パート待遇改善、無期契約者に限定と法案後退。どこが「改革」なのよ、安倍総理君よ。(哲




2007ソスN1ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1412007

 人参は赤い大根は白い遠い山

                           辻貨物船

物船忌、1月14日です。新聞記事で辻征夫さんの死亡を知り、急ぎ通夜に向かった日のことを思い出します。もう7年も前のことになります。辻さんとは若いころに、詩の雑誌の投稿欄の選者として、一年間ご一緒したことがあります。投稿の選評が終わった後に、小さな雑誌社の扉を開け、夜の中にすっくと立つ背筋の伸びた辻さんの姿を、今でも思い出します。「貨物船」から降ろされた多くのすぐれた詩は、深い情愛に満ちたものばかりでした。隙(すき)のない詩や小説の「余白」に書き付けられたであろう俳句は、しあわせに力の抜けた場所での創作だったのでしょう。掲句、冬の清新な空気と、ほっとする心持を読むものに与えてくれるものであります。人参、大根ともに、旬の冬が季語です。手元には、細かく切り刻み、酢であえた膾(なます)が、ひざの前に置かれています。その膾へ、そっと差し出す箸の動きを想像します。箸の先には実生活と格闘する辻さんがいて、片手にはウイスキーのコップを持っています。ウイスキーを飲みながら見つめる先には、「創作」の遠い山が見えていたのでしょうか。酔った口からいくらでも出てくる文学談を、若かったわたしは、目を輝かせて聞いていたのでした。「松下君、詩もいいけど、俳句というものも、すごいよ」。辻さんの声が今でも、すぐ近くから聞こえてくるようです。『貨物船句集』(2001)所収。(松下育男)


January 1312007

 冬銀河昼間は何もなき山河

                           今橋眞理子

句は兼題句に多い、とよく言われる。兼題として前もって出されると、とにかく集中して向き合うことになるからだろうか。確かに自らを省みても、日々好きに作っている句は作りやすい季題に偏りがちであり、歳時記を読んだつもりでも、兼題として出されて初めて意識する季題もある。この句は、「冬の星」という兼題で作られた一句である。作者の母方の故郷は徳島の四国山地の山の中、夏休みは吉野川で遊び、冬は夜空を眺めるのが楽しみだったという。冬の夜空は明るい星も多く、その光は凍てながら白く冴えている。何光年もの彼方にある星々、今この瞬間に実際に存在している星はこの中にいくつあるのか、そんなことを考えながら引き込まれるように星を見上げていたことだろう。澄みきった山里の漆黒の空に、雲のように細かい星影を流す冬銀河の記憶。「昼間は何もなき」の中七が冬銀河と呼応して、自然のままの山里への郷愁を深めている。「あの時の手の届きそうな夜空が、私にとっての冬の星なのだ思う」という今橋さんの言葉を聞いて、ただ冬の夜空をぼ〜っと眺めて星を探すばかりではだめなのだ、とあらためて感じると共に、上五を「冬の星」ではなく、敢えて「冬銀河」としたことで、情景がくっきりと具体的になっていることにも感じ入った。兼題の力、兼題への取り組み方を考えさせられた一句である。「野分会東京例会」(2006年12月17日)出句五句のうち。(今井肖子)


January 1212007

 奥歯あり喉あり冬の陸奥の闇

                           高野ムツオ

安時代に征夷大将軍坂上田村麻呂に攻められた東国の夷(えびす)の首領悪路王は、岩手県の平泉から厳美渓に通じる途上にある達谷窟(たっこくのいわや)に籠って最後まで屈せずに戦い遂に討たれる。悪路王などというおどろおどろしい名を付けたのも錦の御旗を掲げた側。本当は、気は優しくて力持ちの美男子だったかも知れぬ。ドラマの中のキムタクやブラピのように。皇軍の名のもとにマイノリティを「征伐」していった歴史の暗部が陸奥(みちのく)には充満しているのだ。夷やアイヌやインディアンや、その他多くの被征服者の苦しみや哀しみを、「大東亜戦争」に敗れた僕等日本人はようやく痛切に感じることができるようになったのではないか。それまでは世界の「征夷大将軍」たらんとしていたのに。権力の合法的暴力や大国の偽善的エゴは今も世界に満ち満ちている。世界中の「みちのく」の冬の闇の中で、顔を失った口の中の奥歯が呪詛を呟き、頭を吹き飛ばされた喉が今日も叫んでいる。「別冊俳句・現代秀句選集」(1998・角川書店)所載。(今井 聖)




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