したマルチ人間。その「語り芸」は天下一品だった。ラジオでの語り「宮本武蔵」の名調子は今なお耳から離れない。渋沢秀雄、堀内敬三らとともに「いとう句会」のメンバーだった。「夢諦軒」という俳号をもち、二冊の句集を残した。「人工の星飛ぶ空の初日かな」という正月の句もある。『文人俳句歳時記』(1969・生活文化社)所収。(八木忠栄)


January 1612007

 森番に革命の歌山眠る

                           松橋昭久

命とは、国家や社会の組織の急激な変革をいうとある。「革命」という言葉で、血がたぎるような興奮を覚える世代はいつ頃までなのだろう。おそらく、理想に燃えて学生運動に深く関わった世代だろうか。革命に関わり、勝利を手にしたものが幸福を得るとは限らない。掲句では「森番」という、現役や世俗から遠く離れた厭世的な姿が、すべてを象徴している。森番の過去に何があったというのだろう。しかし、彼には繰り返し口にする歌がある、それだけで充分なのだと思い直す。森番は満天の星を背負い、暗く大きな口を開けているような冬の山へ向かって、子守唄を聞かせるようにいつまでも低く歌うのだろう。「山眠る」とは、中国『臥遊録(がゆうろく)』の「冬山惨淡(さんたん)として眠るが如し」を出典に持つ、山の静かに深く眠るような姿を擬人化させた季語だが、ここではじっと無言で森番の歌に聞き入る同志のようなたたずまいがある。たったひとつきり繰り返す革命の歌を思うとき、彼の過去がほんの少しだけ顔を出す。『雪嶺』(2006)所収。(土肥あき子)


January 1512007

 女正月帰路をいそぎていそがずに

                           柴田白葉女

語は「女正月(おんなしょうがつ・めしょうがつ)」。一月十五日を言うが、まだこんな風習の残っている地方があるだろうか。昔は一日からの正月を大正月と呼び、男の正月とするのに対して、十五日を中心とする小正月を女の正月と呼んでいた。正月も忙しい女たちが、この日ばかりは家事から解放され、年始回りをしたり芝居見物に出かけたり、なかには女だけで酒盛りをする地方もあったようだ。子供のころ暮した田舎では、小正月を祝う風習はあったとおぼろげに記憶しているが、女正月のほうはよく覚えていない。母にまつわる記憶をたどってみても、松の内が過ぎてから出かけることはなかったような……。我が家に限らず、昔の主婦はめったに外出しないものだった。出かけるとすれば保護者会か診療所くらいのもので、遊びに出るなどは夢のまた夢。田舎時代の母は、おそらく映画などは一度も見たことがなかったはずだ。どこかから借りてきた映画雑誌を読んでいた母の姿を、いま思い出すと、切なく哀しくなってくる。そんな生活のなかで、作者の住む地方には女正月があり、大いに羽をのばした後の「帰路」の句だ。いざ家路につくとなると、日頃の習慣から足早になってしまう。みんなちゃんとご飯を食べただろうか、風呂はわかせたろうか、誰か怪我でもしてやしないか等々、家のことが気になって仕方がない。つい「いそぎて」しまうわけだが、しかし一方では、今日はそんなに急ぐ必要はない日であることが頭に浮かび、「いそがずに」帰ろうとは思うものの、すぐにまた早足で歩いている自分に気がついて苦笑している。こうした女のいじらしさがわかる人の大半は、もう五十代を越えているだろう。世の中、すっかり変わってしまった。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)所収。(清水哲男)




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